去る6/28に「フェルメールとその時代」展に行って来た。世紀の展覧会と言われるだけあって、いろんな意味ですごかったのである。
私は最近フェルメール展に行った人に、30分ぐらい待った、という情報を聞いていた。30分か、ちょっと鬱陶しいな、と思いつつ天王寺公園に向かったのである。
公園に着いてみると、何やら立て看板を持った人。今の待ち時間が書いてあるようだ。何々?15分待ち?なんだ話より空いてるじゃん、と思ったときメガホンで案内が入る。
「只今、フェルメール展は二時間半待ちでーす。」
うぇ?15分じゃないの?と立て看板をよく見ると、15の後に0が付いていた。150分待ちだったのだ〜。どひゃぁ〜‥‥。よっぽど帰ろうかとも思ったが、これだけのフェルメールの絵を見るのに、ニューヨークにワシントン、アムステルダム、パリ、と世界中を飛び回らなければならない。それこそ時間は2時間半では済まないし、お金なんか千倍くらいかかってしまう。我慢して、待ちの列に並ぶことにしたのである。並び始めたのは14時45分。中に入れるのは17時15分ということになる。
列は美術館の入口から、その美術館を取り巻く形で並んでいた。慶沢園の辺りではウネウネと蛇行させてたくさん並べるようにしていた。
それにしてもたくさん人がいる。一体どこから集まってきたのであろうか?しかも平日の真っ昼間に。平日の昼間なら空いてるだろう、とバイトを休んで来たのになぁ、人っているもんだ、と妙なことに感心してしまったのである。
話によると、会期が押し迫ってきたこの頃は朝7時半頃から並んでる人もいるらしい。スゲェなぁ‥‥。さて2時間以上も待つことを想定していなかった私、そのつもりでの準備はしていなかった。暇つぶしに読める本は持っている。雨が降っても折り畳み傘がある。でも飲み物は持っていなかった。
2時間以上待つならのど乾くだろうな〜でも、列を外れて買いに行くのもやだな〜とか思っていると、「冷たいお茶いりませんか〜」の声。この行列を目当てに、ペットボトル茶の売り子が現れたのである。
私は何となく悔しかったので、買わなかったが、何だかすごい商売だな、と微笑んでしまったのであった。列に並んでる間、私は本を読むなどしてしていたが、一つちょっとイヤなことがあった。後に並んでいる親子連れである。女子高生とその母親といった感じであったが、女子高生らしき娘の方が、いかに自分はこの展覧会に興味がないか、ということを母親にまくしたてるのである。
やれ動物園の方が良いだの、慶沢園は楽しかっただの、最後には「フェルメールって人の名前やってんね」ときたもんだ。
この展覧会でフェルメールの名前を知った人は多いと思うが、並んでる時点で知らんというのは何か変じゃないか?それに、そんなに嫌なら並ぶなよ、とか思ったりした。
別にどんな人が見てもかまわんハズだから何も言わなかったけど、2時間これはちょっとしんどかったのである。並んでから1時間半ほどで雨が降り出した。傘は持っていたが、人が密集しているので跳ね返りで結局濡れる。入口にたどり着いた時にはドロドロであった。
美術館の入口にたどり着いたのは16時45分頃。何だ2時間で入れたじゃん、と思いつつ中に入る(実はそれが甘かったのだが)。傘袋とタオルを配っていた。傘袋は当然としても、タオルは良いサービスだなぁ、と感じたのであった。私はタオルは受け取らなかったが。
ロッカールームが設置されていたので、そこにリュックと傘を預ける。混んでたら邪魔になるだろう、と思ったからである。数点日本の絵や屏風が展示されていたが、とっとと通り過ぎる。で、ある部屋に入ると、うわっスゴイ!満員電車もビックリの混みようであった。この部屋は展示室への入場制限のための部屋だったのだ。
また蛇行する列が組まれていた。しかも今度は室内なので狭い上、ギュウギュウに詰まっている。展示室にはいるのに結局30分くらいかかってしまった。やはり2時間半はかかってしまったのである。
この部屋には、現在のデルフトの町の写真や、フェルメールの絵が所蔵されている場所の地図、絵の運搬や保管に関するビデオが流れていて退屈はしなかった。暑かったけど。さて、いよいよ展示室である。
最近はオランジュリー美術館展などで印象派の作品をよく見ていたので、デルフト派の作品の写実的な描写は新鮮に映った。光と影の使い方、書き込みの細かさ、など見ていて面白い。所々に見える遊びや寓意的な描写もまた楽しめるものであった。
ヘンドリック・コルネリスゾーン・ファン・フリートの『ミヒール・ファン・デル・デュッセン、妻ウィルヘルミナ・ファン・セッテンとその子どもたちの肖像』(うぅ、作家と絵の題名だけで何て長いんだ‥‥)にORFEOのALTOの楽譜が見えたり、ラテン語の歌詞が見えたり、ピーテル・ステーンウェイクの『マールテン・ハルペルスゾーン・トロンプの死の寓意』に見えるORATIO、FUNEBRISの文字、生のはかなさを象徴するモチーフなどは興味深く見させてもらった。ヨハネス・フェルメールの展示は『聖プラクセディス』から始まった。
まず私はこの絵のプラクセディスの着衣の赤色と質感から魅せられてしまった。何て美しくて柔らかくて‥‥。
ここまで見てきた絵も楽しかったが、明らかに一線を画している。陰影の付け方などが全然違う。今までの絵は陰影は付けているものの全てがハッキリしすぎている感があった。フェルメールの絵は、そうではなく主張すべき所とそうでない所での線が違う。また主張するべき所はハッキリしているのに柔らかい。そしてどうやって出したんだ、というような目を見張る色彩‥‥。2時間半待ちの疲れは一気にどこかへ行ってしまった。次はフェルメールの絵が四点展示してある部屋。ここまでの部屋はたいして混んでなかったが、この部屋は再び満員電車状態となっていた。またこの部屋の警備員だけ、他の部屋と比べていかつかった。学芸員やバイトではなく本職警備員の方なのだろう。ちょっと威圧感はあったが、人が多すぎるのであまり気にならなかった。ちょっと身を乗り出すとすぐ注意されるけど。
ここで学芸員らしき人と入場整理係の人がもめていた。ゆっくり絵を見てもらいたいから、フェルメールの部屋も入場制限しろ、と言う学芸員の方の主張であった。この部屋は最前列の人間は立ち止まって鑑賞してはいけないとされ、どんどん人が流されていく。無神経に人を流していく整理係に学芸員の方も、ちょっとビジネスライクすぎるぞ、と注意していたのだ。果たして、次の日からここにも入場制限がついたのだろうか?さぁ絵だ。『リュートを調弦する女』『天秤を持つ女』『地理学者』そして『青いターバンの少女』。
もう圧巻。その陰影、光と影、バランス、色彩。やっぱり生で見るものである。素晴らしかった。宣伝チラシなどに使われた『青いターバンの少女』も、その目の表情、唇の色、陰影。かの贋作家メーヘレンでさえ出せなかった青色‥‥。来て、待って、見て、本当によかった。
ちなみに私は『地理学者』の光の具合が結構好きである。
ゆっくり見れなかったことだけが残念であった。この後、デルフト派の絵画は続くのだけれども、どうしてもフェルメールの絵の方が印象に残っている。ニコラース・マースの『立ち聞き』の女主人の顔なんかはよく覚えてるけど。もう一度戻ってフェルメールのコーナーが見たかった。逆行は禁止だし、やろうとしても人が多すぎて出来なかったが。
美術館の外に出たのは18時頃。40分ほどの観覧であった。短い時間だったが充実したときを過ごしたと思う。ゆっくり見れなかったのだけがホント残念、今度この手の展覧会の時は、早めに来ようと固く心に誓うのであった。
それにしてもフェルメールの絵、もう一度、今度は本場欧米の美術館でゆっくりと楽しみながら見てみたいものである。
また海外に行ける日がいつになるか、二度と行けないかも知れないが、フェルメールと再会できる日が来ればよいと、心底思うのであった。次は、京都で「レンブラント版画展」に「ルーベンスとその時代展」である。これまた非常に楽しみである。それに遠いからやめとこうと思っていたが、東京で「レンブラント、フェルメールとその時代展」がある。フェルメールの『恋文』が見れることだし、夏休みで十八切符も使えるから行って来るかも知れない。
まだまだ美術との楽しい出会いが待っているのであった。