No.3('92)

「混声合唱」について


今回は「混声合唱」についてです。

「混声合唱団」・・・これを作る時の最大の難関。それは「女性」の問題。その対し方と付き合い方です。
私が演奏会を始めた時、それは音楽仲間たちとの室内楽でした。合唱団作りには実はこの問題の為に、二の足を踏んだのです。
「女性」をどうするか。これに頭を痛めました。
男性は一般的には不器用ですが、しかし時間がかかるかもしれませんが着実に積み上げていくように見えました。(同性だから甘いのでしょうか)
その反対に女性は器用で、すぐにある程度のことはできてしまうのですが、維持し、それを発展させていくことはどうも苦手のように私には見えたのです。(最初から出来がよく、どんどん進んでいく人も当然いましたが)
積み上げることが苦手、あるいはその意識がうすいように思えました。
今まで見てきた合唱団の女性の入れ代わりが激しく、一年経てば相当数の顔触れが変わってしまっていることで、そう思ったのです。
それぞれ様々な理由があったのでしょうが、一番多かったのは結婚とその準備のためということだったと思います。
結果、「腰掛け」の女性団員が多かったということになります。(まあ、始めから合唱に真剣に取り組むなどとは考えないかもしれませんけれど)

私が作る合唱団は「今までにない」ものでなければいけませんでした。
それも、ただ「一級」のものを作るならば、音大出身者でしかも「巧い」歌い手だけを集めればよかったのでしょうが、私の目指すものは「今までにない」「新しい」 合唱団です。(No.1、2の“DIE MEINUNG ”を参照)
そのためには、音楽大学で教えられていない分野なのですから、一から団員を養成しなければならなかったのです。
それには「腰掛け」の女性団員では困ります。
目的を共にすることのできる仲間。信頼できる仕事仲間が必要だったのです。
しかし、今の女性にそれを求めるには、彼女たちにとって障害となりうる問題が山積みです。
彼女たちにとっての最大の関心事であり、また障害とも成りうる問題は「結婚」ということではないでしょうか。 合唱団に入って来る女性の多くは二十歳代前半の年頃です。そしてその彼女らの共通する一大関心事は、本人も、そしてその回りも「恋愛」と「結婚」だということです。
その彼女らが「恋愛」や「結婚」で悩み、そのことのために停滞したり、「練習」などそっちのけとなったり、ひどい時には団全体を引っ掻き回すほどの大きなエネルギーを出して混乱させ、迷惑もかけてしまうという事態が往々にしてあるものです。
回りが見えず、自分本位に突っ走るのはこの時です。

混声合唱という形態では、男女とも同格で対等でなければなりません。場合によれば女性の方が強いものを要求されることもあります。
その時に、つまり、ここぞという大事な時に腰砕けになることが女性には多いのです。「結婚」を取るか、あるいは「音楽を通じて自分の可能性を見出していく」ことを取るか、この選択を強いられているのが女性です。どうして音楽することと「結婚」とは相容れないことになるのでしょう。
これは男性にも責任があることでしょうね。

女性にとっても「生きがい」の一つとなってほしい。それが合唱団作りにおける私の決心でした。
シュッツ合唱団は、そのことを願い、そして考え、創り続けている合唱団です。
私は音楽作りを始める前に、先ず、この女性の置かれている社会状況を考えることから入っていかなければいけませんでした。それ抜きでは私の思う音楽水準には達し得ないことだったのです。
この方向性においても、他の団とはかなり違った性格を持っています。
男性に従い、人生を任せるのではなく、女性自身が自らの道を選択する。そういう環境作りの一つでありたいと思っています。

次に、「恋愛」についても書きたいのですが、いずれ別の機会にじっくりと書くことにします。
私の関心は、「恋愛」そのものの経過とそして結果です。「恋愛」が閉鎖性のものな のか、発展性のものなのか、そしてその結果がどう出るかということにあるのです。

混声合唱では女性の「責任」はかなり重いものです。
そのことを女性達自身がどう捉え、認識して解決していくか、合唱団はそれと取り組む実践の場ともしたいということです。





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