No.343 '00/12/2

恐れながら・・・携帯電話の話題です


今日「和歌山バッハ」の演奏会なんですが、その話は次回に報告するとして、今回は携帯電話のことを。

以前から携帯電話のことを書きたいと思っていました。
パソコンの時と同じように、最初は「こんなモノ、音楽家には必要ない」なんて言ってました。
まぁ、正直にいうとパソコンよりは少し興味を持っていたように思うのですが、でも直ぐには飛びつかなかったように思います。
使うようになったのも私からではなく、人にうながされてのことでしたね。

今では必携のものとなってしまっています。おまけにPHSも持つようになったのですから変われば変わるものです。
緊急の連絡が多い私など、とても役立っています。

さて、携帯の話なんですが。
今、使用に際して一段と厳しくなってきてますね。
バスや電車など、以前は各社によって対応アナウンスのニュアンスが違っていたように思うのですが、現在では足並みを揃えつつあるように思われます。
「使わないようにしてください」、混雑時には「電源を切って下さい」ということですね。

電波によって生命にかかわるような作用を引き起こす、という説明もあるのですが(これは大切なことですね。絶対にあってはならないことだと思います。電源を切る、これには賛成。電波障害のことも話題になっています。慎重に取り扱おうと思います)
しかし、最近の対応に何となく<変だ>と思ってしまうのです。

今更、かもしれないのですが・・・・・・・・。恐れながら・・・・・お聞きしたいのですが。
何故、バスや、電車などの中では使用してはいけないのでしょう・・・・・・
教えていただきたいのです。
「他のお客様のご迷惑となりますので・・・・・・・・」というのですが、どう迷惑なのですか?

「私的な話ははなはだ迷惑だ!」
ということがよく言われます。(電波について論議されているのは少ないように思うのですが・・・・・)
いろいろな意見を聞いたり、読んだりしたのですが今一つピンとこないんですね。
繰り返しますが、携帯電話の電波が有害だというのならば(ハッキリとデータが出ていて、皆の認識するところとなったならば)使用は皆で控えましょう。(もしそうならば、アナウンスにそのことを含むべきですね)
しかし、私的なものと公的なものと、という視点でいうならば少し意見があるのですね、私。

私的なものと公的なものの区別が出来ているようには思えないのですね、我が国では。この状態での制約は平等を欠く、と思っています。
バランスが悪いんですね。

バスや電車の中で(バスの中のほうが多いかもしれません。地域的なこともあるのかなぁ)、高校生たちや、おばさんたちの会話の騒がしいこと。
これらの会話は耳を遮断しようにも出来ないぐらい大きくて、そして取り留めもなく、「間」が無く続けられます。
殆どが周りのことを気にしていません。
これって疲れるんですよね。
疲れるだけではなく、私など体調によっては精神的な拷問になることがあります。
とにかく密室なのですから。

もともと私など大らかな人間ですから(笑)(というよりは争いを好まない人間なんですね)、しゃべりたい人がいればしゃべればいいし、それを何となく聞きながら「ふ〜ん、高校生って今はそんな調子なんだ」とか、おばさんたちの会話を聞きながら「なるほど、世間てそうなんだ」とかを感じていればいいと思っている人間です。
しかし現在では、先ず、バスに乗っても電車に乗ってもスピーカーで同じメッセージを繰り返し聞かせられます。もう、これだけで車内は「うるさい!」なのです。(公的な場所でのいらぬお節介)
私にとっては、「あれはダメ」「これはダメ」「〜に気を付けて下さい」なんて言ってる車内アナウンスや、必要以上に大きなブザー音が一番気になります。無くてもいいもの、無くして欲しい音。これこそが迷惑なんです!

今日もバスの中で、混んでいるにもかかわらず<知らぬ存ぜぬ>で詰めようとはしない客たち。二人掛けの席に一人で陣取り、横に荷物を置きながら体を斜めにして座っている高校生。その席に座りたいと思っていながらそれに注意できないお母さん。そんな人たちと一緒でした。
しゃべっている高校生の甲高い声。変に気取って標準語でしゃべっている女子高生。
相手のしゃべっていることなど聞かないで自分のことだけを言い続けようとするおばさんたち。
もうその喧騒なかで、「車内での携帯電話の使用は〜」なんてテープが回る。もうやかましいったらありゃしない。
これって<変だ>と思ってしまうんですね。

会話の充実。
言葉の空しさ。
静寂の共有。

なんかアンバランスだなぁ、なんて考えてしまうんです。

長くなってますね。でももうちょっと。
今朝、泊まっている和歌山のホテル。常宿にしているホテルなんですが、朝食を食べに最上階のレストランへ。
一人の恰幅の良い初老の男性の声が響きわたっています。発声がいいんですね。普通にしゃべっています。でも響きわたっているんです。
前に座っているもう一人の男性は普通の声量(発声が悪いなぁ(笑))
周りは黙々と食事をしています。すなわち、静かなんです。
一人でいる私は最初、この声の立派な男性を「うるさい」と思いました。しかし、だんだんとその会話に耳を向け始めると(決して聞こうとしたわけではありません、耳にどんどん入ってくるのです)、結構面白かったんですね、その内容が。
そのうち、客が増えてきました。その男性、ずっとしゃべっています。(私もずっと聞いています(笑))
気がつくと他のお客さんたちがそれぞれに相手の方とお喋りを始めています。小声でしゃべっています。
そうするとレストランは「ザワザワ」とした様相になっているんです。「騒がしい」とは言わないまでも、「少し、やかましいな」というところでしょうか。
で、気がついたのですが。
私がこのレストランに入ってきてからなんとなくずっと「うるさいなぁ」と思っていたことがあったんです。
それはその初老の男性の声ではありませんでした。「ザワザワ」とした音でもありません。
それはずっと鳴り続けているBGMだったんです。
「パッヘルベルのカノン」、ヴィヴァルディの「四季」等の私が専門にしているバロック音楽!(笑)
それもアレンジされているもので、お世辞にもセンスがいいとは言えません。
このBGMを私は無意識のままずっと聴き続けていたんですね。これ疲れるんです。
せめてこのBGMが無ければ!
このホテルのために言っておかなくてはなりませんね。他の私が知っているホテルよりも音量がうんと小さく設定されています。
普通だとこれで程良いサービスということになるのでしょうが、私に言わせれば、こんな中途半端なことをせずいっそのことBGMを止めればいい。そうすれば、静かで心穏やかな朝食になると思うんですね。
<迷惑>って、そう一元的に捉えられるものではない。ましてや<迷惑>という項目を押しつけられても困るんです。

本番を前にして、少し長くなってしまいました。
これも音に少し敏感になっているからでしょうか。

No.343 '00/12/2「恐れながら・・・携帯電話の話題です」終わり