No.141 '98/1/11

「評決のとき」


映画が好きです。
しかし、映画館に行って観る時間がありません。
ここ何年間は劇場に行っていないのではないでしょうか。
映画通の方から見れば、私などホンモノの映画好きではないと言われそうです。
見ている本数が少ないということもあるでしょうが、それだけではなく主演や脇役の俳優など覚えられたことが無いのですからこれでは到底ダメですね。
おまけに何時どこで観たか、そして事細かくストーリーやセットのことなども覚えていないのですから「どこが映画好きや?」ということになりますね。

でも映画を見るのは大好きです。
今はもっぱらテレビです。
一時期、ビデオを借りてきて観ていましたが今では借りに行く暇もなく、衛星放送が私の楽しみとなっています。
「WOWOW」というチャンネルでは一日中映画を放映しているといっていいでしょう。
私の部屋で仕事の合間に観ることにしています。(時には仕事をしながら観ることになります)

先ほど「評決のとき」という映画を見終わりました。
最後の判決の場面が惹きつけられましたね。
黒人の裁判を引き受けた新米弁護士の話なのですが、人種差別、陪審員制度、愛情問題などが絡んで見応えのある映画でした。
主人公の弁護士が最後に喋る最終弁論で驚かされ、その後の無罪判決で私は泣いてしまっていました。
最近涙もろくて・・・・映画は自分の部屋で一人で観ますから遠慮なく泣いてしまうんです。
この主演の男優がマシュー・マコノヒーという注目の俳優であるとか、女優が最近売れっ子のサンドラ・ブロックだということは後で知りました。
「なかなか巧い役者やな」とか、「雰囲気のある女優やな」とは思いましたが、余り俳優には関心は高くないので気にしていませんでした。
要は、私の場合「ストーリー」ということになりますね。
「台本」ということに尽きます。
そういう意味でこの「評決のとき」は感動を受けた映画です。
エンディングのシーンでは、裁判に勝った主人公が無罪になった黒人の家に家族で訪れる場面が映し出されます。ここでは会話は一言もありません。
その中で、主人公が真に黒人社会へ入っていこうとする姿勢が暗示されているわけです。
そのウラには弁護士と被告との友情、そしてそれぞれの家族愛があります。
気になることもあるのですが、映画が訴えてくるその論旨は骨太で説得力がありますね。

映画で教えられたりします。
忘れていた感覚を思い出させてくれたり、いろいろな立場の人物に成ったり、想像したりすることもできます。
見に行く時間はこれからも無いかもしれませんが、映画は私にとって大好きな、そして大事なものであることは間違いないですね。

'98/1/11「<評決のとき>」終わり