日々つれづれ
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2000年5月8日(月)
幸せな日々

怒濤のヨハネ月間がようやく終了した。
 
体力的には大変だったけど、とてもとても幸せな時間だった。
 
神戸、和歌山、京都・・・1年のうちに3度も歌えたのは
やっぱり幸せだった。
今回エヴァンゲリストを担当した頃安さんの声を
何度聞かせてもらったことだろう。
 
CDやテープで聞くよりずっと良かったのは当然のことだし
何よりも、最初から最後まで歌いきると言うことを
背中で教えてもらったように思う。
 
去年の畑さんも僕にとってはショックだった。
 
そしてそれ以上に今年のエヴァンゲリストとしての頃安さん。
CD、テープを千回、一万回いやそれ以上聞いたって
解り得なかったことを一杯教わった。
 
何かやっぱり幸せなのであった。
 
今日はこの辺で・・・。

2000年5月11日(木)
「なぜ?」と思うことを

自分自身に対する反省もふまえてですが、
「なぜ?」と問うこと、そういう風にまず思うことを
ずいぶんおろそかにしているんじゃないか?
と思うのです。
 
世の中の事件などを見るにつけ、とてもこの
「なぜ?」と問うことの大事さを感じてしまうのです。
 
自分とは相容れないものに対して、敵意や不快感ではなく
純粋な興味を持ち、「なぜ?」と思うことがとても大事だと
思うのです。
 
こういう風に考えたきっかけがありました。
 
職場の掃除をしてくれているおばさんがいるのですが、
結構頻繁にトイレ掃除をしていて、
それは別に良いことなんですが頻度が高いんです。
 
朝一度やればその日は良いでしょう。
トイレの使用頻度も低いので
それほど汚れません。
 
でも、ある日なんか一日に2度も3度も
掃除をしていることがありました。
そんなに何回もしなくても良いのに、変な人やなぁ・・、
と思ったのです。
 
今年度になってから、人が代わっていたので、前の人の時は
こんなに一日に何度もということはありませんでした。
 
それで、よけいに「変だなぁ・・」と思ってしまったわけです。
「なぜ?」とは思わずに、
ただ「変な人だなぁ」と思っていたんですよ。
 
でも、それは良くなかったと思うのです。
 
「なぜ?」と思って見て、
考えてみると理由がわかってきたからです。
 
その人だけが今年度から代わってきた人でした。
そのせいで、掃除のおばさんたちの控え室には
まだ居づらいようなのでした。
 
 #そういうシーンをたまたま見たのでした
 
でも、職場内をフラフラするわけにもいかず、それで時には
一日に何回も掃除をしていたようなのです。
 
だから、ちっとも変じゃなかったんです。
 
「変だなぁ」「変な人だなぁ」は
実に自分勝手な解釈だったんです。
こりゃいかんと思いました。  
でも、振り返ってよく考えると、こんな自分勝手な解釈を
日常生活の中でいっぱいしてしまっているように思います。
 
そんな勝手な解釈のままに行動し、発言する。
そういうことを積極的に避ける努力が必要だなと痛感しました。
 
転じて世の中を見ると、「なぜ?」「どうして?」と
ちゃんと考えることによって、避けられた悲しい出来事、誤解が
随分多いんじゃないかと思うのです。
 
違和感を覚えてその対象を拒絶する前に、
その対象を否定する前に
「なぜ?」と思える心を持ちたいと思います。
 
今、僕は30歳です。
 
いつまでも、いくつになっても
「なぜ?」「どうして?」を大事にしたいと思うのでした。
 
今日はこのへんで。

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