日々つれづれ
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2004年7月1日(木)
季節は巡る

冬の頃には、こんなに暑くなるなんて
想像も出来なかったし
今の季節、やがてセーターなしでは
過ごせない季節が来るなんて
想像も出来ない。

でも、季節は巡るんだなぁ
とやっぱり感じます。

多分一生忘れることがない
2004年の6月が終わり
今日からようやく7月です。

今年も半分終わったことになります。

今朝、蝉が一瞬鳴いていましたが
慌て者が数匹いたのでしょう。

最近、この季節が巡ると言うことに
ただそれだけのことに
感動をおぼえるのです。

一日として同じ日はないし
時間は常に一方向へと進んでいきますが
この当たり前の事実に
やっぱり感動してしまいます。

お玉さんが亡くなった事実は
僕の心に、僕の日常に
確かに影を落としました。

でも、そのことが
僕の心を、日常を
暗くしたとは思っていません。

むしろ、その影があることで
生きるということが
よりはっきりしてきたと思っています。

あまりにも身近だった
お玉さんの死を目の当たりにしたからこそ
今自分が生きているとこの事実が
よりはっきりしたと感じています。

目に映る世界が鮮やかに感じるのは
きっとこのせいだと思っています。

2004年7月5日(月)
何でみんなより余分に時間があるか・・・

住んでいる場所のせいでしょう。

合唱団の練習は
谷4の大阪ルーテル教会
相愛のD63
福島教会
などをお借りして行っています。

で、だいたいみんなと別れるのが
梅田であります。

「ばいばーい」と言って
コンビニにさえ寄らなければ
10分後には家に帰り着いています。
 #福島教会の練習では5分後

電車に10数分乗って、
その後5分くらいかかって家に帰る場合
乗り換えのタイミング
時間帯によって
1時間弱くらいかかることもあるでしょう。
すると、その人との差は3〜40分になります。

電車に乗る時間が乗り換えなども含めてもっと長い場合
この差は1時間以上にもなります。

例えば昨日、録音の打ち上げの後
みんなと梅田で別れたのは
夜中の12時少し過ぎ
で、僕が家に着いたのは
12時10分を少し回ったくらい。
すぐに風呂に入り
上がったのが12時40分前。

今にして思うと、神戸に住んでいた頃は
練習が終わって家に帰ったら
風呂入って寝るだけだったように思います。

2004年7月12日(月)
就職活動終了(参院選)

終わりましたね。
就職活動。

まぁ、通るまでは何とでも言うでしょう。

言ったことに誠意があるかどうか
言ったことにどこまでこだわるかどうか?

でも、議員という立場だと出来ることは
限られるだろうなぁと思ってしまう。

国勢を変える近道は
全国の知事が連盟を組んで
県民、府民、道民、都民のために
地自体レベルから
改革を始めることだと思う。
もう、トップダウンでは
無理だと思うんだ。

そのためには、
中央省庁から下ってきたような
知事を作るのをやめた方が
良いでしょう。

国は、本当の意味の地方分権を
進めてくれないかぁ。

人口の少ない、税収の少ない地域は
大変になるんだろうけど。

とにかく国の官僚が
肥大化するのをくい止めないと
この国の未来はないと思う。

2004年7月14日(水)
足が治っていく様が面白い

合宿中に、馬鹿やって
太股の後ろの筋肉の
肉離れをやってしまいました。

2年くらい前にふくらはぎをやったときは
とても歩けず、しばらく松葉杖でしたが
今回のは、歩行に多少影響がある程度で
患部を固定すれば歩けないこともない感じです。

怪我してみて面白いのは
こんな動作に、こんな部分の筋肉を使っていたんだ
と分かってくることです。

そして治っていく様もなかなか面白いですね。
歩き方のバランスがおかしくなっているので
ゆっくり、バランスのとれたリズムで歩くのですが
若干痛みと張りが出てきます。

少し繰り返した後、患部をさわってみると
反対の足より少し熱くなっていました。

まだ、通常使用には耐えられない感じです。

でも、日々少しずつ治って行っています。
痛くて不便ではありますが
個人的にそれを楽しんでしまっています。

2004年7月15日(木)
徹夜はあかんな・・・。

仕方ないとはいえ、徹夜はやっぱりあかんなぁ。

2時を過ぎたあたりから、
記憶が抜け落ちる抜け落ちる。

今日は仕切り直しと言うことで
早めに返ろうかなぁ。

2004年7月30日(金)
「なる」ことよりも「あり続けることが」

かつては、何々になる
ということが大切だと思っていた。

ゴールを定めて、それに向かって
努力するなり、行動を起こすわけだ。

中学の時なら、地元で一番の進学校に入ること
そこの学生になることだった。

高校では、クラブで全国大会にでること
金賞をとって日本一になることだった。
そして、志望大学に入ること。

大学になると、世間に名の通った企業に就職すること。
そこには、なった後のことについての考えが欠落していた。

そのことをはっきりと思い知ったのは
シュッツに入ってからだ。

シュッツに入った時に僕には目標がありました。
演奏会でテノールのソロをやるという目標が。
で、最初の年は無理だろうけどきっと
いつかはやるんだ、等と考えていました。

でも、実際には入って9ヶ月後の秋の演奏会
それもCD録音の時にそのチャンスが巡ってきて
無事にCDも出来たのだ。

僕にとっては嬉しかった、全くの予想外の出来事でした。

何年かかけてと思っていた目標が
最初の年にかなってしまったのだ。

でも、その時には、ソロをするということの意味や
意義については全く理解していなかった。

なった、というところで
ある意味途方に暮れてしまったのです。
そこから毎年、声楽アンサンブルとして
オーディションを受けることになりました。

程なく就職することになり
当間先生に、「二足の草鞋」をやります!
などと宣言しました。

今に至る二重生活の始まりです。

でも、やがて
なるんだ、なったぞ、だけでは
立ちゆかなくなったんです。

計画を持って
「なるんだ、なったぞ」
というのは、そこに至る道がどんなに大変だったとしても
ゴールではなく、ほんのスタートに過ぎないと
実感として、気が付きました。

「なって」から本当に始まるんだと。

それは、「そう、あり続ける」ということだと
気が付いたんですね。
それは「維持」ではなく、「向上の連続」だということを。
それに伴う「苦しみ」「楽しみ」を
全部受けていく覚悟のことなんだと。

それが「人として生きていく」ということなのかな
と思う今日この頃であります。

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