10月22日、作曲家の高田三郎氏が亡くなられた。86歳だった。
大学時代、氏の合唱曲をよく歌った。
と言うより、定期演奏会の第4ステージは、高田三郎作品を歌うことに決まっていたのだ。
四年間で歌ったのは、「典礼聖歌」「わたしの願い」「心の四季」「水のいのち」。他にもアンコールとして「冬・風蓮湖」などを歌った。濃い曲ばかりだ。まぁ、氏の作品で薄い曲など無いから仕方がないのだが。
高田三郎作品の濃さとはメッセージ性の強さだ。作品の中には、必ずと言っていいほど教訓が含まれている。またそういう詩を選んで作曲していたのだろう。
メッセージ性の強い詩を、高田氏の音楽は、より色濃く強烈に、そしてストレートに表現する。
氏の作品からは多大な影響を受けた。
ただ日々暮らしているだけでも、ふと「心の四季」のフレーズが浮かぶことがある。「山」「愛そして風」「真昼の星」なんかがよく出てくる。
ミサ曲を歌うときには、いまだに「典礼聖歌」が浮かぶ。
「わたしの願い」は歌いながら涙した初めての歌だ。
ちなみに「水のいのち」は好きくない。終曲が気にくわないからだが。
生前、一度だけ氏と間近でお会いしたことがある。すさまじいパワーが漲った方だったと思う。生気があふれていた。自分のことを「オレ」と言わはるのが印象的であった。しっかりサインももらった。
もし私が当間先生やシュッツ合唱団と出会わなければ、高田三郎作品をよく演奏する合唱団に入って歌っていたかも知れない。高田氏が亡くなられた事で、何か、ありえたもう一つの自分の道が無くなったような感覚におちいったのだった。
ふと思い返すと、合唱を初めてもうすぐ十年。自分の音楽人生を見直す機会かも知れない。
この間、シュッツ合唱団の東京公演のレセプションで、カワイ出版の方が高田氏の生前の言葉を言っておられた。
「コイツの曲は感心するが、感動しねぇな。」
私の心にこの言葉は重く響いた。そして、そんなに知っているわけでもないのに「高田先生らしい」と思ってしまった。
この言葉は作曲家向けの言葉であったが、歌い手にもこれは言える。感心されるだけでなく、感動される歌が歌いたいものだ。
高田先生はいなくなってしまった。
心に穴が空いたようだ。決して大きくはないが、割と深い穴のようだ。
00.11.12