日々つれづれ
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2001年6月1日(金)
私が歌う理由(わけ)10

そんな時だった。
合唱部の連中が再度僕に声をかけてきたのは。
ラグビー部を辞めたという噂を聞きつけて、
声をかけてきたのだ。
 
練習を見学に来ない?という誘いだった。
 
正直、この段階でも、合唱に対して否定的だったので、
最初は断っていたのだ。
 
しかし、あまりに熱心に誘ってくれるので、
行くだけ行ってみてそれで断るのが筋かと思い、
練習を見学に行くことにした。
 
日付は11月になっていた。
 
合唱部が何をやっているか全く知らなかったし、
関心も無かったので、何の練習だろう?
と比較的気持ちの上ではニュートラルな状態で
見学に行った。
 
音楽室に入ってまず、
その人数の多さに圧倒された。
その時でも90人近くいたのだ。
 
音楽室は比較的広い方だったけれども、
その人数だとさすがに狭く感じた。
 
歌のテストで高い声が出るのがばれていたので、
テノールの中に座らされる。
 
指揮台には、音楽の授業では
見たことのない先生が立っていた。
 
 #この人が本来の音楽の先生であり
 #合唱部の顧問の矢田先生だった。
 #研修制度を利用して、大学院に1年間
 #勉強しに行っていたのだった。
 
そして第一声・・・・・・。
 
今まで持っていた合唱に対する否定的な感情が
吹っ飛んだ瞬間だった。
 
大人っぽい声、すごい音量、
聞いたことのない曲
(間宮のコンポジション第10番「オンゴ・オーニー」だった)
 
そして何より、真剣に、熱く歌っている姿に驚いた。
PTAママさんコーラスのような
いい加減さと気楽さはどこにもなかったのだ。
 
それもそのはず、全国大会(11月22日(金))
を目前に控えての仕上げの練習だったのだ。
 
このとき初めて、この部が全国大会を
目指している部だと知ったのだ。
 
間宮の曲は自由曲で、
それが終わると課題曲の練習が始まった。
 
ラッソのモテット、
「Adorna thalamun tuum Sion」
だった。
 
さっきの曲とは打って変わって、
とても静かで、分かり易いハーモニーの曲だった。
 
やがて練習も終わり、見学者と言うことで紹介された。
ここの段階で、かなり迷っていた。
合唱に対するイメージが思い切りぐらいついていたのだ。
 
歌うことが好きという、
元々持っていた思いが強くなっていた。
 
しかし即答は避けた。
この日はとりあえず何も結論を出さないまま帰ることにした。
 
それから1週間、考えたのだった。

2001年6月4日(月)
私が歌う理由(わけ)11

決心
 
1週間考えて、僕は合唱部に入ることにした。
ある決心をして。自分に対して誓約を立てたのだった。
 
「何があっても、高校の間は合唱を続けること、
自分に甘えないため、妥協しないため、何があっても、
この部を辞めないこと」
 
この部を、もし辞めるようなことがあったら
僕はもう終わりだ。大げさかもしれないけれど、
そんな思いで合唱部に入った。
 
合唱を毛嫌いしていた僕にとっては
文字どおり一大決心だったのだ。
 
合唱部、全国大会2週間前のことだ。
 
最初は全国大会のステージには
出ないはずだったけれども、
いつの間にか出ることになって、
歌う曲を暗譜しなければならなくなってしまった。
 
 #う〜む、このころからか?
 #こういうの?
 #これを書いてて思いだした。
 #たぶん一生懸命練習している姿を見て、それなら
 #というような経緯だったと思う。
 
2週間で暗譜。でも、必死になって覚えた。
自分がこれからどうなっていくかということに対して、
自分自身に対して課題を課したのだ。
これができないようなら、
自分はもうこれから何をしてもダメだ、
それくらいの思いがあった。
 
僕が合唱部に入った噂は
ラグビー部の部員の耳にも入った。
 
「アイツ、何で合唱なんか」
 
そう言われたけれども、
そのことにかまっている精神的な余裕は僕にはなかった。
 
そして、2週間後、僕は、
全国大会のステージに無事立って、
曲を暗譜で歌いきることができた。
 
審査結果は銅賞だった。
 
少しずつ合唱部に馴染み始めていた。
 
僕が合唱を始めたのは、
今後の自分に対して「辞めない」ことを条件とした
誓約からであって、
歌が好きと思いが先に立ったからではなかったのだ。
 
ラグビー部を途中で辞めた「情けない自分」
「0(ゼロ)になってしまった自分」を
もう一度再構築するためだった。
 
クラブ活動を楽しむというより、
自分に対して問いかけを続けるための
日々が始まったのだった。

2001年6月15日(金)
私が歌う理由(わけ)12

限りのある輝き
 
初めての全国大会(長野)を終えて
神戸へ帰ってきたときのことだ。
 
新神戸駅に着いて、
同行していた先生方からの
コメントはあるかもしれないけれど、
すぐにでも解散かと思っていた。
 
しかし、そうはならなかった。
 
別れを惜しむように、
まだ歌っていたいと願うように、
もうこれで歌うことはないと感じているかのように、
延々と歌が続いた。
 
入ったばかりの僕にとっては知らない曲ばかりだ。
 
しかし、逆にその光景を冷静に見ることが出来たのだ。
それは僕にとってまぶしく羨ましい光景だった。
 
3年間続けると決めていたラグビーを
辞めることになってしまった、
自分に対する失望の念で、
結構心が冷えきっていたのだ。
 
その心にもう一度火をつけようと
飛び込んだ合唱部だった。
 
ここなら続ける価値があるかもしれない。
この光景を見て、そう、思った。
 
そして気持ちが冷えきっていた僕にとって、
その光景はひどく暖かく感じたのだった。 
 
やがて歌も終わり解散になった。
でも、一緒にがんばった先輩に対して
別れを惜しむシーンはそこかしこで続いたのだった。
みんなもう涙でボロボロだ。
 
#実際、僕の同期の連中でも
#未だに歌い続けているのは、自分を含めても、
#ごくわずかなことを考えると、
#本当にこの時この瞬間が
#最後なんだと言える。
#その時はそんなこと想像も出来なかったけれど。
 
それは、2度と帰ってこない3年間という
限られた中での輝きかもしれない
 
そう思った。
 
2度と戻ってこない時というものを
意識し始めた時でもあった。



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