日々つれづれ
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2012年5月8日(火)
十字架上に始まり、十字架上に暮れた連休

のんびりとした連休初日、
それは一本の電話から始まった。

まるで16年前の
あの出来事の再来のように。

ビクトリア合唱団の合宿に参加しないか?
千原さんの十字架上を、
ソロ部分を歌いなさいという。
16年前と同じ、ちかさんからの電話だった。

出だしから、「??」だった。
そもそも、譜面がないのだ。

ビクトリアの合宿は来週末の2泊3日。
動揺を抑えつつ、いつから、どれだけ参加するか、
判断は保留した。
後に譜面はTCMCの演奏会のとき、
佐知子から貰えるらしい。
その夜は会計会議に出席。

翌日の日曜日は男声練習。
ドキドキしてもしょうがないので、
集中集中。
練習後、気の置けない面子で飲みに行った。

月曜日祝日、TCMC演奏会当日。
演奏会場にて、楽譜は、きしまきから受け取る。
良い演奏会で、打ち上げも2次会まで出て、
ホテルに戻ったのは、深夜2時半。

明けた火曜日、
朝食後、ホテルを出るまでに時間があったので、
預かった楽譜に目を通す。
何はともあれ、ソロ部分を。
・・・・・・!

昼より、井の頭公園散策後、食事のときに
当間先生に、合宿参加日程に関して確認。
佐知子にメール連絡。

少し寄り道して
大阪の室内合唱団の練習へ。

明けた水曜日、
家にあるチェンバロ搬出のための片付け。
夜はOCM合唱団の練習。
練習後の飲み会で、えっちゃんから
ビクトリアの録音置き場を教えてもらう。
ここで、おおよその曲の感じがわかる。

木曜日、野暮用で職場へ。
夕方頃、帰路につく。
練習録音聴きつつ、帰りにカフェに入り、
強弱を確認。
帰宅後、チャンバロ搬出の準備作業を少し。

翌日、金曜日朝。
11年同居したチェンバリーナが
旅立った。

当初、次の場所への搬入も立ち会う予定だったが、
練習練習。
お、新しい録音が上がっている。
僕の家に連絡が入るまでの経緯を知る。
なるほど、この裏で、僕に連絡があったわけだ。
面白い。

明けた土曜日、
マキノへ向かう。

合宿は良い雰囲気だった。
練習を聴いている間は、
贅沢な時間。
だって聴衆は僕だけ。

ただ、いつ歌いなさいと言われるか
という緊張感を伴いながら。

そんなこんなで、
気がつけば、
この連休は、十字架上に満ちていたのだった。
ビクトリア合唱団の演奏会は
もちろん聴きに行きます。

2012年5月26日(土)
ゆく河の流れは絶えずして

星くんが配っていた『方丈記』覚書に目を通す。

今やっている大河ドラマと
リンクしている事実に驚く。
明日放映の回がまさに
鴨長明が生まれた頃の話で、
清盛の死の時、彼は25〜6歳。

人生における良い時期かと思いきや、
平家の隆盛で、おそらく一時的に良くはなるんだろうが、
政治的にはきな臭いわ、
大火事、竜巻、父親亡くすわ、
福原遷都で世の中がメチャクチャで、
周りには餓死した人が累々と。

その後、大地震で壊滅的なことに。
方丈記の記述を見る限りにおいて、
津波があった事実も確認できる。

その記述もライブ感がある。

ここで、はたと思う。
日本という国土はこの繰り返しだったんだろうな、と。

この20年ばかりの間に
2度の大震災。大火。
先日の竜巻。
大恐慌並みの経済混乱
政治の混乱、
カルト宗教によるテロ。

後の人が振り返ったら、
なんと、あの頃の人々は・・・
とでも言いそうである。

そうすると、今の世にも、
人しれず、鴨長明している人が
沢山いるんだろうな。

それの現出がブログであったり
Twitterであったり
facebookであるなら、
日本人の利用が多いのもうなづける。

日本の国土が
そんな人を、今も昔も
生み続けているのかもしれないなと
そんなことを考えた。

良い覚書、ありがとう。

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