No.167 '98/8/25

(オプショナル・ツアー) ヴェネツィア(後編)


上の写真は飛行機の中から写したベネツィアです。ハッキリ判らないかもしれませんが、ベネツィアとの再会に胸を高鳴らせていた私の気持ちを表す一枚です。

多くの音楽家がこの町を愛しました。私のようにバロック音楽を演奏する者にとっては、モンテヴェルディ、ヴィヴァルディの聖地でもあります。
モンテヴェルディが活躍し、その特異な景観と構造によって素晴らしい音楽を生みだしたサン・マルコ大聖堂。
慈善孤児院音楽校の少女たちを指導してヨーロッパに名をとどろかせたヴィヴァルディとその音楽を鳴り響かせたピエタ教会。
この二つは私にとっていつも訪れたい場所です。

その二つの場所で歌う。これは私にとっては夢のことでした。
ピエタ教会は去年歌ったこともあって、今年は演奏会も開くことができると返事をもらっていたのですが、スケジュールの関係で断念しました。
演奏会は出来なくても今年も訪れてまた響きを確かめられると思っていましたからそんなに気にはならなかったわけです。

(ピエタ教会で歌っている所です。後ろに観光客がいて拍手を頂いていました)

しかし、サン・マルコ大聖堂は違います。歌いたいと思っても歌えるような大聖堂ではありません。ヴェネツィアの中心です。許可が出るわけはないと始めからあきらめていました。
去年などは「ゲリラ作戦」でひっそりとにらまれながら男声たちが歌っていましたね。
その大聖堂で今度は歌ったのです。これはホントに驚きです。
歌っている間に多くの観光客が合唱団を取り巻きました。大聖堂の関係者も聴いています。私は彼らたちの歌っている姿を見て、どんな気持ちになっていたかお解り頂けますか?それはもう涙ですよ。
歌い終えた彼らたちが多くの人にもまれながら大聖堂を出る頃にはその出来事の重大性に気がつき涙を流す者もいました。

そして驚きはこれだけではなかったのです。
大聖堂の前に広がる「サン・マルコ広場」の一角でも我々は歌ってしまったのです。
サブリナの例の一言です。「この広場の一角によく響くところがありますから歌いませんか」ですって。
もう何でも来い、と思っている我々です。
歌ったんですね。そしてこれが大変でした。
広場にいた人々がどんどん集まり、一曲終わるごとに拍手、拍手。そのうちに口笛を吹きながらのアンコールの要求。若い人たちは我々のバッハに頭を振り、体でリズムを取りながらノリノリの状態になっていったんです。
何曲か歌った後人々の熱い視線と、拍手を制してそこを立ち去ろうとする我々に次々と質問責めです。それはもう大変な騒ぎとなったんです。
やはりその時の写真はありません。しかし、その模様を8ミリビデオが記録しています。歌い始めから歌い終わるまで、その状況が上手く撮られていました。

この「歌う」ことは後のマントヴァでも感動の一時を持つことになるのですが、その時の報告はまたとします。

とにかく人々の反応は直接的でした。歌い始めると直ぐに人垣ができます。
そして熱心に聴き始める人の何と多いことか。
町の静けさはドイツもイタリアもそう違いがありませんでした。
その静けさを破って我々の声が響きわたります。今回全旅行を通じて一回もそれを制止されることはありませんでした。
それどころか驚くほどの歓待を持って受け入れられたのです。
去年訪れた際少し予感はありました。
でも、これほどとは。
感無量です! 

'98/8/25「ヴェネツィア(後編)」終わり