No.108 '97/10/11

合唱コンクール「おかあさんコーラス」


先ほど関西合唱コンクールの「おかあさんコーラス」の審査を終えて帰ってきました。
その感想です。

少し疲れました。
その疲れは、充実感を伴った気持ちの良いものではないかもしれません。
実は今日はどこか覚悟していたところがあって、予想はしていたことなのですが、実際に聴いたものはそれを遥かに越えて私を困惑させました。
ただ非難するだけでは終えられない深いものを感じてしまったのですね。
審査発表の前の講評の時にも言ったことなのですが、その演奏は実に堂々としたもので、風格を感じさせる立派な演奏ではありました。(これは本当です。)
皆さん歌にも年期を感じさせるほどのもので、専門教育を受けたであろう立派な声があちらからもこちらからも聴くことができました。
しかし、私にとっては評価するのがとっても辛かったですね。
いや、「評価すること」ではなく、「聴くこと」自体辛かったかもしれません。
その原因は、「ピッチ(音高)」の悪さと、それに伴う「ハーモニーの単調さ」が原因です。
幾つかの例外(その団体の評価を私は高くしました)を除いて、そのピッチや音程の悪さは私の耳を容赦なく襲ってくるのですね。
しかし、何度も言うように、その演奏はそれを除けば立派な演奏なわけです。
今日の演奏の中で一つ印象に残った演奏があります。
名前をいっていいでしょうかね。・・・・・・・
いいことだから言うことにしますね。
午前中に演奏されたBグループの「女声アンサンブル・アトリエ」の演奏です。
これは実に見事な音楽として演奏されました。私は演奏し終わった時に思わず唸ってしまいしました。これは指揮者須賀敬一氏によるところが大です。
しかし、私の評価は低かったのですね。
音程が拙かったからです。ハーモニーや宗教音楽にはふさわしくないヴィブラートがその原因です。
評価に本当に困ったのです。
今日は「原則」というものを貫きました。

合唱の「原則」、その魅力はやはり「協和するハーモニー」(倍音が聴こえるハーモニー)だと考えるのですね。
そして「アンサンブルする」喜びですね。
この二つです。
無伴奏での全体のハーモニーがそこそこに聴こえても、各パートのピッチが拙い。
ピアノが鳴っているのにもかかわらず、ピアノと協和できていない。
低声部の上に各声部が乗っかって響くといったハーモニー指向がないのですね。
そういった演奏が「どんぐりの背比べ」で次々とやってきたわけです。

審査委員の方々の話にも出てきていたのですが、「おかあさんコーラス」全体のレベルとしての位置づけが難しいということもあったと思うのですが、敢えて私はその原則を貫きたいと思ったわけです。
その結果、私の評価結果は他の審査員と随分違ったものになりました。
ちょっと私自身ビックリしたんですね。
私だけが違ったのですから。

私に評価を低く付けられた合唱団の方々、怒らないでくださいね。
私も悩んだのですから。

明日は「一般の部」です。
「原則」を貫くつもりです。

'97/10/11「合唱コンクール(おかあさんコーラス)」終わり