No.6 '01/5/6

合唱指揮と器楽指揮


指揮には<合唱用><器楽(オーケストラ、吹奏楽など)用>などというものがあるのでしょうか?
ある方からそんな質問をいただきました。
日頃思うこともあって、指揮のテクニックのことを書いてみます。

指揮には、何々用、何々用といったそれぞれの違ったテクニックがあるわけではありません。
同じです。
しかし、演奏者側から見れば演奏しやすい棒、演奏しにくい棒というのは確かにあります。

何が違うのか?
結論を先に書きましょうね。
それは

<息づかい>なんです。
そして実際の振りに関して言えば<打点>と<打点後の振り方>にそれは表れます。

指揮のテクニックを学ぶメトードも、学問的、システマティックになって誰もが指揮ができるようになってきました。
歓迎すべき事かもしれませんね。
しかし、現実にはテクニックだけでは音楽にはならない、というのが真実です。
テクニックを使う際のそれこそ<音楽的>な感覚が必要なわけです。

棒が示す一番の役割は、何もない空間に音のタイミングを合わせる<点>を示すことです。
この<点>を上手に示せる指揮者が巧い指揮者といわれています。
これがなかなか<かっこいい>んです。(これで皆が憧れるらしいです)
ある指揮メトードではその動きを<叩き>と名付けています。
ハンマーなどの叩いている動きに対応するからですね。
この動きで音楽上のリズム、拍子を打っていくわけです。

殆どの指揮者はこの<点>を示すことのみで精一杯といったところでしょうか。
しかし、指揮の極意はその<点後>にある、というのが私の実感です。
<点>を示した後の動きがその指揮者の特性を一番良く表すんですね。
指揮するということは、演奏する対象が器楽であっても合唱であっても、それぞれの特性をつかみながら<息の流れ>(歌心)を示すのというのがその役割だと思うんです。
<歌心>、言い換えればそれは「解釈」ということですね。
器楽を振る指揮者は合唱も振れますが、歌う者から言うならば歌いづらい棒の人が多いですね。(名を成す指揮者は違いますよ!)
これは<息>を棒の動きに乗せるということに不得意なことが原因のような気がします。
ブレスのタイミングと間(ま)、声の抑揚における微妙なテンポルバート、それらの特性が<器楽的な棒>(機械的というと判りやすいかもしれません)では対処しにくいというわけですね。
合唱を専門とする指揮者はそれとは反対で、器楽の奏者には不評なことが多いかも知れません。
<点>が曖昧で合わせにくい、テンポルバートが過度で気ままな棒、と見られるのですね。

結論です。

対象となる演奏(合唱、オーケストラ、吹奏楽、その他様々な楽器)の発音の特性を示す指揮テクニックを用いながら、作品にふさわしい音楽を表現する。

ということになります。

昔から言われていることなのですが、

器楽は声楽に学び、声楽は器楽に学ぶ、ということですね。

指揮者はどんなものに対しても振れなければいけませんね。
例えば、オーケストラでの指揮は弦・管・打・声、その他音の出る全ての楽器が一緒に鳴る状態に対処しなければならないわけです。
発音それぞれが違います。
音の出るタイミングが全部違うのです。それを合わせ、整え、そしてそれら全ての楽器に歌心を示さなければならないのですね。
まぁ、指揮者とは棒テクニック(バトンテクニック)も用いながら自然な息づかいによる<指揮者の歌心>を伝える者でなければならないということです。
ですから、そんなことはないとは思うのですが、もし指揮者が<歌えなかったり>あるいは<歌うのは嫌い>だったりすると・・・・・想像するのが怖いですね。(笑)
指揮者によって演奏者が物のように扱われるかもしれないからです。

歌心の無い指揮者にはなりたくないですね。そしてできればそういった指揮者にも遭遇したくないですね。
自戒の念を込めて、そう思います。

No.6 '01/5/6「合唱指揮と器楽指揮」終わり