八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.84


【掲載:2016/08/25(木曜日)】

やいま千思万想(第84回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「無自覚ないい人」でなく魅力ある人に

 定期購読をしている雑誌は少ない。読んでしまった本は捨てられないし(私の性分です)、月刊雑誌では結局忙しくて読む時間がなくついつい積ん読、となる。
つまりそれらはどんどん溜まっていく、というのが頭痛のタネなのです。そういった悩みを抱えつつ、それでも幾つかは取り続けている雑誌が私にはあります。
その一つに先日目を通していると、「自覚のない良(い)い人」というフレーズが目に飛び込んできました。
そのフレーズに、はたと目が留まったのですね。その記事の内容は政治的思考、行動に触れているもので、これからは人は「いい人」と闘わなくてはならないのではないか、という主旨です。
実は私も最近、「いい人」って時には問題だなぁと、そして深くこの国の文化に根付いている「いい人」、を考えてみる必要があるのではないかと思っていたところだったのですね。

 私は、物心ついた頃から「いい人」を目指して生きてきたと思います。
でもこれはきっと「人に好かれたい」との裏返しであったようにも思います。
とにかく、怒(おこ)らず、怒(いか)らず、常に笑みをたたえ、何事も周りの空気を読んで先んじて動き、人が嫌がる行いは極力避け、問題を起こさない存在でいる。そんな人を目指し、人からの「いい人ですね」を目指していたのですね。

 しかしです。現在では「いい人」とは結果として付いてくるもので、それを目指すべきものではない、と思うようになりました。
団体を主宰し、活動を押し進める中で知ったのですが、決して「いい人」と呼ばれる人が全て協力的な理解者ではないのだとの経験をしたのですね。
むしろ「いい人」が最大の悩み、壁だったりする場合だってあるのです。
この類の「いい人」の問題性は「優柔不断」「八方美人」とか「付和雷同」と紙一重にあるのかもしれません。
先の雑誌に見た「自覚のないいい人」にこそ問題が多く含まれているということになるのですね。

 時に人は怒らなくてはなりません。
許してはならないことには、信念によるものとして断じて妥協してはならないということもあります。
それらの思いは、いったいどこからやってくるのか。そしてどこで育ったものなのか。
それをいつも自覚(自分自身の歴史・立場・状態・能力などをよく知ること)を持って考え続ける必要があります。
思うのですね。それは必死に、命をかけての生き方にこそ生まれると。

 以前は思っていたものです。
島を遠くから眺めていた頃、八重山の人たちは素朴で心優しく、誰もが暖かく迎えてくれる、いわゆる「いい人」が一杯いらっしゃるんだろうと。
少し考えれば、そういったことは現実的には難しいことぐらい分かりそうなものなのですが、私の願望としての思いがそう思い込ませてしまっていたのでしょう。
八重山の繁栄、それは美しい自然、そして「いい人」が多いからというだけでなく、再度、何度でも訪れたいと思わせる「新しい発見」や「多層的で多彩」な魅力を構築することにあるのだと。





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