No.518 '03/8/27

NHK山口県コンクール【小学校の部】


台風10号の影響で延期になったコンクールの審査のため、山口県徳山に再度訪れました。
今日は天気もまぁまぁ良く、「晴れ男」の面目躍如です。

さて、コンクールの審査をお引き受けする私の主たる理由は一つ。
今、若い世代がどのような発声でどのように演奏しているのだろうか?なんですね。

今日は小学生の演奏です。
早い子では「声変わり」がすでに始まっている子もいます。
成長期にある子達にとって「発声」はどのように扱うべきなのか?
これが最大の関心事。
「胸声」で歌おうとする子達に対して、「ファルセット」をどう位置づけるか、それが問題のような気がしていました。
今日の演奏を聴いて少し見えた気がしました。

今回のコンクールで「金賞」を取った二つの小学校がそのよい例となりました。
一つは「山口市立平川小学校」、正直まだまだ感動するといった演奏ではないのですが、巧かったですね。子供達の躍動するリズムの乗りやハーモニーには驚きを覚えました。明るい響き、柔らかいピアノ、声が伸びたフォルテ、どれをとっても立派でしたね。言葉もしっかり判り、聴くものに届きます
このコンクールでは間違いなく抜きんでたものとして聴きました。私は一位をつけています。結果も「一位」(金賞)です。
その発声、実は胸声の強いものでした。つまり「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」の中でも最も胸声に近いものになっているんですね。
しかし、心配な高音ではファルセットを混ぜた声が目立ちます。(胸声の響きでハモっているフレーズに、ファルセットに近いオブリガートのソプラノソロがのっかります)
低音は胸声が勝っている「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」です。
子供達による胸声の強い「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」がこのような効果を、そして生き生きと発声していることに少し感動と驚きを覚えました。
ひょっとするとこれがこれからの小学生の響きとなるのではないかと思うほどです。

もう一つの演奏は「下関市立豊浦小学校」です。
この演奏に対して私は4位をつけました。
結果は2位、金賞です。
私の評価の低さの原因はその低く聞こえてしまう響きにありました。
平川小学校と同じ胸声の強い「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」ではあるのですが、ピッチが低いのですね!
ピアノ伴奏の響きと平行して同じ幅で始めから最後まで低く響いたのでした。
これは聴いていて私の耳には苦痛です。
しかし、どうも歌っている子達はそのことを別に気にしている様子はないのですね。(明るい表情で生き生きとパフォーマンスを加えて演奏していましたから)
このことから判断して、この子たちは倍音を聞き取っていないように思えたのでした。(気にしてはいないということでしょうか)
いや、始めからピアノの響きを、存在を、意識できていないのではないかとさえ思われたのです。

つまり、ピアノと協和させるという意識がないのではないか。そう思えたのですね。

ピアノと競演する以上、ピアノとの協和も考えなければなりません。ピアノが含む倍音の響きと合唱とが響きあわなければなりません。
同じ胸声の強い発声でありながら一方は溶け合い、一方は溶け合わない、これは顕著にハーモニーに対する感覚の違いを鮮明にさせたことでした。
どちらも、子供達はリズムに乗って大きな良く響く声で歌います、それらを聴く限りではこの二つの演奏、甲乙つけがたいものとして映っていました。

ハーモニー感覚の違いはどうして起こるのか?
今回の場合、倍音が意識できない、聞き取れないといったことだけの原因だけではないもう一つの問題を含んでいるのではないかと私には危惧することとして残りました。
その問題とは。
より大きく歌う、良く響かせる、強く歌うということが最優先されてはいないか?と。
大きな声を持つことも大切なことですが、ハーモニーを整え、よく聴きあって協和し、言葉を、その意味を伝えることが「合唱」において最も重要なことだと思うのですね。

全体を通して聴いた感想は総じて言葉がハッキリとしてきたと思いますね。少なくても言葉を聞かさなくてはという意識は感じられます。
後はどうしてそれを達成するかですね。
明澄な声質への指向も増えてきたと思いますし、子供らしさを大切にしようとする演奏も増えてきていると思います。
(まだまだ直立不動型の真面目・窮屈演奏もあることはあるのですが・・・・・・。)
やはり後は、発声でしょう。(特に倍音とどうつき合うかですね)
声をコントロールできる発声を子供達に早く身につけさせてあげたいなと切に思いました。

ちょっと豊浦小学校にはきつく書いたようにみえるかもしれません。
でも、本当に生き生きと演奏していた子供達が脳裏に焼き付いています。
とても素晴らしい演奏でした。
それだからこそ、この一点、洗練された感覚でピッチを捉えてみる、響きを聴きあうことの大切さを切に願いたいと思ったわけです。

コンクールの最後には指導者の方々と面談する時間が設けられていたのですが、豊浦小学校の指導された先生には、この後も発声のことについて、そして響きのことについてもMailなどを通じてフォローさせていただくことをお約束しました。
言い放つだけでは失礼ですね。
責任をもつ発言としたいと思っています。

高い声を苦しそうに出そうとしている顔。
フォルテを続けて出したいのに、音域が高くなると急に弱くなったり、声の芯がなくなったりしてしまう。
低い声をこれでもかといった絞り出すかのように強く歌ってしまう。
自分ではどうしようもなく声がひっくり返ってしまって思うように歌えない。

歌をうたう喜びは声を自由に扱えることによって一層高まるものです。
自由に声をコントロールできることが発声の目的です。それでこそ「声」が人としての最も力強い感情表現の担い手となれるのですね。

今回のコンクール、私にとっては大きな意味を持つものとなりました。
新しい「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」のイメージが作れるかも知れません。
参加できたことを感謝したいと思いました。

No.518 '03/8/27「NHK山口県コンクール【小学校の部】」終わり