八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.32


【掲載:2014/06/29(日曜日)】

やいま千思万想(第32回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[人間って素敵で厄介な生き物(パート3)]

 貴方は人のことを「褒める」方ですか、それとも褒めるのが苦手ですか。
人とのコミュニケーションでは褒める、良い点を述べるということが大事な気がしています。
褒められると「これは少し怪しいぞ」なんて思うことがあるかもしれませんが(いわゆる「ほめ殺し」でしょうか)、でも褒められるのはそう嫌なものでは無いはずですし、気持ちの良いことでもあります。
しかし反対に、「叱られる」ことで安心できると言う方もおられることは事実。
「褒められる」より「叱られたり」「意見される」事の方が安心感がある、と言われます。

 私はずっと褒められて育ってきたように思います。
少しお調子乗りのところが残っているのはそのためでしょうか。
でも思い出すのですが、その褒められたことが今日までの幾つかの悩み事を上手く乗り越えられた大事な要因だったように思うのです。
音楽では褒められました。
技術的な欠点は勿論指摘されましたし叱られたりしましたが、その指摘を受ける前後にはなんらかは褒められていたように思います。
今思えば、上手な教え方、指導法だったと、その恩師に感謝するばかりです。
欠点が嫌になる要因にはならなかったわけですし、なんとか直したいと強く思えたのですから、それも「褒める」ことの効用ではないかと思われます。
それに比べ、体育という科目は褒められなかったですね。
球技は得意でしたし、泳ぐのも、走るのもそこそこできたと思うのですが、少なくとも不得意ではなかったし、嫌いではなかったのですから褒められたことを思い出してもよいのですが、その記憶がありません。
でもそれはきっと褒められるようなレベルではなかったのだということ、それも納得です。

 日本全国、地域性や勿論人の性格もあるかもしれませんが、どちらかと言えば褒め下手な国民性だと思うのですがいかがでしょう。
欠点を先に見てしまいがちです。
「人の欠点」が気になるタイプかもしれないですね、日本人は。以前よく言われた「恥」文化と繋がりが深いのでしょう。
恥をもっとも嫌う性格だからこそ恥をかかないようにと、欠点を見透かされないようにと、良いところよりは良くないところへと目を向きがちになるのだと思われます。
私は相手の欠点を見たり数えたりするより、良いところを、感心するところを数えたいと思うのですね、私が受けてきた経験として。
私にとって心が豊かに感じるのは欠点を述べているときではなく、相手の良いところ、長所を見いだせた時です。
 人は、私を含めて欠点(短所)で一杯です。
しかしその短所は長所で埋め尽くせるのではないかと思うのですね。
短所の指摘の積み重ねは「いじけ」と「負けん気の強さ」を生み出しそうです。
適正にと条件はいるかと思いますが、長所の指摘、つまり「褒める」ことの積み重ねは真の誇りと心のゆとりを生み出すと思われてなりません。
真に褒めることで欠点に強い人間の育成を成す!
「褒める」人生を歩みたいと思うのです。





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