日々つれづれ
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2002年12月1日(日)
アナログ&シンプル

コンピューターを好きでよく使っている
僕ではあるけれど、最近
デジタルで何かするということに
少し疲れ気味でもある。

#と言いながらこの文章は
#コンピュータで書いているという
#矛盾をはらんではいるが

仕事でも紙に書く時間と量を増やしつつあるのだ。

ただ、全く使わないわけには行かないので、
妥協点を探している。

コンピューターそのものも
MacかWindowsかというのは
比較的どちらでもよくなりつつある。
Palm(手のひらにのるちっちゃいやつ)
を使い始めてからは
それにとっての母艦の機能が満足できれば
何でも良いというのが本音だ。

コンピューターは便利だけれど、
使いようによっては
色々なことが出来るけれど
同時に限界もあるなぁ、
人間の思考を真に手助けする
そういうレベルには
まだ到達していないかもしれない
ひょっとしたら人間が考えることを
阻害しているかもしれないと、
最近少し思っている。

紙に書いていると、
特にボールペンなどで
書いていると、
頭のしばらく使っていなかった
部分を使っている自覚があるのだ。

便利さを追求し、
機械もどんどん複雑に
便利になってきてはいるけれど
その振り子も最近は
反対に振れ始めているように思う。
僕の専門分野の制御工学でもそういう流れがある。

僕自身も、アナログでシンプルなものに
戻りたいと思いつつある。

2002年12月2日(月)
Return of THE
水疱瘡(みずぼうそう)

何のことはない、ヘルペスだ。

帯状ヘルペス

土曜の晩くらいから、
体の左のあばらのちょっと下あたりに
赤い腫れが出たのだ。

かゆくはなく、何か痛い。
あまり経験したことのない症状だった。

気がつけば、左裏
ちょうどその真裏にも出ている。
かゆくはない、痛いのだ。

しょうがないので
昨日はオロナインを塗って寝た。
しかし、痛みは引かず
かといって、
ズキンズキンと痛むわけではなく
普通は痛くないのに
突然前触れもなく痛くなるのだ。

今日一日で時々来る痛みは
少しひどくなった。

と言うわけで、
小学校6年生の時からお世話になっている
皮膚科へ行って来た。

親以外で一番長く僕を見ている人だ。
その縁は20年を越える。

症状を言って服を脱ぐと
開口一番、”そりゃヘルペスや”

早っ!

まぁ、考えたらその先生ベテランで
僕を20年以上見ている。

診察は速攻で終了、世間話に。
お互いの、と言うより僕の近況を報告
クリスマスのチラシを渡すと
”ええもん見せたる(^^)”
診察室の奥の扉を開けると・・・・。
3畳ほどの広さの部屋に、
立派なスピーカー、リラクゼーションチェア
マッキントッシュのオーディオ
たくさんのCD・・・・。

すごいっすねぇ〜〜と言うと
”そやろ、そやろ”、もっと誉めんかい、
と嬉しそう。

演奏会を勧めましたが
”う〜〜んこのとおり、最近はジャズしか
聴かんからなぁ・・・・”

などなど話すうち少し長めになる。
先生、次の患者さんいましたから
終わりましょう。
”え?次の人?おらへんやろ?”
『せ、先生・・・(^^;)』

と言うわけで、体の全快には
もう少しかかりそうだ。

2002年12月6日(金)
久しぶりに・・・

阪急の御影駅で降りて
JRの住吉駅まで歩いた。

人身事故のために
JRがすっかり止まってしまったのと
行きつけの医者に行くのに
そうするしかなかったのだ。

しかし、そのおかげで懐かしい
道を歩くことが出来た。

かつて僕は御影に住んでいて
通勤通学に通った道だった。

震災でめちゃくちゃになって
そのあとほどなくして、大阪に住んだため、
その道を通る機会が本当になくなっていたのだ。

実に6年ぶりになる。

変わったところ、
変わらないところ

思い出したこと
思い出せなかったこと

震災のあの日のこと

街に震災の合った痕跡は
もう、ほとんど感じられなかった。

ここにいた頃に
本当に色々なことがあったことも
思い出した。

6年か・・・・・。

2002年12月12日(木)
老害

この国の閉塞感の
かなり大きな要因だろう。

後進の手助けをすることなく
自信のわがままを押し通す。

自分が正しいと思いこんでいる。
そのやり方が永久に通じると
ただ、ただ思いこんでいる。

そして、イス(権力)にすがりついて
決して離さない。

イス=自分
の哀れな者たち。
しかし、その哀れさは
この国にとって害毒でしかない。

昔のような繁栄が
また来ると盲信している
哀れな者たち。

時間が一方向にしか流れないことを
もはや考える頭もない、
この国を食い物にしている
者ども。

時を重ねることが出来ず、
ただ朽ちるしか出来ない者ども

いま、国の中枢と思われている
国会にはそんな害虫でいっぱいだ。

この国の惨状は
あと20年は続くだろう。

そして、この国は
アジアの辺境の国となるだろう。

かつて経済大国だったらしい
と言われる国に。


2002年12月20日(金)
じゃぁどうしようか?

先に挙げた老害の他に
もう一つ大きな要因がある。
 
それは税金だ。
 
この不景気のさなか、予算確保と称して
何とか税金を取ろうとしているのが
かなり滑稽に見える。
 
おまけに足りない分は
国債や地方自治債の発行で
まかなおうとする始末。
 
国内の重要を上げる、
景気の回復を助けるのに一番良い方法は
税金を下げることだ。
 
そして国の借金を、自治体の借金を
これ以上増やさない事。
 
じゃぁどうするか?
 
必ず必要になる公共サービス以外の事業を
全部やめてしまう。
 
不必要な高速道路工事しかり、
使いやしない関空の拡張工事しかり。
 
当然、仕事にあぶれてしまう、部署や
省庁が出てくるが、そこを廃止するのではなく
職場と給与だけは保証する。
 
ただ、出張や、備品購入が出来なくなる。
 
その間に、それらの部署の人たちには
何をしてもらうかというと、仕事のやり方での
問題点をたっぷり考えてもらう。
 
そして、予算が少なくても
同じ業務が出来るような工夫を一杯考えてもらう。
 
それを数年続けると、やめてしまったものの中で
やっぱり必要だと感じるものと
そうでもないものがはっきりしてくる。
 
そうでもなかったものは、完全中止。
必要そうなものは、改めて開始。
 
公務員の仕事の本質は、
みんながお金を出し合って
仕事をしてくれる人をやとい
その雇われた人は
サービスを提供することにあると思う。
 
その本質からはずれるものを抽出すればいいのだ。
 
ごく一部の利権(土建屋さん銀行屋さんなど)がらみの仕事ならば
それは税金でする仕事ではない。
 
事業すべてをいったん中止、でも
職場(最低限の維持運営比を含む)と給与は確保する。
 
なくなるとやっぱり不便だ
と言う意見を、広く国民、県民などから
集める。
 
5年くらい続ければ色々見えてくると
思うけれど。
 
どうかなぁ?
 
 

2002年12月24日(火)
占い師以下って・・・・

政治家の信用度は占い師以下なんだそうだ。
 
ここ参照
 
政治家の方々はこのへん、
どう受け止めているんでしょうね?
 
信用されなくても、やり続ける
うまみがあるんでしょう。
 
そういう人たちが、国の舵取りをしているところに
この国のおかしさというか、おおらかさが
あるのかなぁ。
 
いっそのこと国事を昔みたいに
占いで決めてはどうでしょう?
 
陰陽師を復活させてはどうです?
 
今の政治家さん達よりは
よっぽどましかもしれません。
 
 

2002年12月27日(金)
誤りの訂正ができる

挽回のチャンスがある
 
今の日本に結構欠けている事だと思う。
 
シュッツで歌っていると、
ここで音楽していると
やり直しがきくと言うことは
それがごく普通の事として感じられるのだけれど
いかんせん、それ以外の社会では
そうも行かない雰囲気がある。
 
失敗=終わり=その人間の否定
 
そういう強迫観念みたいなものが
ある人を追いつめたり
傷つけたりするんじゃないかと
思うのだ。
 
それがもっともひどいのが
お役所であり、政治家の仕事かな
と思う。
 
誤りを素直に認め、訂正する
そんな雰囲気を作ることが出来れば
それを国家公務員や、政治家が
率先してやれば、
もう少しだけ、
今の世の中の雰囲気が良くなるだけじゃなく
これほどまでに借金を抱えながら
右往左往しなくて良いと思うのだ。
 
失敗にはそれなりのペナルティがある。
 
でもそれは
その人の能力や人格の否定であってはならない
と思う。
 
むしろ、失敗することから学ぶことが多いし
人間はそこからしか進歩できないのに
この国は、そういう事を
恐れるあまり、拒否し、無駄にしてしまっているように
思えてならない。
 
 
 

2002年12月31日(火)
何で左側からなんだろう?

昨日、レンブラント展に行って来た。
 
以前に雪舟展に行った京都国立博物館だ。
ただ、あのときは死ぬほど混んでいたので
今回もどうかなぁと思っていた。
 
ところが、拍子抜けも良いところで
いつもこうなら良いのにと思うくらい
いい感じで空いていて、
館内に入るまで、全く待つこともなく
館内でも、人垣で見れないなんてこともなかった。
 
音声ガイドも借りて、
じっくり見ることが出来た。
 
見ていく中で、不思議に思ったのだ。
 
絵の中の光源がほとんど左上からなのだ。
僕は絵に詳しくないので
この辺何か理由があるのかもしれないけれど
ほとんどがそうだった。
 
例外は、晩年のレンブラント本人の自画像が
真上からの光源なのだ。
 
何か意味でもあるのかなぁ。
 
知っている人がいたら教えてください。
 
 

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