旅のお話その10〜痛み始め〜


竹内もです。はやくも10回目です。

ガスパル様を後にし、再び「島の館」へと向かいます。
道も下りはじめ、「生月町山田」の標識の後ろに「さんじゅあん様」中江の島が見えます。
わかりにくいですが標識に「生月町山田」とあります。後ろは中江の島。

キリシタン遺跡を一つ見終わったこともあって、改めて生月島にいる感慨が湧いてきました。
ふと後ろを振り返ると、木々の間にさっきの十字架がそびえ立っています。きっと海の上からでも見えるのでしょう。殉教碑を臨む

道を下る途中、宅配の兄ちゃんに道を聞かれました。もちろん私にわかるわけがありません。私が現地の人に見えたのでしょうか?少なくとも観光客には見えなかったのでしょうが(カメラは下げてるけど、ラフな格好に裏道をテクテク歩いてりゃぁねぇ・・)。

ふと見ると牛が放牧されています。島奥の山頭草原にはもっとたくさん放牧されているそうです(見には行きませんでしたが)。
生月のかくれキリシタンの行事に、まや追い出し、まや追い込みと呼ばれる牛に関係したものがあります。牛の安全を祈願したり感謝したりして、お払いをしたりオマブリ(十字架の形をしたお守り)を牛に飲ませたりする行事です。
そういうことがあるので、牛が放牧されているのを見てもなにか喜んでしまう私がいるのでした。

さて道を下り終わると、行きにバスで通った海岸沿いの道にでました。
「千人塚」と書かれた看板があったので行ってみました。
千人塚もキリシタン遺跡。江戸時代に入りいよいよ宗門取り締まりが厳しくなった頃、ここ生月でも信者一掃の惨劇が繰り広げられたのです。舘浦の白浜は赤く染まり、多くの人が殺されました。ここ千人塚はその時殺された人達が葬られた場所。葬られた際、盛り土の上に一本の松が植えられ、昔は「千人松」と呼ばれていたそうです。その松も今は朽ち果ててありませんでした。

行ってみると、おや?鳥居??ほとんど神社の様相です。かくれキリシタンの信仰はキリスト教のそれとはかけ離れ、仏や日本の神も同じように崇められているとは知ってはいましたが、目の当たりにすると奇異な感じがします(ここは祭りの時、御輿の休憩所になるのだそうです)。周りは普通の民家。知らなければ誰もキリシタン遺跡とは思わないでしょう。
不思議な空間でした。
千人塚

この辺りからです、足の裏が異様に痛み始めたのは。
マメがどんどん大きくなっているのでしょう。

「人が殺された所ばっか見て喜んでるからバチが当たったんかいなぁ」

などと思ってしまいました。それくらい痛かったのです。
でもめげません。生月大魚藍観音(現在の生月のシンボルみたいな大仏像)を通り過ぎ「島の館」へと向かいます。

続く(専門的な話ばっかでちっとも面白くないなぁ‥‥)。

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