受洗を受け、教会に籍を置いて30年が経ちました。
以前より心配していたことが起こったということなのですが、これはコレギウム・ムジクムと私個人に対する批判の表れなのでしょう。
しかしその批判が何に対してなのかが何も示されないのです。(現在そのことを質問しています)
幾人かの教会員の方々からは教会側(この言い方は間違いですね。誤解を恐れずにいうならば役員会、それも驚くほどの少数です)に対して疑問の声も上がっているのですが、大きな力とはなっていません。
歴史的に見てもオルガニストと教会(こういう表現の時は一般会衆、いわゆる教会員は含まれませんね。実はこれが問題の根っこだと思います)はうまくいったためしはありません。
歴史の繰り返しだと言ってしまえばそうなのでしょうが、そういって済ませられないものがあります。
教会とのやり取りを通して感ずるのは、論理よりも感情、筋を通すことよりは先見性のない現実主義的な安易な妥協。私が受洗を受けた時はこんな風ではなかったと思います。しかし今は日本社会の悪いところのミニ版のよう。都合の悪いことは黙して語らず、そしてつつかれると政治家のようにノラリクラリの答弁が帰ってきます。
本当に疲れてしまいます。
この件に関してはこれからもこのページで報告していくつもりです。