No.561 '04/9/3

<悦び>と<驚き!?>の「レニン(Lehnin)」&「ツィナ(Zinna)」


さて、いよいよ今回の演奏の中で大きな充実感を得ながら「?」が付いた二つの演奏会の報告です。
しかし、その話をする前に、やはり一日の始め、朝の報告からしますね。

ドイツに着いて4日目、そして演奏会が始まって二日目です。
昨日の「マグデブルク大聖堂」での闘い(笑)、そしてそれは初日の演奏会ということもあって相当疲れがあったようです。
朝早い食事もこの日ばかりは皆、遅かったですね。
私も8時半頃となってしまいました。 朝食後ホテルのプールで体をほぐします。
プールは小さいのですが、深さはまずまず。歩くのも良し、もちろん泳ぐのも良し。
団員もちょこちょこ泳ぎに来ていたようです。

午前中は練習。
昼食は学食で。そして午後、「レニン」へ出発。
3時50分「レニン」に到着。バスを降りてから10分ぐらい歩きます。
美しい町並みです。そしてこれがまたよく清掃されていて綺麗なんですね。
「ゴミゴミ」なんて言葉はここでは無いのではないでしょうか。
しばらく歩いていると懐かしい修道院が見えてきました。
以前ここでの演奏会はとても良い印象として私に残っています。
その時、演奏は上手くいったと思うのですが、一人の老婦人の姿が今もよみがえるんです。
涙を流して喜んで下さっていた多くの聴衆の中で私はふと、一人のこの老婦人が目に入ってきたのですね。
その婦人は一生懸命頭を横に振っているのです。
確かめられなかったので本当のところは判らないのですが、私には「いや、これは私の求めている音楽ではない。これは違うんだ!」と示したかったのではないかと映ったのです。
スタンディング・オベーションの中、床を踏みならして歓迎し、喜んで下さっている多くの聴衆の中で、私はその姿がとても大きく見えました。

私、これ、ショックでは無いんです。
その時、本当にドイツに来て良かったと思ったのです。
それまでの評価で自信をつけていた私にとってその体験は、一生懸命聞いてくれていることに対して、そしてその婦人が聴き慣れていた音楽と違っていて「これは違うよ」と示してくれたかもしれないことに対して、とても感動し、納得できたのでした。
私にとって、「レニン」はまた訪れたいと強く思っていた街なんです。

今回の演奏旅行、その演奏地選びに関しての私の願いは一つでした。
(出演料の交渉など今回は気にしませんでした(笑))
願いは、「今まで行った所で演奏会がしたい」ということ。
「レニン」はその中に入っていたわけです。

そのように好印象だった、もう一度行きたかった「レニン」でした。
今回は以前より更に増して聴衆が集まっていたと思います。大きな聖堂は満席。立ち見も出ていました。
そして、演奏が終われば床の踏み鳴らしが怒濤のように迫ってきます。前方から立ち上がる人たちが波のように後ろ、横へと広がっていきます。聴衆の顔は笑顔、そして泣いている方もいらっしゃる。光景は以前に重なるものの、より強い反応だと思いました。

この演奏の成果が<悦び>だとすれば、じゃあ、<驚き!?>とは何か。
実は今回の演奏会、照明が付いたんです。
「音楽」と「照明」のドッキングとして計画されていたんです。
「今度は照明が付きます」とは最初から聞いていたことは確かなのですが、日が近づくにつれ、それは大がかりで、融通の利かない(大がかりだからそうなるかもしれないですね)、私たちの想像を遙かに超えたちょっと「?」の代物だと判ってきました。
これはとんでもないことになるかもしれない、そう私は不安したのですが、それが的中です。(当日、リハでの照明変更は一切応じないとか、そのリハでも不思議なことに全部は見せてくれないのですね。これはきっと<即興>で明かりを作ろうとしているからではないか?と私は不安にかられました(笑))

礼拝堂はちょっと私にとって趣味の悪い(失礼!)「イルミネーションの館」。
青色、赤色などの照明が祭壇や壁を彩ります。私たちも染められてしまうのですが、顔や、譜面のことは全然考えられていない!音楽に合わせて、即興的に色を放っているだけと私には映るのです。
そして、ついには真っ暗な中で歌わなければならなくなるといった事まで起こってしまったのですね。
バッハのモテット、二楽章の間中なんと聖堂は闇となってしまいました。(笑)

合唱団も私も偉かったですね。(笑)止まらず素晴らしい演奏をしました。(笑)
上でも書いたように、演奏は上手くいき大拍手の中で終えたのですが、この照明と実はもう一つ、録音担当者との一悶着が翌日の「ツィナ」まで尾を引くことになるのです。
録音担当者との問題は、我々が個人的に録ろうとしたリハの録音(個人のチェック用)の禁止ということに関してです。
合唱団側に伝わってくる情報が二転三転します。つまり「OK」と「ダメ」が交叉します。
私は練習のことで頭がいっぱい。団員は録音したいので世話をしてくれている人に確かめます。最終的に「OK」との情報があり録音する用意をしたらしいのですが、録音担当のドイツ人がある団員の録音機のマイクコードをいきなり引っこ抜き(事前に通知することなく!)、「今度録音すれば、ニッパーで線を切ってやる!」とまで言って威圧、脅かしたというんですね。
これには合唱団員もビックリ。さっそく抗議です。
本番の録音はもちろん修道院のその担当者にお任せ(我々は録音しません)、しかし、リハでの個人用(MD録音機)の録音を禁止するのは少し行き過ぎではないか?(事実、取り決めの厳しかった後日のベルリン大聖堂でもこれはOKでした)それよりなにより、実力行使で通達もしないでいきなり線を引っこ抜き、そして脅かすような仕草。これは許し難いことです。団員は強く抗議し、ドイツでの我々の担当者も抗議します。

演奏会後、食事です。
さぁ、そこへカントール、そして照明の人物がやって来ます。(録音担当の人は現れませんでした)
始めは友好的に談笑です。(笑)
カントールは我々の演奏に驚いたこと、聴衆が本当に満足し、感動していたと挨拶です。
私は何気なく照明担当者に照明のミスを指摘。そこから一気に緊張感が走ります!(笑)

この関係、翌日の演奏会「ツィナ」での終了後の宴席へと繋がります。
「レニン」と「ツィナ」は二人のカントールが協力し合っている「夏の音楽祭」のようです。ですから、「ツィナ」も「照明」が同じ。そして録音も「レニン」と同じでした。
「ツィナ」では照明は少し良くなったと私は思ったのですが、合唱団にはあいかわらず不評でしたね。(笑)
「録音」は昨夜の抗議が功を奏してか、リハでの録音はOK。
その録音担当の方がちょっと気の毒に見えたので、私は指揮を振る直前、彼の所に近づき録音用に使っている「Mac」の話をしたのですが、その時の彼の顔は友好的でした。(笑)

どうしてこんなことが起こったのか?
相互の事前の打ち合わせがかみ合っていなかったのですね。両者のそれぞれの言い分もあるようですが(両者とは、交渉しあった修道院の担当者、そして私たちがお任せしたクランさん)、話を聞いている限りこれでは「一致協力」「理想的な照明と音楽の関係」など及ばないと思いましたね。
しかし、はっきりと私は言ったのですが、もしそうであったとしても、演奏者の顔にライトを当てる配慮がない、そして楽譜を見るだけの明かりを保証しないというのはいけません。(暗譜が前提だったのでしょうか?しかし、そのことは後の話でも一度も話題に上がりませんでしたから、照明担当者も実は考えていなかったように察します)
来場して頂いていた「レニン」の前任者の牧師婦人から後で聞いた話では、実は録音のことや照明のことは修道院側でもその後波紋を呼んでいるそうです。

「ツィナ」の演奏会ではもう一つ奇異なことが起こってました。
それは「レニン」ほどお客は入らなかったのですが(「ツィナ」のカントールは入ると予想してましたが)、聴衆が後ろの方に集まって座るのですね。
どうして前に座らないのか?これは変だと思いながらも演奏を始めたのですが、どうも演奏に先立ってのカントールの挨拶の中で、照明を堪能していただくためには後ろに行かれた方が良いと言ってたようなんです。(笑)
そして何と、演奏中、前方の祭壇の上の壁には「鶴」や「象」らしきものがミラー・ボールのように映し出されたそうです。(私は見てなかったのですが、団員がそう言ってます(笑))
これがどうもメインだったらしいのですね。「鶴」らしきものが。
それが「売り」だったのでしょうね。
(これも後日談なのですが、私たちの演奏会の翌日、同修道院で集会があったらしいのですが、そこでも照明付きだったらしいのです。今度はカントール自ら演奏するオルガンに合わせてです。)

合唱には相応しくない照明だったとの思いです。もし、誰もが納得できるものを作ろうと思えば、事前にもっと打ち合わせとリハーサルを繰り返さなくてはなりません。
オルガンとの競演は良かったかもしれませんが、合唱との競演はちょっと乱暴すぎたというか、無謀な試みだったと思っています。何か新しいことをしたい、という気持は大切なことだなのですが・・・・・。(と思いつつ、祈りの場でのあの照明は私個人はちょっと疑問だということをここで表明しておきましょう)

さて、「ツィナ」での演奏会後の食事会はどんな顛末だったか?
「レニン」と「ツィナ」の両カントールが同席。
そして後かたづけを終えた照明担当者も少し遅れてですがまた参加です。
ここでは互いに遠慮無く話をしました。
照明担当の方はあの長い<暗闇>に関しては悪かったと謝罪です。
ここで、この一件は終わりです。私はそう判断しました。

また是非訪れて下さい、という「レニン」のカントールの言葉が耳に残っています。
「ツィナ」のカントールも盛んに再度の演奏会を、と話されていたそうです。

両会場での聴衆の顔がよみがえります。
不思議と穏やかな気持で両日を終えました。それは、照明や録音でそういった問題があっとはいえ、私たちの音楽に反応して下さった聴衆のあの笑顔や拍手が私に感謝と充実感を与えてくれたのだと思います。
カントールやそれぞれの担当者の立場も理解したつもりです。
また何年か後、このカントールらと笑いながら演奏会の話を同じ食卓でしている姿を想像する私です。

この両演奏会、貴重な体験であったことだけは確かな事です。
(「レニン」「ツィナ」の人たちにとっても印象深いものとなったのではないか・・・・、そう思っています)

次回は「ベルリン大聖堂」での演奏会報告です。(これもまたデカイ)



No.561 '04/8/3「<悦び>と<驚き!?>の「レニン(Lehnin)」&「ツィナ(Zinna)」」終わり