八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.90


【掲載:2016/11/17(木曜日)】

やいま千思万想(第90回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

絶対音感と相対音感の効能(その2)

 面白いものです。人間には、教えられたものを絶対化して記憶に刻み込ませようとする素晴らしい能力があります。
この能力があるため人間は進化してきました。文化が豊かになってきました。
しかし、何事においても常に絶対化、固定化することが良いとは限りません。「もの」って変化するのですね。変化し続けているのですね。
ですから絶対的なものはこの世界には存在しないと言えます。
人や建物、この地球上の全て、いや、宇宙の中の地球自体が変化し続けています。その中にあって人は安堵を求めようと拠り所となる〈変化しないもの〉〈絶対的なもの〉を求め、価値観や生き方の基軸・基準を定めようとします。人は多くを規律化し、考え、定めるために生きてきたようなものです。
 しかし、この世に絶対というものは無いのですから、あるものとあるものとを相対的に、つまり距離感(間隔)を測って見るしかないことになります。
音楽の歴史も然り、です。初めは自由であったものに規則ができ、全てのことに規定が始まります。
学ぶためには、ある定めたものとしての規則に添うのが効率が良いことも確かです。
ただ、歌うことに関して言えば、〈絶対音高知覚能力〉を開発しようとする、度を超しての「絶対音感」づくりはそう良いものではありません。
「絶対音感」をもった人は、時に周りの変化(音高の変化)に対応できなくなるといったことが起こります。
絶対の音高と信じて覚えたものが周りの変化との間にずれを生じさせ、本人のなかで混乱状態を生み出すのです。

 要は絶対的な音高の知覚ではなく、音と音との距離を〈比較〉する能力を高めることが大切です。
歴史は、自由から規定、そして比較へと移ってきています。その比較とはモノゴトを「相対」として捉えることです。それらの関係を知ることです。
ド、レ、ミ、ファ、ソをピアノの鍵盤と同じ声の高さとして歌えるのが能力の優秀性を表すのではなく、ドとレ、レとミ、ミとファ、ファとソのそれぞれの距離感覚を磨き、知ることで歌う方がずっと音楽的能力は優れているということですね。

 話はまた「人」に戻りますが、人の思考も絶対的ではなく相対的である方が良いのだと、私はこの音楽の取り組みを通して知りました。
相対的な思考を「バランスを取る」というふうに言い換えても良いかもしれませんね。
変化するものと変化しないものとのバランスです。
 しかしながら、そのバランスを取ることは本当に難しい。
ただ、この能力って日本人は長けているのではないかと思うのです。
古来から日本人の音感覚は定まった音高への志向が弱いように思われます。
相対的な音感覚が優れていますね。
規則より自由でしょうか。その自由、それがより洗練され、磨かれ、そのことで一層豊かな感覚に満たされる人間でありたいとの願いです。





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