京都市美術館で開かれていた「ルーベンスとその時代展」に行ってきた。
例によって会期ギリギリ。しかも今回は最終日となってしまった。
京都に住んでんだからもっと早く行けよ、てな気もするが、近いといつでも行ける、と思って行くのが遅れてしまう。そういうものだ。
遠けりゃ遠いで、時間が無いとか言ってなかなか行かないのだが。
(結局、私がものぐさなだけか?)画像もないのにぐちゃぐちゃ解説してもしゃぁないので、今回は簡単に感想だけ述べよう。
なんちゃって、ただ単に図録を買ってないから詳しい解説がかけないだけなのだが。入るといきなりルーベンスの嵐。最終日だけあって人も嵐。ゆっくり見れないが、最終日だからしょうがない。はやく来るべきだったと後悔。
ルーベンスの絵はスゴイ。細かい筆致に鮮やかな色使い。ハッキリとした感じ。人間の(動物も)肉感がものすごい。ちょっと肉付きすぎかもしれんけど。目の描写がハッキリしていて恐いぐらい。
チラシなどにのってる写真などでは決して味わえないオーラが漂ってくる。頭の中をバッハやヘンデルの音楽が駆けめぐる。ちょうど今メサイアを練習してるから、やたらとメサイアが鳴る。うふふふふ。
目玉である「ボレアスとオレイテュイア」は中でも格別!
その迫力は群を抜きスゴイ。一日この絵の前に立っていても飽きないだろう。
ルーベンス工房の作「バッカスの饗宴」では食器の描写のリアルさに驚く。この絵は見ていて、工房の人間が分担して描いた、というのが一発でわかって楽しい。
老人の絵(すまん、題名忘れた)は何か存在感が好きである。意志のハッキリした目が素晴らしい。ルンルン気分で次の部屋へと向かうと、ルーベンスの絵は終わり。そこから先はフランドル、オランダのルーベンスと同時代の画家の作品の展示となった。
これがどうも展示の仕方として、?マークである。
確かにこの画家たちの作品も見ていて楽しいものはあるが、ルーベンスの絵を見たあとだとどうしても見劣りしてしまう。漂ってくるオーラが圧倒的に少ないのだ。しかもあとに行けば行くほどトーンダウンしている気がする。頭の中で鳴っていたバロック音楽が消えていく。。。
ルーベンスの部屋であんなにゆっくり歩いていた人たちも、どんどん歩調が早まっていく。最後の方は梅田の動く歩道なみである(最後のはウソ)。この展示の仕方を考えた学芸員は、きっと「好きなものは真っ先に食べる」タイプなのだろう。私は逆に「好きなものは最後に食べる」タイプなのだ。いきなりメインディッシュっちゅうのはなぁ‥‥。
なので私は一通り見終わったあと、最初のルーベンスの部屋に戻って、入口から出てきてしまった。許せ、警備員&学芸員。しかしもうちょっと効果的に配置できないものだろうか。前に行った「レンブラント版画展」はその辺見事だったと思う(最後の自画像は最高であった)。
ちょっと考えて配置すれば、ルーベンスも他のフランドル画家たちの作品も、もっと生きてきたような気がするのだ。そういうのを考えるのが学芸員の仕事じゃないの?とか生意気にも思ってしまったのであった。何か文句ばっか書いてるようだが、もぅ最初のルーベンスの部屋だけでわたしは大満足である。1200円でこんだけ楽しめればなかなかのものだ(文句はスラスラ出るけど、誉め言葉って上手く書けないなぁ‥‥)。
外に出れば、時代祭の行列。秋深まりし京都である。
毎日忙しく疲れた体に一服の喝を入れてくれた、心躍るルーベンスとの出会いであった。