<ベルリン・ブランデンブルグ紙日曜版>
1998年8月9日

文化の出会い−大阪シュッツ合唱団 ベルリン、ブランデンブルグにて客演

 ハインリッヒ・シュッツはその作品により存命中にもヨーロッパ中にその名声を博していた。彼の初期の作品はジョヴァンニ・ガブリエリのもとでの研鑽を終える際にヴェネチアで書かれたものである。1617年から宮廷音楽家としての任命を受けていたドレスデンから彼の名声はロシアにまで轟き渡った。三十年戦争(1618年〜1648年)の間、シュッツはコペンハーゲンのデンマーク国王のもとで、何度も仕え、大きな成功を得た。また隣国スウェーデンもシュッツの作品に多大の関心を示した。現在、指揮者当間修一とともに海外公演のためにベルリンを訪れている大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団に見られるごとく、今日では極東の国でも彼の作品は高く評価されている。日本第二の商業都市大阪は文化的にも重要な地位を占めているが、合唱団員たちはこの合唱団の名が冠せられているハインリッヒ・シュッツの作品演奏に専念してきた。今回の演奏旅行ではシュッツの作品のみならず、他の作曲家による作品もプログラムに取り上げており、ハインリッヒ・シュッツからJ.S.バッハ、そして300年の時を隔てて、100年前にパリで生まれたフランシス・プーランクや今世紀における英国の指導的作曲家の一人であるベンジャミン・ブリテンに到るまで、さらには我が国ではめったに演奏されることのない日本の現代合唱曲まで時代の架け橋とも言えるレパートリーを備えている。

日本の音楽教育はこの120年の間、いわば日本の伝統とヨーロッパやアメリカから押し寄せてくる影響の間で発展してきたと言える。しかし合唱音楽はこの大阪からのハインリッヒ・シュッツ合唱団が専念し、拡がりをもってきたように、もっぱらヨーロッパにその理想像を求めてきた。しかしながらここ10年の間、管弦楽曲や室内楽作品におけるように顕著な異文化間の歩み寄りと統合への努力が積み重ねられるようになってきた。若い世代の日本の作曲家たちは情熱的に西欧音楽並びにアメリカのアヴァンギャルドの様々な流れに取り組んできたが、この間にも自らの日本の伝統にも、確かな結びつきを求めてきている。

当地のコンサートではとりわけ日本の二人の作曲家への敬意が払われている。−すなわち1930年東京生まれの武満徹でおそらく彼は現代日本の作曲家の中でも独自性のある代表的存在でドイツの音楽界においてもその名は広く知られている。さらにもう一人の柴田南雄(1916−1996)であるが、彼はその作品の中にドイツの伝統を少しばかり具現させている。−と言うのも柴田はベルリン音楽大学で教育を受けた作曲家であり、日本における「ドイツ派」の始祖とも言える諸井三郎のもとで研鑽を積んだからである。バルトーク、シェーンベルグ、ウェーベルン、そして後にはアメリカ人作曲家ジョン・ケージの作品を詳細に研究した後には再び東アジアの豊かな音楽的遺産に目を向けることになる。

大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団は8月9日15時からベルリン大聖堂にて、また8月13日19時30分よりレニン修道院聖堂にて、また8月14日には同時刻ポツダム・サン・スーシーのフリーデンス教会にて演奏会が催される。

(ヴォルフガング・ハンケ)

(訳:高橋 憲)


ターゲスシュピーゲル誌(ベルリン)
1998年8月11日付

Fleuet euch 喜べ (日本版によるモテット)

大聖堂(ベルリン大聖堂)にて、大阪シュッツ合唱団が演奏会

いいや、何も不安はない。 彼らはいまや、本当にあのことができるのだ。
つまりすべての日本のドイツ語学習者に恐れられた、あの恐怖の子音 'r' が見事にあの日本の合唱団員の口の端にのぼっている。特に大阪シュッツ合唱団の男性たちはときおり、それが楽しみであるように露骨なほどにこの子音を震わせて発音する。
  残念ながら、シュッツとバッハのモテットにおいては、我々がそのテクストについて識っている信仰上のことが課題として残されている。もっと言うなら、合唱団の指導者である当間修一と歌い手たち自身が彼らのテクストについてよくよくは識っているというわけではないのではないか、という疑いが執拗に浮かんでくる。
これらの作品は正確に演奏されて、通り過ぎていったが、その内容については何も 伝えていない。
すなわち、慰め、喜び、といった宗教的感動についてである。
それゆえもっとよく言えば、我々は日本の衣装を着た、一連の歌による器楽コンサートとして、大聖堂での合唱プログラムを楽しんでいるのである。
中央ヨーロッパの合唱団の音の音色とは、この日本人たちは大きく異なっている。
つまり、その音は一貫して(中欧の音よりも)はるかに明るく、ソプラノはブリテンの「聖セシリアへの賛歌」の高い音の運声法においてはむしろ少年の声を思わせる。アルト声部には、ほとんど色彩が欠けていて、優位に立つソプラノの反対極であるかわりに付け足しにとどまっている。テノールも漂白されたようだ、中欧の人々の耳にはその声はたとえば、まるで彼らがその生まれながらの素質を用いて、高い音の栓をひねって出し、バスを排除したかのように響く。
ただそうは言っても、この人工性(技巧性、人工的な音色)はプリテンやプーランクといった、自分たちの作曲作品において技巧的特色をもてあそぶ作曲家たちにたいしては、納得できる視界を提示している。
しかし日本人たちは最後にもっとも良い演奏を提供している。
「追分節考」は1996年に死去した作曲家、柴田南雄の合唱パフォーマンスであるが、そのパフォーマンスにとって大聖堂は理想的な音響上の引き立て役を演じている。この作品だけでも全コンサートに値する。

(イェルク・ケーニヒスドルフ)

この合唱団は8月12日ラテナウ、13日レニン、14日にポツダムのフリーデン ス教会において演奏する。

(訳:濱中久美子)


<ベルリーナー・モルゲンポスト紙>
1998年8月11日

東洋の完璧主義者たち−ドイツ音楽の足跡をたどる

ヨーロッパ音楽、なかんずくドイツ音楽への傾倒ぶりを日本人は決して隠すことはしない。完璧なまでにトレーニングされた合唱団員たちは彼らの合唱団にハインリッヒ・シュッツの名を冠しているのは尋常のことではない。さらに並々ならぬことは、どれ程までに説得力をもって「ドイツ音楽の父」と呼ばれているハインリッヒ・シュッツの作品を演奏しているかは同合唱団の四度目のドイツ演奏旅行の会場の一つとなったベルリン大聖堂での演奏でただちに明白となった。

バロック作品と現代曲からだけ推し量るのは必ずしも妥当ではないものの、厚みある音の響きに圧倒される。

アジアにおけるプロイセン的精確さとでもいうべきであろうか、当間修一指揮によるア・カペラ・アンサンブルは難解な技巧を難なくこなしている。同合唱団が名を冠したハインリッヒ・シュッツの二つの作品「言葉は肉となり私たちの内に宿った」とドイツ・マニフィカト"Meine Seele erhebt den Herrn"(我が魂は主をあがめ)において精確な音の出し方や明瞭なテキストの朗読が見てとれる。コントラプンクトのいわば編み細工のような作品、バッハのモテット「聖霊は私たちの弱さを助けて下さいます」においても作品の内容を十分に心得ており、魂をもって歌うことが実現されている。このロマン派的な演奏において、わずかばかりソプラノの高音域に音の乱れが生じたものの本質的な影響を与えるものではなかった。マニフィカトのパートとしてプーランクの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」ではこわれてしまうのではないかと思える程の繊細さが印象に残った。ブリテンの音楽の守護神への讃歌たる"Hymn to St.Cecilia"(聖セシリア賛歌)では大胆かつ優雅に詩編を頌読するかのごとく鳴り響いた。柴田南雄の「追分節考」は空間における音のコラージュとでも言うべき作品で、とりわけ感慨深い体験であった。日本の音楽教育の過ちへの警鐘とも言えるこの作品では男声合唱団員が教会内の通路を歌いながら歩き、昔の馬方の仕事唄が僧侶の読経の如く聖堂を包み込んでいく。突き出すような音韻とメロディーの断片が、かつては通俗的とみなされていた民族音楽の抵抗を物語っているかのようだ。

さらに女流オルガン奏者松原晴美によるブルーンス(Bruhns)のバロック作品「プレリュードとフーガト長調」及びアランの現代作品"Litanies"(連祷)がヴィルトーゾ的演奏で当日のコンサートに変化を与えていた。

(ペーター・ブスケ)

(訳:高橋 憲)


<メルキシェ・アルゲマイネ新聞>
1998年8月15/16日

バロック音楽と現代曲−日本語によるア・カペラ

大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団、当間修一指揮によりレニン修道院教会で演奏

レニンにある聖マリア修道院教会のレンガ造りの教会堂の内陣の静けさの中で、当間修一が静かにそして慎ましやかにタクトを上げる。木曜日の夕刻、会場となったこの簡素な福音教会の木製の座席には400名程の聴衆が肩を寄せ合うように集まった。銀色に輝くオルガンから優雅な音色が奏でられ、今夏のコンサートのハイライトを告げ、大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団の登場となった。緊張して歌い出しを待つ合唱団員たちが会場を魅力一杯の、力強くまた極めて繊細な音楽的ハーモニーで満たしてくれた。合唱による多声のア・カペラは指揮者当間修一のドラマツルギーにより、圧倒的な明晰さで悲しみに満ちた響きと喜びに溢れる響きが見事に融和され、まるで大河の流れにも形容できるものである。

ハインリッヒ・シュッツ、バッハ、プーランク、ボーン・ウィリアムス、ブリテン、さらには日本人作曲家柴田南雄の作品であろうと90分の演奏会でバロックから現代作品に至るまでの演奏領域の幅の広さを同合唱団は備えており、聴衆はあたかも音楽によって魔法にでもかけられたかのごとく耳を傾け、「太陽の昇る国−日本」の音楽家たちの演奏に魅了された。

当夜のハイライトは議論を待つまでもなく「追分節考」であろう。オレンジ色の衣装を身にまとった女声合唱団員と青に身を包んだ男声合唱団員が教会の中をまるでそれぞれが意のままの如く歩き、声を上げ、見事な響きで教会空間を満たしてくれる。指揮者当間は合唱団員の即興性を促すかのようである。隅から男声が鳴り響き、内陣からは柔らかい音色が耳に届く。最後の音韻が鳴り止んだとき当間修一が笑顔を浮かべ一礼をする。聴衆は日本からの合唱団への鳴り止まぬ拍手で感謝の意を表す。

(イエルク・ドルヒシュテヒャー)

(写真)大阪からの合唱団員、聴衆を「太陽の昇る国」へと音楽により誘う。−圧倒的な音楽の体験である。
(訳:高橋 憲)


<ポツダム新報>
1998年8月17日

東洋の完璧さ−大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団、フリーデンス教会にて客演

合唱団がある特定の名のしれた作曲家の名を冠したとすれば、そのことは同時に芸術の伝道者たることを告げたことになる。そのように大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団は1977年の創立以来、とりわけシュッツの作品に深い係わりをもってコンサート活動を行ってきたのである。最初は尋常でないと思われることも、確かな論理性が欠けていることはないのである。ヨーロッパ音楽、とりわけドイツ音楽への傾倒を日本人達は決して隠すことはなかったのである。極東のプロイセン的完璧さとでも形容し得るにふさわしく、同合唱団はポツダムのフリーデンス教会の演奏会では当間修一の指揮のもと、ア・カペラ・アンサンブルにより、ドイツ音楽の父、ハインリッヒ・シュッツの作品の要求する全てのものを満たしていた。

第四回目のドイツへの演奏旅行では再統一後、新たに加わった連邦州でも客演を行い、ポツダムで最終公演を迎えたが、完璧なまでにトレーニングを重ねた若い合唱団員達はシュッツの六声の合唱作品「言葉は肉となり私たちの内に宿った SWV385」(1648年「宗教的合唱曲集」より)では明確な言葉遣いと解き放たれた発声が力強くもありまた明瞭な響きとなって聴衆を魅了した。八声における二重合唱曲、ドイツ・マニフィカトからの"Meine Seele erhebt den Hern SWV494"(我が魂は主をあがめ)においては同合唱団は芸術性豊かに、かつ快活で明るい透明性のある声部の躍動感のある素晴らしい演奏を示してくれた。教会の音響にも配慮され、見事に表現されており、歌詞の一言一句が明確に聞き取れ、この様な演奏は当地ドイツの合唱団も手本とするが良いであろう。

同合唱団は同時にバッハの二重合唱モテット"Der Geist hilft unser Schwachheit auf BWV225"(聖霊は私たちの弱さを助けて下さいます)も苦もなく演奏したが、その解釈はアカデミックな煩雑さにとらわれることなく作品の持つ自明の快活さを前面に打ち出したものであった。ソプラノ声部におけるある種のそっけなさは聞き流すことはできないが、これも東洋の音の響きへの接し方によるものかもしれない。

この印象からしてわずかながらも女声合唱のみによるフランシス・プーランクの作品「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は問題が残った。四声の男声合唱曲「アッシジの聖フランチェスコの四つの小さな祈り」は深淵な詩編頌読のあたたかい声楽によるイントネーションがバスと輝きに満ちたテナーで拡がりを示していた。

合唱団員はドイツ語、フランス語、及びラテン語の発音のみならず英語においても正確に身につけており、ベンジャミン・ブリテンの作品"Hymn to St.Cecilias"(聖セシリア賛歌)にもそのことが伺える。音楽の守護神への讃歌であるこの作品では軽快かつ喜びに満ちあふれたコロラトゥーラの流暢さから崇高で情熱的な迫力が鳴り響いていた。様式の異なる様々な作品においても完璧さと精確さへの努力がなされ、音程をはずることは全くといってよいほどない。

フリーデンス教会の祭壇場からの賛歌が鳴り止まぬうちに男声合唱団員は正面玄関の方へと向かうが拍手なくして教会を後にするためではなく、空間における音のコラージュと言うべき柴田南雄(1916−1996)の作品「追分節考」への準備のためである。指揮者が文字で合図するとテノールのメロディー豊かな歌が響きわたり、追分地方の民謡を歌い始める。他の男声合唱団員も教会の通路を歩きながら歌い、昔の馬方の馬子唄が僧侶の読経の如く聴衆を驚かせつつも強烈な印象を与える。ここでは日本の民謡が通俗的であるとして日本の音楽教育へのあり方に対する批判と受け止められることができる。祭壇場からの怒りに満ちたののしるような女声合唱は優位に立とうとするものの、断続的に襲いかかる反抗するような音韻にかき消されてしまう。

スタンディング・オーベーションによりアンコールとして女流オルガン奏者、松原晴美によるオルガン演奏が当夜のコンサートに変化を与えていた。バッハの「プレリュードとフーガハ長調BWV545」では単調で数学的に測ったような演奏ではあったが、サンチン・プレステス(1938年生まれ)の「アレルヤ」はそれに比して魅力的な演奏を披露してくれた。

(ペーター・ブスケ)

(訳:高橋 憲)


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