日本の音楽教育はこの120年の間、いわば日本の伝統とヨーロッパやアメリカから押し寄せてくる影響の間で発展してきたと言える。しかし合唱音楽はこの大阪からのハインリッヒ・シュッツ合唱団が専念し、拡がりをもってきたように、もっぱらヨーロッパにその理想像を求めてきた。しかしながらここ10年の間、管弦楽曲や室内楽作品におけるように顕著な異文化間の歩み寄りと統合への努力が積み重ねられるようになってきた。若い世代の日本の作曲家たちは情熱的に西欧音楽並びにアメリカのアヴァンギャルドの様々な流れに取り組んできたが、この間にも自らの日本の伝統にも、確かな結びつきを求めてきている。
当地のコンサートではとりわけ日本の二人の作曲家への敬意が払われている。−すなわち1930年東京生まれの武満徹でおそらく彼は現代日本の作曲家の中でも独自性のある代表的存在でドイツの音楽界においてもその名は広く知られている。さらにもう一人の柴田南雄(1916−1996)であるが、彼はその作品の中にドイツの伝統を少しばかり具現させている。−と言うのも柴田はベルリン音楽大学で教育を受けた作曲家であり、日本における「ドイツ派」の始祖とも言える諸井三郎のもとで研鑽を積んだからである。バルトーク、シェーンベルグ、ウェーベルン、そして後にはアメリカ人作曲家ジョン・ケージの作品を詳細に研究した後には再び東アジアの豊かな音楽的遺産に目を向けることになる。
大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団は8月9日15時からベルリン大聖堂にて、また8月13日19時30分よりレニン修道院聖堂にて、また8月14日には同時刻ポツダム・サン・スーシーのフリーデンス教会にて演奏会が催される。
(ヴォルフガング・ハンケ)
(訳:高橋 憲)
(イェルク・ケーニヒスドルフ)
この合唱団は8月12日ラテナウ、13日レニン、14日にポツダムのフリーデン ス教会において演奏する。
(訳:濱中久美子)
バロック作品と現代曲からだけ推し量るのは必ずしも妥当ではないものの、厚みある音の響きに圧倒される。
アジアにおけるプロイセン的精確さとでもいうべきであろうか、当間修一指揮によるア・カペラ・アンサンブルは難解な技巧を難なくこなしている。同合唱団が名を冠したハインリッヒ・シュッツの二つの作品「言葉は肉となり私たちの内に宿った」とドイツ・マニフィカト"Meine Seele erhebt den Herrn"(我が魂は主をあがめ)において精確な音の出し方や明瞭なテキストの朗読が見てとれる。コントラプンクトのいわば編み細工のような作品、バッハのモテット「聖霊は私たちの弱さを助けて下さいます」においても作品の内容を十分に心得ており、魂をもって歌うことが実現されている。このロマン派的な演奏において、わずかばかりソプラノの高音域に音の乱れが生じたものの本質的な影響を与えるものではなかった。マニフィカトのパートとしてプーランクの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」ではこわれてしまうのではないかと思える程の繊細さが印象に残った。ブリテンの音楽の守護神への讃歌たる"Hymn to St.Cecilia"(聖セシリア賛歌)では大胆かつ優雅に詩編を頌読するかのごとく鳴り響いた。柴田南雄の「追分節考」は空間における音のコラージュとでも言うべき作品で、とりわけ感慨深い体験であった。日本の音楽教育の過ちへの警鐘とも言えるこの作品では男声合唱団員が教会内の通路を歌いながら歩き、昔の馬方の仕事唄が僧侶の読経の如く聖堂を包み込んでいく。突き出すような音韻とメロディーの断片が、かつては通俗的とみなされていた民族音楽の抵抗を物語っているかのようだ。
さらに女流オルガン奏者松原晴美によるブルーンス(Bruhns)のバロック作品「プレリュードとフーガト長調」及びアランの現代作品"Litanies"(連祷)がヴィルトーゾ的演奏で当日のコンサートに変化を与えていた。
(ペーター・ブスケ)
(訳:高橋 憲)
ハインリッヒ・シュッツ、バッハ、プーランク、ボーン・ウィリアムス、ブリテン、さらには日本人作曲家柴田南雄の作品であろうと90分の演奏会でバロックから現代作品に至るまでの演奏領域の幅の広さを同合唱団は備えており、聴衆はあたかも音楽によって魔法にでもかけられたかのごとく耳を傾け、「太陽の昇る国−日本」の音楽家たちの演奏に魅了された。
当夜のハイライトは議論を待つまでもなく「追分節考」であろう。オレンジ色の衣装を身にまとった女声合唱団員と青に身を包んだ男声合唱団員が教会の中をまるでそれぞれが意のままの如く歩き、声を上げ、見事な響きで教会空間を満たしてくれる。指揮者当間は合唱団員の即興性を促すかのようである。隅から男声が鳴り響き、内陣からは柔らかい音色が耳に届く。最後の音韻が鳴り止んだとき当間修一が笑顔を浮かべ一礼をする。聴衆は日本からの合唱団への鳴り止まぬ拍手で感謝の意を表す。
(イエルク・ドルヒシュテヒャー)
(写真)大阪からの合唱団員、聴衆を「太陽の昇る国」へと音楽により誘う。−圧倒的な音楽の体験である。(訳:高橋 憲)
第四回目のドイツへの演奏旅行では再統一後、新たに加わった連邦州でも客演を行い、ポツダムで最終公演を迎えたが、完璧なまでにトレーニングを重ねた若い合唱団員達はシュッツの六声の合唱作品「言葉は肉となり私たちの内に宿った SWV385」(1648年「宗教的合唱曲集」より)では明確な言葉遣いと解き放たれた発声が力強くもありまた明瞭な響きとなって聴衆を魅了した。八声における二重合唱曲、ドイツ・マニフィカトからの"Meine Seele erhebt den Hern SWV494"(我が魂は主をあがめ)においては同合唱団は芸術性豊かに、かつ快活で明るい透明性のある声部の躍動感のある素晴らしい演奏を示してくれた。教会の音響にも配慮され、見事に表現されており、歌詞の一言一句が明確に聞き取れ、この様な演奏は当地ドイツの合唱団も手本とするが良いであろう。
同合唱団は同時にバッハの二重合唱モテット"Der Geist hilft unser Schwachheit auf BWV225"(聖霊は私たちの弱さを助けて下さいます)も苦もなく演奏したが、その解釈はアカデミックな煩雑さにとらわれることなく作品の持つ自明の快活さを前面に打ち出したものであった。ソプラノ声部におけるある種のそっけなさは聞き流すことはできないが、これも東洋の音の響きへの接し方によるものかもしれない。
この印象からしてわずかながらも女声合唱のみによるフランシス・プーランクの作品「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は問題が残った。四声の男声合唱曲「アッシジの聖フランチェスコの四つの小さな祈り」は深淵な詩編頌読のあたたかい声楽によるイントネーションがバスと輝きに満ちたテナーで拡がりを示していた。
合唱団員はドイツ語、フランス語、及びラテン語の発音のみならず英語においても正確に身につけており、ベンジャミン・ブリテンの作品"Hymn to St.Cecilias"(聖セシリア賛歌)にもそのことが伺える。音楽の守護神への讃歌であるこの作品では軽快かつ喜びに満ちあふれたコロラトゥーラの流暢さから崇高で情熱的な迫力が鳴り響いていた。様式の異なる様々な作品においても完璧さと精確さへの努力がなされ、音程をはずることは全くといってよいほどない。
フリーデンス教会の祭壇場からの賛歌が鳴り止まぬうちに男声合唱団員は正面玄関の方へと向かうが拍手なくして教会を後にするためではなく、空間における音のコラージュと言うべき柴田南雄(1916−1996)の作品「追分節考」への準備のためである。指揮者が文字で合図するとテノールのメロディー豊かな歌が響きわたり、追分地方の民謡を歌い始める。他の男声合唱団員も教会の通路を歩きながら歌い、昔の馬方の馬子唄が僧侶の読経の如く聴衆を驚かせつつも強烈な印象を与える。ここでは日本の民謡が通俗的であるとして日本の音楽教育へのあり方に対する批判と受け止められることができる。祭壇場からの怒りに満ちたののしるような女声合唱は優位に立とうとするものの、断続的に襲いかかる反抗するような音韻にかき消されてしまう。
スタンディング・オーベーションによりアンコールとして女流オルガン奏者、松原晴美によるオルガン演奏が当夜のコンサートに変化を与えていた。バッハの「プレリュードとフーガハ長調BWV545」では単調で数学的に測ったような演奏ではあったが、サンチン・プレステス(1938年生まれ)の「アレルヤ」はそれに比して魅力的な演奏を披露してくれた。
(ペーター・ブスケ)
(訳:高橋 憲)