今、巷では何でも省略したり、縮めたりして言っている。
音楽の曲名も例外ではない。
例えばモーツアルトのレクイエムなら「モツレク」、ミサ・ソレムニスなら「ミサソレ」、クリスマス・オラトリオなら「クリオラ」といった具合に。
こういう現象に感心しない人もいるようだが、私はどうでもいい。
過度でなければ略称を使うのもまた良きかな、と思っていた。
ところが、今練習している曲の略称は、ちょっと、ウッ、と思ってしまう。
「仏の見たる幻想の世界」。木下牧子さんの曲だ。
これをみんな「ほとけ」と呼ぶ。
それ自体は普通かも知れない。「ほとみた」とか「ほとげん」とか「ほとせか」では語呂が悪いし、言いづらい。
しかし略称「ほとけ」を使った会話を想像してもらいたい。なんとも‥‥‥な世界なのだ。
例えば、誰かがこの曲の音が取れてないとき、
「ほとけ、取っといてな」
怖い。しかし、これは序の口。
難しくて通らなかった曲が通ったら、
「今日、ほとけ通ったな」
仏が通った?どこを?普通の人が聞いたらヤバイと思うだろう。
さらに練習が進み、曲の先が見えてきたとしよう。するとこんな会話がなされるのだ。
「おぉ、ほとけ見えてきたな」
「うん、見えてきた見えてきた。」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
ヤバい、ヤバすぎる。これでは「仏の見える幻想の世界」だ。
こんな会話が、大阪のド真ん中で繰り広げられるのだ。
他にも「ほとけ、別れるしなぁ」とか「ほとけ、よぉぶつかるなぁ」とか「ほとけ、見てきて下さい」とか‥‥。
今気をつけてるのは、練習のことを時々修行と言ってしまうことだ。これをこの曲に当てはめると、
「ほとけ、もっと修行せな、あかんなぁ。」
となる。ここまで来ると、もぅなんだかなぁ、って感じである。
私たちがやってることは合唱だが、こんな会話を聞いた人が我々のことを、合掌をやってる人達、と思っても不思議ではないかも知れない。
01.01.22