No.651 '08/03/05

アンドラーシュ・シフ(追記:03/06)


昨日、アンドラーシュ・シフの大阪公演がありました。(いずみホール)
まことに残念ながら私は行くのを断念しました。
しかし、この公演があるのを聞いた時から周囲に「聴くように」と強く推していた私です。
あまりそういったことを言わないのですが、こればかりは盛んに言ってましたね。

以前から彼の弾く「バッハ」に共感を持っていましたから、そのライブを目の前にする機会を逃してはなりません。
奥様である塩川悠子さんと私との競演もこの一ヶ月後にあるということでもありますから、お会いできるのもまた楽しみでした。
しかし、私自身はちょっと体調が悪く、本当に残念でしたが聴くのを断念と、いうわけです。(というと相当悪いと思われがちですが病気やその悪化というわけではありませんので念のため。長時間、席に座るというのが今少し不安があるのですね)
でも勧めたこともあって、私の関連で50〜60人は行ったでしょうか。(それ以上かもしれません)

で、演奏会の時間には「書斎」に籠もって仕事をしていた私は連絡が取れるやいなや行きつけのお店へ向かったというわけです。
その演奏の感想が聴きたかったのですね。(こういうのは元気に出かけます(笑))
演奏が終わったのは午後10時前(9時40分ぐらいかな)。
聴き終わったとき、その時間に驚いたと言ってましたが店に現れた皆の顔は晴れやかでしたね。

私が見聞きして感想を述べるというのが良いのでしょうが、今回は聴いてきた人たちの感想を聴きながら書くというちょっと異例の文章です。
皆の感想を聞きながら、しっかり「良いところを聴いてきてくれたなぁ」という思いでしたからそれらを書き、「自分史の一ページ」としても残しておきましょう。

一言で言えば、今や円熟の演奏でしょう。
それも、自由に自分自身の感情にしたがって「音」と対話している。
もう「プレイ」の世界です。と、聴きに行った倉橋が言っていましたね。
それは「遊びにも似た楽しさの世界」だと言いたかったのだと思うのですが、厳しさや敬虔の面持ちの中にも「遊び」の要素、つまり音に対する極めて高い集中力と余裕があるということでしょうか。

更に強調していたのは、アゴーギクの雄弁さ。
クレッシェンドやアッチェレランドが「そこまでやっていいのか?」と思うほど強調されていたと言っていました。
そうした後のテンポを戻す深遠な世界、とも言っていましたね。
またほとんどがノンペダル。(シフがハープシコードにも造詣が深いということも大いに関係があります。)
そのノンペダル奏法の中に見せるフォルテの強調(感情の深さでもあります)。そのことも興奮して、代表である中橋陽子が紅潮しながら言っていたのが印象的です。

もう一つ言っていたことがありました。
ピアノの調律ですね。
低音部と高音部の調性の仕方が違うのではないかと言うのです。
ある調性では調和し、またある調性では不協和になっていた、というのですね。
簡単に言えば、ハモっている調とハモらない調があった、ということでしょうか。(転調の際に顕著に表れたと言っています)
とくに、最後の終止の和音の中にこれまで聴いてきた響きではないものがあり、少し違和感を感じたようです。
私が思うところ、それはきっと調律法が違うのでしょう。
どういった調律を用いたかは聴いていないのでハッキリとは言えないのですが、きっと古典調律を用いていたのではないでしょうか。
あるいは古典調律の改良型かもしれません。
持ち帰ってきたプログラムに「ピアノ調律:ロッコ・チケッラ」という名前がわざわざ銘記されているのでシフの要請であったことは充分に伺うことができます。
とにかく、「調律」にこだわるシフもまた納得のいくところです。

バッハの「パルティータ」の面白さを充分に伝えた演奏だったと思いますね。
いや、バッハの音楽の面白さを伝えてくれた演奏会だったのではないでしょうか。
音楽の中に「 playing」的要素を、と主張する私にとってアンドラーシュ・シフに惹かれるのは当然でした。
その要素に人間的な深みが加わった演奏、それが今回の演奏だったのではなかったかと想像した次第です。

超満員の観衆(席は一席も空いていなかったのでは、とのメンバーの話です)。演奏後おおいなる「ブラボー」が飛び交ったそうです。
演奏の長さに戸惑った人も居たかもしれませんが(帰宅する交通機関が気になってのことかもしれません)、本当に音楽を堪能しての「ブラボー」だったと、強く願った私でした。

行けなかった私。残念でしたが、行った者がその音楽に感銘を受けたのは事実。
その感銘・感動の要素が私と共振したこともまた事実。
私は行って聴くことはできなかったけれど、行って聴いた者との共感を感じる。
その音楽を与えてくれたアンドラーシュ・シフは偉大だ。〔真面目な(笑)〕
そして「音楽」もまた偉大だ。

音楽ってやっぱり「共振」ですよね。(またかと思われた方もいるかも。すみません。同じ言葉ばかりで)
一人で喜んだり、楽しんだり、納得したり、けなしたり(?)。
それもいいけれど、演奏する者も、聴く者も、一緒に心が共振できれば本当に幸せですよね。
それは、一緒に遊ぶことから始まるかもしれないと私は思っているようです。
「遊ぶ」、これは「遊び心」がある、あるいは「遊び心」を持つ、ということですよね。
大いに「遊び」を摸索する。
これですね。

昨日は残念でしたが、ちょっぴり幸せな思いも頂きました。
アンドラーシュ・シフに「ブラボー」です。



No.651 '08/03/05「アンドラーシュ・シフ」終わり