日々つれづれ
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2001年1月7日(日)
21世紀

色々ありましたが
結局21世紀は来ました。
 
子供の頃は、それこそ映画や漫画の中で
自由に描かれていた21世紀でしたが、
実際に来てみると、それほど派手な変化はなく、
淡々とやってきたと言うのが僕の印象です。
 
人類の未来を、
生物の受精からの変化に例えた人がいます。
体が形作られ、体を動かす内蔵や筋肉が発達し
そして脳が発達をするように
人類も進化すると論じているのです。
 
それはインターネットと言う線を通じて
これまでバラバラだった人と人を
個人の単位でつなげようとしていることに
通じていると僕は思います。
 
あたかも脳細胞が情報伝達のためにお互いをつなぐように。
 
今世紀は、人類が地球人となるための
進化を遂げる世紀なんじゃないか、
そんな気がする今日この頃です。

2001年1月21日(日)
私が歌う理由(わけ)1

大学の合唱団の後輩からメールが来た。
その中に
 
*********************
で、質問なんですけど、
阿部さんはどうして合唱を始められたんですか?
なんかふと気になりまして。
*********************
 
というのがあった。
どうしてでしょうねぇ?
合唱嫌いだったのにねぇ・・・・。
 
ちょっと振り返ってみることにした。
 
小さい頃から【歌うこと】は好きだった。
音楽との接触は、家にステレオが来たことから始まる。
母親が通販か何かで、
10枚組のクラシックのLPを購入。
家事の合間にかけていたのを聴いていたんだろう。
 
初めて聴いた歌曲は、ヘルマンプライが歌う
ベートーベンの「Ich liebe dich」だった。
 
色々バラエティに富んだLPだったので
交響曲から歌曲、果てはガットギターの曲まで入っていた。
僕はギターのLPがお気に入りで良く聴いていたのだ。
 
その他にも、レコード付きの絵本があって、
絵本を読みながらレコードを聴く
というようなことをしていたと思う。
 
そして幼稚園の年長組の時に
「ヤマハ音楽教室」に通うことになる。
 
・・・・つづく

2001年1月22日(月)
私が歌う理由(わけ)2

というわけで、ヤマハの音楽教室に
通うことになった。
 
この時習ったのはエレクトーンだ。
 
が、・・・・・・。

 
エレクトーンの練習が嫌いという致命的欠点が。
要するに「ものぐさ」だったのだ。
嫌いなことはしない、というわがままな奴だった。
でも、教えてくれる先生のことは好きだった。
 
それと、このレッスンはエレクトーンを弾くばかりでなく
「歌の時間」があった。
 
ご想像の通り、この時間だけは水を得た魚のように
ガンガンに歌っていた。(この辺は今と変わらん)
 
声も大きく喉も強かった。

 
せっかく買ったエレクトーンで
あまりまじめに練習もせず、やっていたのは
テレビ漫画などの主題歌のコピーだった。
もちろんメロディラインだけなのだけれども。
 
そこで妙なこだわりがあった。
 
主題歌は
原調で歌うものである!

 
そう、子供の頃って普通は自分の歌いやすいキーに
勝手に変えて、そんなこと全く気にしないのが
 

普通でしょう。
 

しかし、当時の僕はそれが
 
すごく気持ち悪かった、のだ。

 
こうして、右手ばっかりでエレクトーンを弾く
親泣かせ、先生泣かせの生徒として
ばく進していくのであった。
 
・・・・つづく
なかなか合唱の話が出てこない・・・・。
ま、いいか。

2001年1月25日(木)
私が歌う理由(わけ)3

結局エレクトーンは転校するまで続けた。
小学校2年生一杯までだ。
 
小学校3年の時、香川に父親の転勤の都合で、
転校することになり、
それを境に止めたのだった。
 
結局とりあえず両手で弾けるかな(?)
というレベルに留まったのだった。
しかし右手はずいぶん進化し、
テレビの主題歌を耳でコピーし
メロディラインだけなら弾けるようになっていた。
 
それからは音楽の授業だけが、
音楽する唯一の時間となる。
 
香川の坂出は、自然が一杯で、
外で遊ぶことが多かったのだ。
 
そんな中、合唱との最初の出会いがあった。
おぉ、やっと出てきた(^^)
 
母親につれられて、PTAコーラス
いわゆるママさんコーラスを見ることになったのだ。
母親がそれに通ったのかどうかは忘れた。
 
が、少なくとも僕はその日から

 
合唱が嫌いになった。のだった。

 
理由は至ってシンプル。
 
「大勢で歌ってるくせに
 歌詞が全く分からない
 全く聞き取れないのが腹立つ」

 
だった。当時の僕はそれが許せなかったようだ。
 
そんな深い考えがあったとは思えないのだけれど
 
シンプルに「歌にとって歌詞は大事」
 
思っていたようだ。
 
このことを境に少なくとも僕は
「合唱」が嫌いになり
以後それがしばらくの間、続くことになるのだった。
 
・・・・つづく
そう、僕の合唱暗黒時代が始まったのだ・・・って大げさか・・・。

2001年1月29日(月)
私が歌う理由(わけ)4

ここからしばらくは、学校の音楽だけが
僕が音楽に触れる唯一の時間になる。
でも合唱が嫌いなのはしばらく続くのだ。
 
ただ救いは
【歌うことが好きだ】という点は変わらなかった
ということだ。
 
そんな中、映画が好きになっていくのだ。
 
ちょうどスターウォーズやスーパーマンが公開され
007の映画も隆盛を誇っていた時期だった。
 
とにかく映画に引き込まれ、そして
映画音楽が好きになっていった。
 
そして、香川から神戸に転校することになった。
 
映画を見るには最高の環境が整ったわけだ。
こうしてお年玉をためて、映画を見に行くという
日々が始まったのだ。
 
やがて中学校に上がって更にこの生活に拍車が
かかった。もらえるお年玉の額が増えたので
映画にいける回数も増えてきたのだ。
 
もう、ジャンルは何でもありで、ありとあらゆる
映画を見に行っていた。
ある時期、映画を毎週末見に行くということもあった。
 
当時(今でもやっているのかなぁ)
映画音楽専門のFM番組があり、
それを毎週エアチェックするようになる。
 
他には深夜放送も聴くようになった。
 
そんな中、
中学3年間ずぅ〜っと好きだった娘が
アルフィーが好きだったこともあって僕もファンになった。
 
 #今にして思うと単純やなぁ
 
こうしてクラシック、合唱とは縁遠い
中学生活が過ぎていった。
 
・・・・つづく

2001年1月30日(火)
花火確保(予定)

昨日、花火の場所を確保(予定)した。
 
要するに今住んでいる場所のすぐ近くに
中古のマンションを購入するために
昨日、仮契約の手続きをしにいったのだ。
 
ああいった経験は初めてで、
全く退屈はしなかった。
 
とにかく自分の名前をいっぱい書いて、
多少疲れもしたけど、ふ〜〜ん、ふ〜〜ん
と感心することが多かったのだ。
 
そして、怖いくらい、粛々と
進行していった。
 
売り主さんとの契約は1時間ほどで終了。
その後、担当者さんと
ローンのことなどで打ち合わせて
1時間ほどかかった。
済んだのは9時過ぎだろうか?
 
まぁ、まだ銀行の本審査も終わっていないので
もう一波乱あるかもしれないけれど
それはその時だな、とも思うのだ。
 
賃貸ではなく、購入。
 
目的はみんなが見に来るための「花火」。
 
なかなか良いねぇ・・・・。
なんて思う今日この頃だ。

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