柴田南雄『宇宙について』


柴田南雄作曲『宇宙について』5章、6章で使われている山田の「おらっしゃ」について。楽譜かCDを持ってないと、よくわからないかも知れませんがご容赦下さい。

教理書の項にも書いたが、1600年刊『おらしょの翻訳』に5章のA,B1〜13が、1591年刊『どちりいな・きりしたん』には5章のB1〜13が所収されている。
また、5章の全てのオラショと、6章のA,「山田のぐるりよおざ」は、前回書いた一座の中のオラショとして、通常の行事では常に歌われる。

まず5章のオラショについて

A.聖母まりあへの連祷:元はラテン語のオラショ。聖母マリアを讃えとりなしを求める祈り。
B.1.でうすぱてろ:主の祈り。主祷文ともいう。マタイ福音書6章9〜18節による。
生月では長座の前に1回唱えられる。
2.がらっさ:あべまりあの日訳バージョン。ルカ福音書1章28節。
3.まことの:使徒信経。ミサ通常文の中の「Credo」の日訳バージョン。けれんど、けれど、とも言う。
4.あわれみのおん母:聖母マリアへのアンティフォナ、「サルヴェ・レジーナ」の日訳。
5.十のまだめんと:モーゼによる、神の十戒。出エジプト記20章。
6.さんたえけれんじゃのまだめんと:教会の七つの掟。

このB1〜6が、『どちりな・きりしたん』で「これら皆、ゆるがせなくして一遍に信実つとめ奉るべきなり」とした六つのオラショであり、特に重要である。

7.根本七悪:『どちりな・きりしたん』第九章に所収。‘モルタル科’と呼ばれる、よろずの罪の根元の罪。
8.七悪に向かう七善:B7の悪の根本を取り除く7つの善行。
9.さんたえけれんじやのさからめんと:デウスよりガラサ(恩寵)を賜うための7つの秘蹟。
10.慈悲の所作:キリシタン時代の[ミゼリコルディアの組]の精神。外海・五島ではあまり見られない。
11.びわびらんさ:山上の八カ条の至福。マタイ福音書5章3〜10節。

B.7〜11は、オラショと言うより、教理内容である。黙唱するうちにオラショと化してしまったのであろう。8.9あたりにはポルトガル語の跡が見える。
    
12.万事叶い給う:あやまりのオラショ。告白の祈り。外海系キリシタンの「こんちりさんのオラショ」にあたる。潜伏初期は、絵踏の後にこのオラショを歌って、許しを請う祈りをしていたのではないだろうか。
13.みじりめんで:「戻し」(葬式)の時に使われる。心の悔悛をうたう。詩編51章の「Miserere mei」。元はラテン語。
14.きりやでんず ぱちりのちり:主の祈りのラテン語バージョン。その前にキリエがくっついている。
15.あめまりや:がらっさのラテン語バージョン。

お七百の時繰り返されるのは14.15の2曲。一部分を何度か繰り返して、何度かごとに全体を唱える(2曲通す)。それで短縮化しているのだ。
※「宇宙について」でも繰り返しが指示されていますね(^^)

B1.2と14.15に主の祈りとアベマリアが日本語、ラテン語の両方で出てくる。いかに布教時代これらが重要視されて、信徒に伝えられていたかがわかる。ただかくれキリシタン達は。長い伝承期間の後これらが対応していることを忘れ去ってしまったようだ。

現在では、元々ラテン語であった歌は、呪文のようになり、日本語の歌も意味も分からず棒唱されているだけである。

6章
A.山田のぐるりよおざ:歌オラショと呼ばれる節がハデめなもの。通常「おらっしゃ」という場合この歌オラショを指す。山田以外では「なじょう(Nunc Dimittis)」「らおだて(Laudade Dominum)」の2曲の歌オラショが伝承されているところもある。

この「ぐるりよおざ」は16世紀にスペインで広く歌われた「O Gloriosa Domina」が原曲である。この歌は現在の聖歌集には元の歌を見いだすことは出来ない。本家のヨーロッパでは伝承が絶えてしまったのだ。本家で絶えた物が、転訛したとは言え潜伏キリシタン、かくれキリシタンに伝承され続けたことは驚嘆に値する。

X.さん じゅあんさま:生月島の東北にある無人島、中江の島。ここは殉教者が多く出て(処刑場だった)生月系の信者の聖地とされている。
ここで殉教した洗礼名ジュアン3人(でも「3じゅあん」ではない)をいたんで作られた曲。その歴史を少し。

1622年5月22日、ジョアン坂本左衛門とダミアン出口が中江の島で斬首された。彼らの遺骸は袋に詰められ、海中に投棄された。
6月8日にはジョアン次郎右衛門が殉教した。処刑地中江の島に近づいた頃「ここからパライソ(天国)は、もうそう遠くない」と言ったそうである。
7月22日にはジョアン雪ノ浦次郎左衛門とパウロ塚本が斬首された。
1624年には彼らの家族達も死罪となった。
中江の島が処刑地となったのは、潮の流れが激しく、ほっといても遺骸を潮が運んでくれるからである。

今では土用中寄りの時にうたわれるともいう(土用中寄りとは、生月でキリシタンの祝日を決める日で、外海の日繰りにあたる)。

「宇宙について」では2行ほど歌詞が抜けているかもしれない。

「あぁかばねをば中江の島に埋めてぞなぁ
 世界の果てまで名をぞとどむるぞやなぁ」
               
この2行を歌の一番最後に加える説がある。
一応歌詞の大意を書いておきます。

前には海、後には切り立った岩壁。
前も後も潮が流れて飽くことはない。
今の世の中(この春)ではキリシタンは、桜の花のように散っていく。
しかしいずれ来る春には、信仰のつぼみが花開くであろう。

殉教者達の首が落ち、血が流れるさまは他の信徒たちには桜の花が散るように見えたのでしょうか。それとも潮に流された殉教者の遺骸から流れ出る血が、桜の花のように海に広がっていったのでしょうか。

Y.だんじく様:ジゴク様ともいう。ジゴクは洗礼名ディエゴがなまったものだろうか。
ディエゴの弥市兵衛とその家族が追手から逃げて、だんじく(丹竹、または暖竹)の所に隠れていたが、そこで子どもが泣き出し見つかって(生活の煙が見つかったという説もある)殉教した。1月16日が命日とされるが、いつの時代かはわかっていない。
このことをいたんで作られた曲。だんじく様の聖地には船で行く方が速いが、決して船で行くことはない。タタリがあると信じられている。
毎年1月16日に参詣がおこなわれている。
歌詞にある柴田山(あるいは芝田山)という地名は生月近辺には存在せず、謎の言葉となっている。ダンジク様の上の椿の木のあるところか、山柴の山のところかとも言われるがはっきりしていない(はっきりすることは今後ないでしょう)。

「宇宙について」では1行歌詞が抜けているかもしれない。

「広いな寺とは申するやなぁ」

この行を3節目と4節目の間に加える説がある。千原さんの「おらしょ」ではこの行が加えられている。
また、6節目の「今はな涙の先なるやなぁ」は「今はな涙の谷なるやなぁ」とすることもある。千原さんの「おらしょ」ではこちらを採用している。
こちらも大意を書いておきます。

さぁ、パライゾの寺に参ろう。
パライゾの寺は、広いとは言うけれど、
その門が狭いか広いかは、私の信仰にかかっているのだ。
あぁ、柴田山よ。
今は涙が先に来るような世の中(涙の谷)であるが、
先の世には助かる道が待っているだろう。

5章A,B1〜15,6章Aはキリシタン時代から伝承されてきた、伝承のオラショ。
6章X.Yは、潜伏キリシタンが作り出した創作のオラショである。この二曲は山田にしか伝承されていない、。

こちらで、だんじく様の祠の写真を、こちらで、中江の島の写真を見ることが出来ます。

現在、かくれキリシタンたちは基本的には意味もほとんどわからずただ唱えるだけである。
潜伏初期はともかく後の方になればなるほど呪術的な要素が濃くなり、ひたすら唱えることが中心となる。よって解説が多いのと少ないのとで重要性が違うかというと、少なくとも現在においては違いはないということになる。