11月12日、京都国立近代美術館で開かれていた「パリ・オランジュリー美術館展」に行ってきた。
現在パリのオランジュリー美術館は改装工事中であり、その所蔵作品群の中枢、「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギョームコレクション」の81品が日本に貸し出されることとなったのだ。これだけまとまって貸し出されるのは最初で最後と言われている。
その作品は、セザンヌ、モネ、ルノワール、ルソー、マティス、ピカソ、モディリアーニなど、私のような美術無知(?)でも名前を知っているような有名な画家達のものばかりである。
「全部売っぱらったら、いくらになるんやろ」と思わず考えてしまうようなすごさである。(^^;)
オルセー美術館展に行き損ねた私としては、非常に楽しみであった。入館料1300円を払って中に入る。平日の真っ昼間だというのにすごい人の数である。美・芸大生や美術好きのおばさんが多かったと思う。
展示は画家毎に分けられており、最初はセザンヌからであった。
かの有名なセザンヌ様である。しかしなんだかピンと来ない。面白くないのだ。14の作品が展示されていたが、感じるものがない。「あぁ、やっぱりオレってこういう高級な絵とかは、わかれへんねんなぁ」などと思い始めていた。そこでモネの作品に展示が変わった。モネの作品は《アルジャントゥイユ》一点のみ。「ほぅ」と思わせる美しさではあったが、やはりピンと来ない。
モヤモヤした思いを抱えながら次を見る。アルフレッド・シスレーの《モンビュイソンからルヴシエンヌへの道》。シスレーもこれ一点だけ。
これを見た瞬間、何か私の中で変わった。スイッチが入ったとでも言おうか、精神が美術鑑賞にまっすぐになったと言うか、急に面白くなった。ピンと来るようになったのだ。こっから先はとても楽しかった。次はアンリ・ルソー。夢に見そうな色使いと構図が何とも良い感じ。《人形を持つ子供》は怖かった。
次はルノワール。日本人はルノワール好きらしいが、まさにそんな感じ。ここだけ人の歩くスピードが遅い。広い空間になっていることもあるのだが、異様に人が溜まっている。非常に見づらかった。
しかし絵は良い。日本人が好むのもわかるような気がする。綺麗できっちりしていて見やすい。あるおばちゃんが「やっぱり私はルノワールくらいしかわからんわぁ」と言っていたのが印象的であった。マティスは不思議であった。落書きのような絵なのに引き込まれる。何故か立ち止まって見てしまうのだ。ここにはやけに美大生が多く足を止め、難しい話をしていた。
続いてピカソ。私のピカソのイメージとしては、カクカクしたキュビズム(だっけ?)の作風のが強い。こういったものは今回少なかった。他の人達も期待はずれだったのか、足を止める人は少ない。しかし異様な迫力をもった作品群であった。
アンドレ・ドラン。色彩感覚がすごい。《アルルカンとピエロ》《画家の姪》は不思議に主題の後ろの空間が気になった。
キース・ヴァン・ドンゲン。一点のみ。印象に残らなかった。ゴメン、ドンゲン。
そしてモディリアーニ。これはもう、何と言ったらいいのか・・・。よくわからないがスゴイ、としか・・・。う〜む、なんとも・・。いやすごく良かったんだけど、何が良かったか、よう表現でけへんのだ。深い。
マリー・ローランサンは怖かった。キツネ顔の女性達に白中心の淡い色彩。これまた夢に出そうだ。今日の展覧会の中では異色っぽい感じが何となくした。でもそれがまた良かった。
ユトリロ。上手だねぇ、で終わってしまった。良いんだけど、今日の中にあっては、パワー不足だ(偉そうだな、私)。
最後にシャイム・スーチン!誰それ?って感じだったが、面白かった。ぐちゃぐちゃした感じ、表題がなければ何が描いてあるか、よくわからない。嵐のような色使い。なかなか気に入ってしまった。
ここまで見てもう一度最初から一通り見ることにした。このまま出るのはもったいなく感じたし、心のスイッチが入った状態でセザンヌを見たかったからだ。
しかしそうして見たセザンヌ、さっきよりは面白いし、感じるものもあったが、やはりピンと来ない。どうやら私はセザンヌは苦手なようだ。
他は二度見てなお楽しめる、内容の濃いものであった。満足満足。二度目廻っているとき、合唱団のE君を発見。彼もこの展覧会を楽しみにしていた。
「一日中居れるぞ」が彼の感想である。ローランサンを見て「キツネの嫁入り」と称したのには笑った。
彼は時間が無いので一回廻っただけで切り上げざるをえなかった。「人が多くて、ルノワールとセザンヌはほとんど見れなかった」と嘆いていた。一応常設展示の絵画も見たのだが、やっぱり違う。なんか足が止まらない。やっぱ巨匠と言われる人達の絵は凄かったのだ。オランジュリー美術館展バンザイ!来て良かった。
それにしても今回つくづく思ったのは、本物の生はやっぱりすごい、ということだ。複製画を見ても、買ってきた図録を眺めても、全然迫力が違う。なんだか気が抜けたビールのようなのだ。
貴重な‘本物の生’に触れる機会があって幸せに思うと共に、これからもこういった‘本物の生’に出会いたい。出来るだけ色々な会に出かけようと思う。(次は2000年大阪でのフェルメール展だな!)