旅のお話その14〜だんじく様〜


竹内もです。少し間があきましたが14回目です。

ついに来ました、「だんじく様」のもとへ。
ここに来ることがこの旅の最大の目的。苦労しただけに感慨もひとしおでした。

【解説】だんじく様‥‥キリシタン禁令の時、ジゴクの弥市兵衛と妻のマリヤ、息子ジュアンが五島へ渡るため、生月島南端のダン竹の中に隠れていたとき、ジュアンが泣いて(生活の煙が見つかったという説もある)役人に見つかり処刑されてしまった。その3人を祀る祠が「だんじく様」と呼ばれる。一月十六日が命日とされ、毎年祠で「だんじく様のお歌(地獄様ともいう)」が歌われる。(ジゴクは洗礼名ディエゴが訛ったものか)
この歌が柴田南雄作曲「宇宙について」第六章で使われている。


だんじく様

「史跡だんじく様」の石碑と、小さな祠がひとつ。祠の後ろには名の通り竹が生い茂っていました。波の音と蝉の声しか聞こえません。
だんじく様の祠からは海しか見えません。遠くに島が見えています。
横は石だらけの狭い海岸でした。その先は崖でしょうか。

だんじく様横の海岸

「こんな所で・・・」口をついて出たのはこの言葉でした。

今でこそ、だんじく様への参道がありますが(それだって大概しんどい)、当時道など無かったでしょう。おそらく原生林の中でしょう。こんな厳しい環境で親子三人が信仰を守るため隠れていたのです。逃げる機会を待って・・。

そして役人は近くの海で船の上から見張っていました。こんな所まで追ってくる、なんと厳しい弾圧だったのでしょうか。たかが島民の親子三人を殺すために・・。

島の人達はその死を悼み、祠をつくり、歌をつくりました。キリシタンの歌です。聞かれれば捕まり殺されるでしょう。でも歌い続けられ、今日まで続いています。

小さな声で「だんじく様」を歌いました。大きな声で歌うのは何か気が引けました。知ってはいても、体験したわけではない。ここを守ってきた島の人達、そして「だんじく様」に失礼な様な気がしたのです。でもここに深い思い入れもあるので小声で歌ったのです。

静かでした。
この場所に船で近づくものにはたたりがあり、海が荒れ、船を沈めるといいます。今日でもそれを畏れ、険しい陸路を通って人々はここを訪れます。
そんな恐ろしさもあるハズですが、そんな気配は全くありませんでした。ふと誰かいるような気がしたりもするのですが、恐ろしい感じはなかったです。
「人の恨みも年月に流されるのだろうか」と思ったりしました。


だんじく様の見ている風景

あまり長居をせず、立ち去ることにしました。「また来ます」と言い、だんじく様に背を向けます。きっとまた来るでしょう。
陽光に照らされた海がとてもきれいで、ちょっと悲しみを帯びている様な気がしました。

続く。

99.10.6

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