八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.86


【掲載:2016/10/24(日)】

音楽旅歩き 第86回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【委嘱初演は未来を切りひらく情熱】

 このコラムでクラシック音楽のお薦めもしてきました。
J.S.バッハがそうですし、ベートーヴェンもそうでした。
しかし当然ながら、それら西洋のクラシック音楽一辺倒では良くありません。
一番大切なのはその国の、その民族の歴史を刻み込んだ伝統的な音楽です。
生活の中から生まれたものこそ大事にしなければならないのだとの主張でした。
借り物でなく、その文化の根底にある自然環境の中で受け継がれてきたものこそ大切である、ということですね。
簡単に言えば、寒い所、暖かい所、そして暑い所で生まれる音楽はそれぞれ違っているわけですし、人が多く集まる所と過疎の所とはその有り様もまた違います。
我が国の文化は「雑多」だと言えば叱られそうですが、他の文化を積極的に多く取り入れてきた歴史を考えればそう言っても間違いではないかと思います。

 先日、ある音楽を聴きに東京まで出かけました。いわゆる「現代音楽」という種類の演奏会です。
聴き慣れた音楽の対極といってよいほどの軋(きし)みの多い響きが約2時間にわたって飛び交います。
ホールの9割がたが聴衆で埋められていました。決して聴き易い音楽ではありません。いえ、かなり難しい音楽です。しかしその演奏会にそれほど多くの人が集まり楽しんでいる。東京ならではの光景だと思います。
 その一つの席に座って聴いている私。
演奏する側の私としては人の演奏を聴く機会はそうありません。
他の演奏を聴きたい時がありますし、聴かねばならないとも思うのですが、スケジュール的になかなか調整がままならずです。
しかし今回は興味ある、そしてお付き合いのある作曲家の作品とあって大阪から東京へと旅しました。
今回、行って思うのは聴衆のマナーの良さと、その音楽許容範囲の広さと言っていいでしょうか、音楽に対する向かい方が真っ直ぐであるということでした。
まぁ、聴衆は演奏をする人たちと何らかの繋がりがあり、そして「現代音楽」だと知って来ているわけですから、ある程度知識があり、また、ある意味覚悟して来ている筈ですからそう驚くこともないかもしれないのですが。
とにかく、聴衆の音楽に対する反応が自然ですし、しっかり聴き取っているようにも思われて、私はその雰囲気に安らぎさえも感じながらじっくりと演奏を聴くことに専念できました。
 さて、肝心の演奏はどうだったのか?そして新作はどうだったのか?作曲家も演奏している人たちも言ってみれば同業者ですので、内情も解り、あからさまの批判は避けるのですが、演奏者の望むものを思えば少し悔いを残すものになったのではないかと推測します。
しかし、委嘱初演をやってのけた団としての実力は十分でしたし、私のような聴き方をしない限りにおいては立派な、そして心から大いに拍手を送りたい、成功を収めた演奏会であったと敬意を表します。
我が国は雑多な文化だと書きました。
その文化の良い面が出たのだと思います。
新しく時代を切りひらく情熱。それを感じたくての旅でした。





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