旅のお話その18〜大浦天主堂〜


竹内も@ベアーズ3期生も終わって一息です。
意地でも年内に終わらせます、第18回です。

大浦天主堂、正式名称は日本二十六聖殉教者天主堂。
この地にて、プチジャン神父によりキリシタン達の子孫が発見されました(詳しくは下の解説を参照)。
潜伏キリシタン達の積年の願いが成就した場所です。

大浦天主堂

そんな場所なのですが、どうも感慨が薄いのです。
いや、最初着いてその全体を見た時は、日本の教会っぽくない外観に感嘆したものですし、中に入って内部を見たときも、そのドイツの教会を思い出させる造りに喜びました。
しかし!何か違うのです。感じるものが薄いのです。

色々と理由は考えられます。
まず開け放たれた窓から、日本式の墓地が見えること。長崎らしいと言えば長崎らしいのですが、ちょっとげんなり。
それからこれだけドイツの教会に似ているのにまるっきり響かないこと。こういう造りだと響く、と私の身体は認識しているので違和感があったのでしょう。

しかし決定的に違うのは、空気でした。ドイツの教会でも、生月島でも、普段練習で使う教会でも感じるような、霊気というか、張りつめたものというか‥‥。凝縮された信仰心みたいなものを感じないのです。

この大浦天主堂は国宝に指定され、観光地化され、拝観料も払わねばなりません。大浦カトリック教会は別に存在し、この天主堂で日常的に礼拝が行われることもありません。
綺麗なステンドグラスも、立派な聖母子像も、荘厳なゴシック建築も空虚に感じました。
ここにあるのは、過去のものだけでした。今に続く思いはここには残っていない、そんな気がしました。
なんとなく京都の寺社を思い出しました。

それでも聖母子像を見上げ、浦上キリシタンに思いを馳せ、天主堂を出ました。となりにラテン神学校跡があり、そこにはキリシタン関係の史料が展示されていました。
目新しいものは無かったのですが、どっかのおばちゃんが踏み絵を見て、「いや〜私やったら絶対踏んでるわ〜」と言っていたのが何故か頭に残りました。
そう、普通は踏むのです。だからこそ、踏まなかった人、踏んでなお自分を鞭打ち信仰を維持した人が気にかかるのですが。

この大浦天主堂の横には、グラバー園という明治の西洋建築を集めた観光地がありました。
広そうなので、気は進まなかったのですが、「せっかく来たんや、回っといた方がええやろ」と中に入る事にしました。
これがこの旅最大の失敗とは夢にも思わずに‥‥。

続く。

【解説】大浦天主堂‥‥正式には日本二十六聖殉教者天主堂という。在日フランス人のための教会として建てられた。1865年2月19日落成。日本最古のゴシック様式の建築物。
落成後日本人の見物人は跡を絶たなかった。同年3月17日。近くの浦上村からの見物人の女がプチジャン神父にこう耳打ちした。「私は、あなたと同じ心にございます。サンタマリア様の像はどこですか」と。驚いた神父が聖母子像の所に案内すると、「確かにサンタマリア様だ、御子ゼズス様を抱いていらっしゃる」と言ったという。プチジャン神父は、過去の信徒の子孫であることを確信した。
これをきっかけとし、多くの潜伏キリシタンたちが、この地でカトリック教会に復帰した。(このことが最後の大迫害「浦上四番崩れ」に繋がるのであるが‥‥。)
昭和8年には国宝に指定され、昭和28年再指定される。また隣接するラテン神学校跡は昭和47年に重要文化財に指定されている。

99.12.1

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