今日は京都文化博物館でやっていた「ペルー移民100周年記念『悠久の大インカ展』に行ってきた。
南アメリカの様々な古代アンデス文明の遺産の品々、そしてインカ時代に神に捧げられた(要するに‘いけにえ’)少女のミイラが展示のメインであった。インカは黄金の世界。金や銀の装飾品から展示は始まる。
どないして作ったねん!とツッコミたくなるような細かくつくられた装飾品。きめ細かく美しい品々。
ケーナやトランペットは、どのような音が鳴ったのか。
黄金の帝国インカ、そして黄金ゆえに滅びたインカ。
金銀の美しさで無く、その加工技術の見事さに舌を巻いたものである。次にアンデスのくらしの品々。コップに鉢、骨のケーナ、笛のようなこん棒。女性の木偶は、日本の土偶を少し思い出させた。
そして土器の数々。その彩色の鮮やかさは素晴らしく、アンデスの民の生活、文化などがよくわかる。
神話のモチーフ、いけにえの様子、首の絵、鞭打たれ縛られた捕虜の像、切断された足の形のコップなんて物まであった。
とにかく色鮮やかで、飾りは細かく、かつ実用的。
何となく土器に絵を描くアンデス人が思い浮かんだ。つづいて織物の数々。これも細かく丁寧だ。色使いは同じ高山文明のチベットの物を彷彿させる。
キープという織物は数量を記録する道具。どのように使われていたかは知る由もない。文字なき文明の中での記録の道具。それもまた丁寧な織物であった。
そんな丁寧な細やかな織物も、神に捧げられるときは惜しげもなく燃やされるという。そしてミイラの少女、「フワニータ」。
1995年にアンパト山山頂付近から発見された、10〜12歳の少女のミイラ。500年ほど前に神に捧げられた少女は凍結し、ほぼ完全な状態で発見された(ミイラの完全な状態ってどんなのか知らんけど)。少女のミイラを見ていると‘いけにえ’が当たり前の世界ということを感じる。土器などの描写を見ていても、高価な織物を燃やすことでも、神に対する思いと畏れが伝わってくる。
「哀しみの美少女 フワニータ」という副題がついたこの大インカ展。しかし少女は、いけにえになることを悲しんだだろうか?むしろ神の近くに行けることを喜んだのでは無いだろうか?フワニータを見ていると、ふとそんな気がしたのである。今も神々と語るアンデスの民。まだ多くの遺跡が残りインカの頃の姿をとどめている。そしてナスカの地上絵もまた謎を残す。
また行きたい外国が増えてしまったのであった。展示が終わると関連商品の売店。ケーナや笛、アンデスの帽子、織物のタペストリーなど欲しい物はいっぱいあったが、図録を買うだけにとどめた(金さえあれば‥‥(T.T))。
またしても良い催し事に出会えた。
京都文化博物館はけっこう私の琴線に触れる催し事をやってくれる。
次回は『異国の風〜江戸時代 京都が見たヨーロッパ』だ。南蛮絵画に南蛮菓子。ヨーロッパのガラスの器。そして平賀源内の「エレキテル」。
いや〜いいねぇ、またまた楽しみである。