八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.67


【掲載:2015/12/27(日)】

音楽旅歩き 第67回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【人の暮らしは響きの歴史(その12)】

 年の瀬に聞こえてくる様々な響きには、気忙しさと同時に陽気さや楽しさ、そして何かしらのトキメキが混在しているように思います。
年が明ける、年を越す、ということは一つの区切り、数字的な繰り返しにしか過ぎないとも言えるのですが、年末になると人はそれぞれに感慨にふけってしまうこと多しです。
私などは急に時間が止まってしまう感覚に陥ることがあります。急に時間の流れにブレーキがかかり、ゆったりと流れ始めます。
あんなにも一年の刻の流れが速く感じられた毎日だったのに、です。

 「第九」を演奏することを前回書きました。
大阪でその演奏を終えてこのコラムを書いているのですが、日本での年末の恒例行事となった「第九」。
その数多い演奏会の一つを担ったことになるのですが、この曲、聴くと演奏するのとは随分と時間の流れの感覚が異なります。

 「音楽の時間」は摩訶不思議です。
演奏の仕方にも依るということなのですが、人によって長くも感じたり、またとても短くも感じたりするのですね。
「第九」が良い例になるのではないかと思います。この曲、聴く人には長く感じる人が多いと聞きます。
しかし、演奏する者にとってはあっという間の時間なのですね。
 「第九」の演奏には約一時間かかります。
それが奏者にとってはそれほどに時間を感じさせないのです。それはベートーヴェンの書法による密度の濃さと変化に富んだ音の変容に依ります。
常に奏者は脳をフル回転の状態に保っていなければならないからなんですね。
この曲の第一楽章と第二楽章とを合わせると全体の二分の一、30分ほどの演奏時間となるのですが、この部分では聴衆もそれほどには長く感じません。
音がエネルギッシュに押し進められていくことと、上に書いたベートーヴェンの書法によるものでしょう。

 それに比べ、問題は三楽章。この楽章、指揮者によってテンポの設定がまちまちで、遅い演奏もあれば、速い演奏もある。
しかしどちらのテンポを取るにしろ概(おおむ)ねこの楽章は聴衆にとって永遠的に長く感じる楽章のようです。
無類の美しさ、天国的な美しさに満ちた曲想ゆえか、昔からこの楽章で聴衆の多くが寝ます。
気持ち良く寝ます。終わりの方ではトランペットによってファンファーレが鳴り、突然起こされてしまうのですが(これもベートーヴェンの巧みさですね)、「第九」をよく知った聴衆でもその箇所までは「寝込む」と決め込んでいる方々も多いとか。
「第九」が長いという印象はこの楽章が原因かもしれません。
皆が待ち望む第四楽章、それはもう圧倒的な交響(響きが混じり合う)の世界で、全世界の人々がこの楽章に酔いしれます。
ベートーヴェンの「歓喜に寄す」、つまり「歓喜」を求め、集まり、同志となって自由と平和を願う。
演奏する者も、聴衆も演奏を聴きながら、また聴き終えて、感慨深くそれぞれの悲喜こもごもに思いを馳せるのですね。
年の瀬は「第九」の響きで満たすのもまた一興かもしれないですね。
(この項続きます)





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