八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.116


【掲載:2018/01/11(木曜日)】

やいま千思万想(第116回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

私の指揮者としての仕事には二つの顔がある

 指揮者の顔の他に、私にはもう一つの顔があります。
それは「指導者」としての顔です。
指揮者も指導者ではないのか?と思われるかもしれませんが、厳密に言えば違うと私は考えています。
指揮者として働き始めた頃、よく言ったものです。
「私はトレーナーではなく、指揮者です!」と。
指導者、トレーナー(英訳すれば指導者となりますが)と呼ばれる職業は、あることを専門的に技術指導する人のこと。
音楽で言えば楽器の演奏法を教える、歌い方、発声、響作りを教える、というような事です。
では指揮者とは何をするのか。
演奏者と共に音楽を共感によって音楽全体を整えて、音楽の感動を聴衆に伝える役目を負う中心的音楽家ということになります。
演奏者の少し前を歩く、音楽作品の「感動者」と言って良いでしょう。
指揮する曲に対する感動を、身体全体で示して奏者に伝え、まとめる。これが仕事です。
ですから、表現に伴う個々の専門的技術を教える、ということとは異なった仕事ということになります。
トレーナーにはならない、と言って始めた指揮。
しかし現実は、とくに日本ではある時代の音楽に対してはそうも言ってられない事情がありました。
それが1700年以前の音楽、音楽史でいうところの「ルネサンス」「バロック」時代のものです。

 私が活動し始めた頃の話です。
私が目指そうとした音楽作りのためにはそれらに熟達した、経験豊かな指導者がこの日本にはまだいませんでした。
ですから、私が創った団は全て私が基礎から作り上げながら、という出発でした。
音楽語法に添った奏法や唱法。
それぞれの響作り、様式感など多くの資料を読みながら、模索しつつの実践です。
それが徐々に身に付き、ドイツや日本で評価が高まった頃、あるコンクールの審査員をと頼まれて務めた席で、同席の音楽評論家から「当間さんの作る発声や音楽は誰の指導ですか?」と訪ねられたものです。
「全て私がしています」と答えると、その方はとても驚いていましたね。
雑談を通じて私の演奏の話になり、その方にえらく褒めていただいた後の質問でしたから、しばらくは〈信じられない〉という顔をされていました。
それほどに通常では考えられないことを私はしていたようです。

 日本の洋楽歴史はまだまだ浅いと感じます。
底深くなりたいと思いますね。
世界的にみて中には突出している音楽分野もあるのですが、歴史全体を見渡せる所に居て音楽するには真(まこと)に不便さが残ってると言わざるを得ません。
結局、私は私の理想とすることと離れて、トレーナーとしての働きもしなくてはならなかったのですね。
でも、そのことによって緻密で統括的、全体を見渡せる音楽観を得ることができたのは確かです。
全体を形作っている部分、それを識った上で物事に専念する。その大切さは今の私の仕事を支えています。
理想的には早く、分担しながらそれぞれに専念できるようになる。
それが良いことなのですが・・・・・・。





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