日々つれづれ
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2000年3月7日(火)
今後は

何の予告もなしに、いきなりこの場所に書き始めましたが、
ここには、日々感じたことをそれとなく書いていこうかと
考えています。
 
いわゆる日記のようなもんです。
 
もう一つここで目論んでいるのが、
通勤時間中に原稿作成→HPへのアップです。
 
現在、僕が持っているシステムだと何とか可能なのです。

・カシオペアA−55V:原稿作成
・ドコモのPHSパルディオ321S:サーバーへのアップロード
 
毎日はきっと無理でしょう。でも、少しずつでも良いので、
やってみようかと今、考えております。
 
  #ちなみにこの原稿もカシオペアで書いております。
 
というわけで、どうぞよろしく。

2000年3月7日(火)
もうすぐ春

このところ仕事が非常に忙しい。
いろいろがんばってはいるけど、
片づけたそばから仕事がわいてくるようだ。
ホームページの更新をしばらくしていなかったので
こうやって書いてるわけだ。

職場ではISO14000というのを取得するのに
結構忙しい状態になっているのだ。
さっきも大量の紙を業者に引き取ってもらったばかりだ。
よくもあれだけ紙があったもんだ。

とにかく、運んでも運んでも後から後から紙がわいてくる。
でも、紙をぽんぽん投げまくるのはけっこう楽しかった。

外はとても良い天気。
空気にも春の息吹が感じられるようになった。

もうすぐ春だなぁ・・・。

2000年3月8日(水)
昨日の出来事

しかし、今朝は寒い!昨日の朝とは別人のようだ。
これだけ寒いと町中を走るのは少々辛いモノがある。
 
風邪をぶり返す人がいなきゃいいんだけど・・・。
 
昨日の練習の帰りにちょっとしたハプニングがあった。
 
地下鉄梅田駅で降りて、
ホームからの階段を上がろうとしたとき
いつもならもう動き出している電車が発車しないのだ。
そして、男性の大きな声で
 
   「人が倒れてる!発車するな!」
 
と聞こえてきたのです。
 
声のする方に駆け寄ると、車内に男性が倒れていて
どうも呼吸が止まっている様子でした。
側には男性と女性が一人ずつついて
その倒れた男性に呼びかけています。
 
  「救急車!救急車を呼べ!」
 
介抱していた男性が叫びました。
 
反射的に僕はいつも使っているPHSを取り出して、
駅員に渡そうとしました。
しかし、若い駅員は動揺しているのか、
電話のある事務室に向かおうとしていたので、
その駅員を呼び止めて
 
 「これでかけれるから使ってください!」
 
最初何のことか分からなかった様子でしたが、
ようやく気づいて、ダイヤルしようとしました。
 
しかし、動揺している時は「119」すら出てこないもんですね。
その若い駅員は「1」と押したきり次が出てこない様子でした。
 
「1,1,9です」
 
そう僕が側で言うと、
ようやく一つ一つ確認するようにダイヤルし始めました。
 
その後、救急センターに連絡が取れ、
ひとまず駅長室に運ばれた男性も息を吹き返し、
事なきを得ました。
 
てんかんの発作だったようです。
駅長室に、救急センターとの電話を切った旨を
連絡に行ったときの
駅員の人たちのほっとした表情が印象的でした。
 
と言うわけで昨日の出来事でした。

2000年3月9日(木)
恐るべし、播但線・・・・

今日は、午前中に姫路に出張だ。
昼からは仕事があるので
一応職場に戻ることになっている。
 
上司を伴っての企業巡回だ。
要するにセンターの宣伝活動なのである。
 
9時半にJR播但線の京口と言う駅で
待ち合わせることになっているので、少し早めに行こうと
9時少し前に姫路駅についた。
 
すぐに乗り換えられれば9時過ぎには京口駅に着くかな・・
と思い播但線のホームに行くと・・・
 
時刻表には寺前行き9時23分・・・・・・・(^^;)
 
9時台は1本しかなかった・・・。
 
は、早く来た意味が・・・・(;;)
 
        お、恐るべし、播但線・・・・。
 
話にはまだ続きがある。
時刻表には、9時23分発となっているのだが、
電光掲示板には、9時28分、
そして、ホーム案内の電光掲示板には、9時23分とあるのだ。
???どれが正しいんだ?
近くにいた駅員を捕まえて尋ねると
 
駅員:あ、それね、変更になって28分が正しいです。
ぼく:2つの電光掲示板の表示が違いますけど・・・
駅員:ほんまやねぇ・・・(駅員去る)
 
        お、恐るべし、播但線・・・・。
 
ようやく電車が到着、 上司とも合流し一駅目の京口駅で降りると・・・・
え?む、無人駅・・・・・
き、キセルしちゃった・・・・。*)
 
        お、恐るべし、播但線・・・・。
 
 #*)ちゃんと後で姫路駅で申請して支払いは済ませました
 
でも、営業宣伝活動の方はうまく行ったのでした。
 
しかし今日はホントに寒いなぁ・・・

2000年3月18日(土)
明日は・・・・

思いの外長いこと更新が止まっていました。
書きたいことはいっぱいありましたが、
ちょっと書くのに時間のかかりそうなネタが多かったので、
UP出来ずにいました。
 
これらのことはMLで流すか、ここで取り上げるかしていく予定です。
 
ところで今僕は、倉敷にあるホテルの一室でこれを書いています。
明日は、倉敷音楽祭のステージです。
 
ここのところちょっとオーバーワーク気味で、金曜日は職場を
休むことになってしまいました。
 
休んだおかげでずいぶん体調は持ち直しました。
やっぱり休養を取らないとだめですね。
 
実は日本での初めての地方都市公演と言うことで
個人的に緊張していたのでした。
 
今日も倉敷に着いたときは体調のこともあって結構緊張していて
ピリピリしていたんですよ。
 
ホテルにチェックインして、会場の市民会館を見に行き、
戻ろうとしたら、先に来ていたみんなと合流しました。
 
不思議なもんで、みんなと話しているうちに
徐々に緊張がほぐれていったのでした。
 
明日はがんばりますので、たくさんの人に聞いてほしいです。
 
それではお休みなさい。

2000年3月21日(火)
倉敷終了

とりあえず、何とか無事に
倉敷の音楽祭を終えることが出来ました。
直前に体調を崩すこともあって、どうなるかと思いましたが、
無事に終わりました。
 
今日は久しぶりの職場です。
 
喉の腫れの方は、ようやく治ってきたようです。
来週のマンスリー、そして来月始めのヨハネに向けて
体調を整えて行かねばと思っております。
 
今回の倉敷は、関西から関西以遠から
応援に来てくれた人たちを含めて、
とても暖かいお客さんに恵まれた演奏会でした。
 
これをきっかけに、日本での地方公演が、
演奏旅行が出来れば良いなぁと、ふと思ってしまいました。
 
ドイツでのようにね。夢ですが・・・。

2000年3月23日(木)
弟のメール

僕には7つ下に弟がいます。
彼もちゃんとコンピューターを持っていて、
時々E-mailを送ってよこしたりします。
 
でも、来るときは決まって
 
  「兄ちゃん、今月ピンチなんだよぉ」
 
と言う内容です。
 
そんな弟から学生生活最後になるだろうメールが届きました。
その1通前には、助けてメールが届いていたんですが、
その最後になるであろうメールには、社会に出る不安と
寂しさが綴ってありました。
 
彼は下宿だったので、卒業を控えて
周りからどんどん友人が、巣立って行くのを見ているわけで、
とうとう、彼を残してみんな下宿を引き払ってしまったようです。
 
後10日ほどで、社会人なわけです。
 
そんな季節なんですね。もうすぐ春ですよ。
仕事柄、年度末!っていう意識しかありませんでしたが、
弟からのメールを見て、改めて、
旅立ちの春なんだと気が付かされました。
 
メールの最後の方には、社会人になるにあたっての決意と
「お兄ちゃんこれからもよろしく!」と言う言葉で
締めくくられていたのでした。
 
なんだかんだ言っても、しっかりしてきたなぁと
妙な感慨にふけってしまいました。

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Akiary v.0.51