歌わない歌詞
合唱は人間の口から発せられる。したがって歌詞がついていることが多い(そうでないことももちろんあるが)。
そして合唱はいくつかのパートに分けられる。混声合唱で言えば、ソプラノ、アルト、テノール、ベースに大別される。
合唱では、パートによって歌う歌詞が多かったり少なかったりする場合があるのだ。ソプラノは歌う歌詞が少ない、とか歌う部分の歌詞の意味がつながらない、といったことはほとんど起こらないだろう。基本的にメロディーを歌っているからだ。しかし他の3パートはそうはいかない。
特にベースは、わけわからない。曲によっては歌詞が出てこないことすらある。歌詞がある歌なのに。ハミングや擬音だけである。
またずっと歌詞が無くて、突然他パートに合わせて歌詞が出てきたりすると面白い。意味がつながらなかったり、動詞だけなので意味が分からなかったりと、思わず歌ってる途中でツッコミたくなる。ある歌詞のメロディーをどのパートが歌うかは、作曲者の考えによるところだが、時々面白いことがある。
鈴木輝昭作曲の『はだか』の中に「ぱんてぃも脱いで」という歌詞があるのだが、この歌詞、男声パートには出てこない。面白い。やはり男声に「ぱんてぃ」と発音させたくなかったのだろうか。
また今度シュッツ合唱団で演奏する、三善晃作曲の『やさしさは愛じゃない』。この曲は女性の視点でかかれた歌詞を歌っている。女声が「やさしさは愛じゃない」とうたう。男声パートをみると「じゃない」の部分は出てこない。男声は否定しないのだ。
こういう部分が出てくるのは、作曲者の意図したことか、作曲上の都合か、はたまた全くの偶然か。
こんなことを考えながら歌うのも、また楽しいものである。