『賢治さんの軌跡〜下ノ畑ハ確カニアッタ 
      みちのく一人旅'99その8』

(2003/06/02)

 宿で十分な睡眠もとれ、すっきりした頭で、花巻の町に繰り出しました。駅から3分ほど歩いたところに、コンビニエンスストアがあり、そこで自転車を貸してくれるのでした。丸一日借りても¥1,000です。
 
 まず目指したのは、「雨ニモ負ケズ」の詩碑です。花巻市の南の方にあります。不慣れな土地なので、地図を片手に迷いながらのサイクリングです。
 
 国道を南に下っていくと、一面の田圃の中に、こんもりとした林が見えてきました。案内の矢印はそちらを指しています。




さらに自転車を進めると、ひっそりとした静かなたたずまいに、その詩碑はありました。そこは少し小高い丘になっていて、周りの田畑が一望できます。





ここは賢治さんが羅須地人協会を開き、自耕自炊した場所です。そして下に広がる田畑は、賢治さんの「下ノ畑」なのです。ここで賢治さんはどんな思いで生活をし、そして農民の指導に当たったんだろうか。しばらく僕はそこにたたずんでいました。
 
 その場所を後にして、次に目指したのは賢治さんの眠る身照寺です。お墓参りをしたかったのです。そこは詩碑よりは少し北、花巻市街のはずれにあります。国道を北上、そこから西へと向かいます。途中道が不確かになり、道を尋ねる場面もありましたが、みなさんとても親切でした。
 
 小さい山の中腹に身照寺はありました。別に観光地ではないので、ひっそりとしています。墓地の一角に賢治さんの墓がありました。先にタクシーの運転手に案内された家族連れの方がいて、いろいろ説明を受けていました。線香を上げようとしていたので、一緒に上げさしてもらいました。ここからも町や田圃がよく見渡せました。
 
 次に目指したのは羅須地人協会です。これは花巻市よりかなり北、駅で言うと二駅分北にあり、花巻空港の北はずれに位置しています。僕は国道をひたすら北に向けて自転車をこぎました。
 
 車の往来の激しい国道を、ひぃひぃ言いながらこいでいると、花巻空港が見えてきました。
 
 ・・・おぉ!もうすぐだ!・・・・・
 
 ・・・・・・しかし・・・・・・
 
 こげども、こげども空港の端はなかなか見えてきません。そりゃそうです、滑走路の全長だけでも3km近くあるんですから。空港が見え始めて10分を越えた頃ようやく端まで来ることが出来ました。羅須地人協会の案内板もあります。
 
 角を右に曲がって少し行くと花巻農業高校が見えてきました。矢印は校内を指しています。少し不安になり、ガイドブックを見ると・・・、高校の敷地内に移設されたとあります。おそるおそる自転車を進めました。入ってすぐのところに、その建物はひっそりとたたずんでいました。



 
 ちょうど観光客も誰一人いません。建物の入り口の方に回ると、あの有名な黒板がありました。


 ・・・「下ノ畑ニ居リマス  賢治」・・・・・
 
 賢治さんがそれをたった今、書いたような、不思議な感覚におそわれました。不思議とその存在をすごく身近に感じたのです。不思議な気持ちで建物の中へと入りました。





 すぐに階段があって、右手の部屋は農民に教えるための教室、左手がおそらく寝泊まりしたであろう居間、2階が書斎になっています。少しひんやりとしていて、不思議な静けさに包まれていました。
 
 わたくしといふ現象は
 
 仮定された有機交流電燈の
 
 ひとつの青い照明です
 
     (あらゆる透明な幽霊の複合体)



 風景やみんなといっしょに
 
 せわしくせわしく明滅しながら
 
 いかにもたしかにともりつづける
 
 因果交流電燈の
 
 ひとつの青い照明です
 
      (ひかりはたもち、その電燈は失われ)



 
 宮沢賢治という有機交流電燈は、もう失われてしまいましたが、その青い光はそこに確かに残っていたように感じたのでした。


<前頁 | 目次 | 次頁>
このシステムはColumn HTMLカスタマイズしたものです。