日々つれづれ
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2010年5月4日(火)
接続成功!

開通までに
少しかかりましたが、
イーモバイルのPocketWi-Fiで
イタリアのSIMカードにて
接続成功!

どれだけの時間
使えるか不明ですが、
前に来た時よりも
便利になってます。

2010年5月5日(水)
TVもInternetもない

まだ、一週間経っていないんですな。
日本を出て。

TVもInternetもない生活も良いもんです。

現地時間で、只今23時30分頃。
明日は、ワイマールへと向かいます。

ヴェネチアは本当に良い街です。

何度来ても飽きません。
今回は雨にたたられましたが、
雨のヴェネチアもまた良し。

本当、一週間くらい滞在して
歩き倒したい街です。

2010年5月7日(金)
みんな、それぞれに元気でした。

シュタイン博士、クランさん、奥さん、
元京都モンテヴェルディ団員の園田さん
みんな、それぞれに元気でした。

一応、先ほど演奏の全日程は
終了しました。

最後は、オプションに参加したメンバーのみの
小さなコンサートでしたが、
何とか無事終わりました。

まさか、南京玉すだれを
ドイツの人たちの前で
ドイツ語でやるとは
思いもしませんでしたが。

明後日には
帰路につきます。

2010年5月8日(土)
いよいよ日本へ

飛行機に乗り込みました。

上海経由で、関空へ戻ります。
かなり、充実した10日間でした。

そろそろ仕事しないと。

しばらく、ネットから離れます。

2010年5月9日(日)
帰国。


関空快速の車中にて。

日本のはずなのに、
車窓から見える風景が
外国に見えてしまう。

今回の演奏旅行は
これまでとはまた違った
趣があった。

スタートがイタリアというのもあるし
(これまではドイツがスタート)
フル出演ではないというのもある。
それに、自分の所属の団ではなく、
姉妹合唱団に参加したというのもあるだろう。

加えて、移動はこれまで
カルガモ状態で良かったのが
別便で、3人だけで移動
というのもあって、(行きも帰りも)
胃がおかしくなる程緊張した。

なので、最初の演奏会は
個人的に必ずしもベストとは
言い難かった。

今後に向けての課題だろう。

何にしても色々経験を積めたので、
海外へ独りで行くことも
あるかもしれないと思った。

とりあえず、帰ったら洗濯だ。
洗濯機動くかなあ。

2010年5月10日(月)
違和感

職場に着くまで
知った人の顔を見るまで
日本に居ないような違和感が続きました。

今朝の通勤電車に乗ったら
戻るかなと思いましたが
そうでもなかったのには
自分でも驚きました。

みんなとは別のルートだったので
密かに、日本とそっくりの街に
気がつかないまま
連れてこられたんじゃないかと
疑ってしまうような
そんな違和感でした。

まぁ、実際にそんなことは無いわけで。

しかし、このままだと
帰りにも同じような違和感に襲われそうです。

それにしても、
忘れられない10日間でした。

2010年5月11日(火)
演奏旅行日記1 旅立つまで

とある、3月の日曜日。
電話がかかってきた。

行き帰りの飛行機についてのことだ。

どうやら、3人分はキャンセル待ちで
チケットが取れない可能性がある。
キャンセル料発生のリスクもあるので
別の航空会社を手配するが
それでどうだろう?
という提案だった。

旅行まで差し迫っていることもあり
少し考えて了承した。
手続きそのものはライナーと陽子さんで
行ったようだ。

後日、利用するのは
上海経由フランクフルト行き
中国東方航空という航空会社と分かった。

今回の演奏旅行は
これまでと違い
姉妹団体に参加するという形をとるため
合宿になるまで
どの曲を歌い、どの曲は歌わないのか
全く不明だった。

みんなと別も初めて、
全曲歌わないのも初めて。

近づくにつれ、旅程に関して
調べていくと、
ちょっと大変そうな気がしてくる。

仕事の忙しさもあって、
これまでにない心持ちで
演奏旅行が近づいてきた。

2010年5月17日(月)
演奏旅行日記2 さぁ、出発

直前の土日が合宿だったため
準備があまり出来ないまま
期日が迫ってきた。

しかし、出発前日に
休みを取っていたこともあり
何とか準備完了。

動向の2人にも、
往路の経路や注意点をメールするのも間に合った。

ルフトハンザ組が集合したであろう時間に
朝食を取り、
荷物の最終確認をした後
少し早めに家を出た。

いつものリュックにもなる
キャスター付きカバンと
ボストンバック1つだ。
ただ、ボストンバックには
かなり余裕があった。

持ち込み荷物は
キャスター付きカバンにするつもりだった。
ここに衣装一式を入れてある。

徒歩で大阪駅に向かう途中で
サイズはギリギリ行けるが、
持ち込み荷物としては大きいなぁ
という思いが強くなり
さらに、
ボストンバックの余裕も引っかかり
急遽、家に引き返し
荷物を詰め直した。

結局、荷物は
キャスター付きカバン
衣装ケース
キャスター付きカバンと合体する小さいリュック
とシンプルになった。

再び駅へ向かう途中で
ぶんちゃんから電話があり
大阪駅から合流して
関西国際空港へ向かうことになった。

つづく・・・

2010年5月17日(月)
演奏旅行日記3 待ち合わせ、そして上海へ

同行の、みやこさんとは
結局、関空の改札で一緒になった。

早速チケットのカウンターへ。

パスポートを提出し、
チケット発行とチェックイン。
ここで、関空〜上海、
上海〜フランクフルトのチケットが発行された

軽く昼食を取り
少し店をブラブラした。

この時、目覚まし時計を購入したが
結局使わず。
使わなかったことに気づいたのは
帰国してからだった。

出国手続き後、
出発ロビーへ。

全部で3人しかいないので
演奏旅行という感じは
あまりしなかった。

飛行機は思ったより小さく
国内便程度。
乗ってしばらくして食事。

ビーフかチキンを選ぶんだったと思う。
ビーフを選ぶと
すき焼き風のおかずと
そばが付いてきた。
ふつうにおいしかった。

機内で、ぶんちゃんが演奏旅行のために
新しく購入したデジカメをいじったりしながら
時間を過ごした。
持ち主よりも先に、写真撮ってしまった。

日もすっかり暮れた頃
上海浦東(ブドン)空港に到着した。

滑走路が相当広いらしく
着陸してからのタクシングの長いこと。
途中、道路?らしきところを横切った。
なぜなら車が信号待ちをしていたから。

飛行機はターミナルに直接は着かず
バスに乗ることになった。

少し外に出ると、
工作機械のクーラント(冷却液、冷却油)が腐ったような
懐かしくも、長くは吸っていたくない
そんな臭いが充満していた。

バスに乗り込むと、
おもむろに、ぶんちゃんが
ぶ:「空港で、少しお時間をいただきたいんですが
よろしいですか?」
僕:「ええよ、トランジット5時間もあるし・・・
どないしたん?」

つづく・・・

2010年5月17日(月)
演奏旅行日記4 上海ナイト

ターミナルへ向かうべしと
バスが動き出してから

ぶ:「デジカメを席の前のポケットに
忘れてしまったみたいで・・・」
僕:「え?!、あかんやん。」
ぶ:「機内でさわった後、そのまま
前のポケットに入れたみたいです」
僕:「一応、忘れもんは確認したけど、前のポケットは
思いもよらんかったなぁ。着いたら聞いてみよか」

今にして思うと、ちょっと強引でも
飛行機まで引き返してもらった方が
良かったのかもしれません。
3人とも日本国内の感覚でいました。

ターミナルへ着くと、
日本人だけ集めたツアコンのような人がいて
関空での発券の時、
渡したシールと同じ人で集合してください
といわれていたので
とりあえず集合。

カメラのことをその人に訊いて見るも
自分はただの添乗員なので
と取り付く島もない有様。

最終的には、
そのシールの集団は
別のツアーで、
関空の中国東方航空の人は
我々に間違って渡した模様。

いったん入国して、
1階にある航空会社と思われるカウンターに
問い合わせてみる。
すると4階に行けと。

4階にあるチケットカウンターに行く。
機内に忘れ物をした旨を伝えても
「だから何?」
といった感じ
「どうしたいのか?」と質問され
「そのカメラを探して見つけたい!」
といったところようやく話が通じる。
(忘れ物があったという事実だけではだめだった模様)

最終的には航空会社の
スーパーバイザーのカウンターに行った。
日本人のスタッフはいないようで
英語で何とか問い合わせてもらった。
明日もう一度これるか?と
言われるも、今日未明には
フランクフルトへ発つので無理だ。

窓口のお姉さんは
一応当たってくれたが、
該当する席、便から見つからなかったとのこと。

お礼を言い、窓口を後にした。

ここまで、到着から1時間以上は経っていた。
全体的にちょっとテンション落ち気味である。

事前の調査で、到着するターミナル1は
あまり見るべきところがなく
ターミナル2の方が新しくて
お店も多いと言うことなので、
時間もあるし探検しようと提案した。

つづく・・・・・

2010年5月18日(火)
演奏旅行日記5 オプショナル上海

気を取り直して
建物としては新しい
ターミナル2へ向かった。

空港全体が大きいので
結構な距離だ。

途中、リニアモーターカーの駅があったが
終電が9時頃と聞いていたのと
忘れ物で時間をとってしまったので
駅だけ見て、第2ターミナルへ。

が、時刻が午後8時を過ぎていたので、
店はあるにはあったけれど
閉まっている店が多かった。

開いている店も、
価格を見ると
中国らしからぬ価格。

見て回るだけでも行こうか
と、さらにムードが停滞気味になっていたとき
電光掲示板の文字に
目がとまった。

リニアモーター最終
午後9時42分・・・・。

表示が順番に変わる掲示板だったため
見間違いもあると思い
もう一巡確認。

リニアモーター最終
午後9時42分・・・・・と中国語で。

行けそうだ!と
半信半疑の二人を説き伏せて
有無を言わさず、
往復のチケット3人分
240元で購入、
僕しか中国元を持っていなかったので
奢ることにして乗り込んだ。

乗務員の対応は今ひとつなものの
車内はきれい。

程なく、車両は夜の上海の街へ
音もなく動き始めた。

加減速はスムーズ、
ブレーキの引っかかりもない。
あれよあれよという間に
300km/hの高速巡航。

特にカーブで加速を続ける
しかも300km/hまでっていう乗り物は
今まで乗ったことがないので
それだけでも興奮した。

8分弱で「地下鉄2号線龍陽路」へ。

せっかくなので、ちょっと降りて
ほんの少しだけ
上海の空気を。

いわゆる上海の風景には
お目にかかれなかったけれど
少しだけタッチできたという
満足感あり。

空港へ向けた最終便に乗り込んで
再び空港へ。

ちょっと沈みがちになっていた
雰囲気も幾分マシになった。

空港に戻り駅を出て驚いたのが
目の前にあったローソン。
内装もそのまま
売ってある商品も、大半が日本製
値段も日本と変わらず。
(若干高い?)

何も購入せずに、ターミナル1へ。
再度、スーパーバイザーで
忘れ物のデジカメのことを尋ねるも
出てこず、そのまま
出国審査を経て
出発ロビーへと向かった。

ちっともヨーロッパに行く気配がないまま
つづく・・・

2010年5月18日(火)
演奏旅行日記6 いよいよフランクフルトへ?

出発ロビーに行くと
ドイツ人だらけだった。

とりあえず、フランクフルトに行くのは
間違いないようだ。

手荷物検査で
毎回水分を没収されるので
ここでも購入することに。

しかし、
ウーロン茶1本25元て・・・。
(日本円で300円くらい)
ここは富士の山頂か!って
つっこみを入れたくなる気も。
しかもサントリー。

背に腹は代えられぬため
3本購入。味は一緒。

少し離れたところに
はんこを彫ってくれる店あり。
しかし、良いのは日本円で5000円ほど。

手持ちはあるにはあるが
行きで使いすぎるのもなぁ
ていうのもあり、
眺めるだけにしておく。

5分で出来るよ、と日本語で言われたときは
少し驚いた。

日本人で頼む人が多いんだろう。
判子だけに。

上海浦東空港内は、
物価は日本と変わらないもしくは
若干高め。

中国に来たありがたみに関しては
あまりない印象。
まぁ、メインは上海ではないので
良いのだけれど
少しがっかり。

しばらく待つものの
出発の気配なし。
なんでだ?と思っているところへ・・・・・。

中国人とおぼしき団体客が・・・・。

君らかい!
遅れている原因は!

しかも待っている人より先に
どんどん機内へ。(^^;)

手にでっかい水筒持っている人いたけど
よく手荷物で引っかからなかったなぁ。
時間ないから素通りか?

まぁ、何にしても
予定より30分以上遅れて
(予定では午後11時55分発)
飛行機はフランクフルトへと発った。

つづく・・・
ようやくヨーロッパ編か?

2010年5月19日(水)
演奏旅行日記7 初めての光景

上海浦東空港を発ったのは
日付が変わってからだった。
(4/29→4/30)

当然周りは真っ暗で
景色は見れるはずもなく。

眼下を見渡すと、
ただ、ただ広い大地に
幹線道路のナトリウムランプが
粘菌が自分の居場所を広げるかのように
漆黒の大地を彩っていた。

その漆黒の中に
溶接の光がチカチカして見え
何かを大急ぎで作っているのを伺わせた。

天気が良いのか、
上空に目をやると
美しい満月が煌々と輝いていた。

航空機は満月を左前に見ながら飛んでいた。

月と
航空機と
漆黒の大地を遮るものは
何もないくらい
雲一つ無い空だった。

しばらく月に見とれた後
ふと大地に目をやると
時々光るものが目に飛び込んできた。

漆黒の大地のわずかな水辺に反射した月である。

風もないのか
川や池、水路にさしかかるたび
大地から月が
その美しい姿をのぞかせる。

時速数百キロで飛んでいるはずの
航空機の機内にいることを
忘れてしまうような
ゆっくりとした
その有様。

空に輝く満月、
漆黒の大地に映る月。

同じ機内に、
それに気がついている人は
少ないようだった。

機が進路変更し
そのつかの間のショーが
見れなくなるその時まで
窓にかじりつきで見続けていた。

それと同時に、
窓のブラインドが閉められ
機内は夜を演出し始めた。

次はたぶんフランクフルトだ。
つづく・・・・。

2010年5月19日(水)
演奏旅行日記8 フランクフルト珍道中・・・

肝心の中国東方航空のことを。
機内サービス、
機内食など、
以前のルフトハンザと
大して違いはなかった。
(今回のルフトハンザは随分とゴージャスだった様ですが)

航空機も新しいし、
目立って不満はない。
ただ、機内アナウンスが
中国語→ 英語のみで、
情報が聞き取りにくかった。
それと機内上映は
当然中国語字幕のみ。

英語が普通に操れるのなら、
全く問題ないでしょう。

さて、我々の搭乗機は
出発の遅れそのままに
約30分ほど遅れてフランクフルトに到着した。
午前6時30分を回って、もうすぐ7時になろうか
という時間だった。

ここから入国審査と、
手荷物受け取りだ。

ルフトハンザのみんなと違い、
荷物の受け取りと
再度ここで、チケット発行と
チェックインの必要があるのだ。

まず、入国審査で、
たくさんの中国人たちが
どんどん詰まってくる。

なかなか進まない。
その割に、我々はほぼノーチェック。

少し焦り気味に、荷物受け取りへ。
ここですでに1時間と少し経っていた。

無事荷物は届いていた。
取り合えず、ヨーロッパまでは
届いていると一安心。

次の目的地ターミナル1へ。

案内に従うと、どんどん建物の上へ。
モノレールがあった。
2004年に来た時は、
工事中というイメージしかなかったが、
それは終わっている感じだ。

ガラガラに空いている
モノレールに乗り込むと
程なく発車。

高い位置から空港を眺めて、
数分で、ターミナル1のB、Cという
セクションに到着。

大半の人は降りたけれど、
何人か残っていたのと、
アナウンスで
B、CがなんやらかんやらAなんやらかんやら
と聞こえたので、
次はきっとAだろうと、
そのまま乗っていた。

ところがである。
あろうことか、モノレールは
もとのターミナル2へ向けて
走り始めた。

いわゆる逆戻りである。

再び同じ景色を堪能し、
そのまま折返せると思いきや、
全員降りろとアナウンス。

次のミラノ行きの
チケットすら発行されていない
我々三人に、フランクフルト空港の
トラップが発動した。

我々三人は、どうなるのか?
つづく•••

2010年5月20日(木)
演奏旅行日記9 たどり着けるのかミラノ!

なんやかんやで、
スタートに逆戻り。

よろよろしながら、
ホームに戻ってくると
”Can I help You?”
と声をかけられた。

どう見ても、さっき乗ったはずの
東洋人3人がよろよろして
またホームに戻ってきている。
大丈夫か?こいつら?
ってな感じだったんだろう。

とてもジェントルな感じの
大男の係員でした。
予約をプリントアウトしたものを見せて
説明すると。
空港内案内図をざーっとめくって
ここに行くと良いよ!ニコッ
と教えてくれた。

この間、モノレールが1つ出発。

お礼を言って次のに乗るべしと
並んでいると・・・・。
背後からものものしい雰囲気が。

程なく、次のモノレールが到着。
乗り込んで振り返ると・・・・。
背後にいたのは
たぶん中国の人たちの
それも半端ない集団。

ほら来たで〜〜乗るで〜〜
ほらみんな、乗るで乗るで〜〜
(なんかそんな勢いで)
大河が押し寄せるかのごとく
人並みが、だ〜〜っと・・。

の、乗れるのか?
あれよあれよという間に
モノレールは一杯に。

が、さすがに危ないと判断したのか
先ほど親切にしてくれた
大男のジェントルマンが、
何人かを制止していた。

それでも、人を満載して、
モノレールはターミナル1へと向かった。

つづく・・・・

2010年5月20日(木)
演奏旅行日記10 まだイタリアにも着いてないのに10?

人並みに圧倒されながら
何とかターミナル1に到着。

セクションAまでは歩いていくとのこと。

が、ここに来て
どのカウンターに行けば良いのか
案内がはっきり出ていなかった。
(少なくとも見つけきれなかった)

そもそも旅の前
中国東方航空は初めてなので
色々調べたり、
こちらから電話したりして問い合わせていたので
どうすればいいかは
あらかじめ分かっていた。
イタリア着いてからマントヴァまでに関しても
かなり調べていた。

が、ルフトハンザに関しては・・・・。
このフランクフルト乗り換えに関しては
全く調べていなかった・・・・・・○| ̄|_。

見渡すとルフトハンザのカウンターは多いけど
見える範囲で係員のいるカウンターが見えない。

少し焦る。
インフォメーションで
プリントアウトしたものを見せ
どこへ行けば訊いてみた。

「このみち真っ直ぐズバッと行って
ぶち当たったら左に行きな!」
っていなせな感じで言ったかどうかは
知らないけれど、
とりあえず言われたとおりに行ってみた。

おぉ。何か並んでる。

入り口に立ってたオッチャンに
プリントアウトしたのを見せると
「自動チケット発行の所にいる
お姉さんに訊きな」
ってな感じかどうかは分からないけれど
お姉さんの所に行くと
無言で、自動発券機を操作し始めた。

後はどうにか分かってきて
無事3人分ミラノ行きを発券できた。

後はこの行列に並んで
チェックインだ。

ここまでの道中、
ほとんど写真を撮っていない。
かなりテンパっていたのだ。

そして、無事チェックイン。
フラフラしながら、
少し早いが出発ロビーへ向かった。

あまりにフラフラしていたのか
まもなく出発する
ザルツブルグ行きの搭乗受付係員に
「これに乗るのかい?」
と聞かれる始末。
「いや、僕らはミラノに向かうねん」
と英語で答える気力は残ってた。

ミラノへ向かう飛行機へは
バスにて移動。

小さい飛行機だった。
これで、どうやら
ミラノまでは行けそうだ。
ここまで着けば、後は
誤差の範囲になる。
何かあっても、
今日中には辿り着ける
二人を連れて。
ようやく一息ついた瞬間だった。

つづく・・・・。

2010年5月21日(金)
演奏旅行日記11 いよいよ、イタリアの地に

2時間もかからず、
我々を乗せた飛行機は
ミラノリナーテ空港に到着。

ターミナルの外観が
城の石垣を思わせる
何ともおしゃれな空港。

実は、ミラノ入りも皆とは
違う空港だった。

他のみなさんは
ミラノマルペンサ空港。
僕らは、
ミラノリナーテ空港。

マルペンサ空港の方がミラノ市街から離れていて、
大阪〜関空くらいの距離感。
対して、我々が降り立ったリナーテ空港は
大阪〜伊丹くらいの距離感だ。

荷物受け取りで、緊張したものの
無事みんなの荷物が届いていた。

これで、演奏にも旅行にも
支障が出ない確率が上がった。
もう少しだ。

ここからミラノ中央駅まで、
シャトルバスを利用する予定。
スターフライという会社の。

空港内の見取図を見るも、
乗り場がいまいち分かりづらい。

少し探すことを覚悟しながら
一番近い出口から外に出る。

•••• スターフライ社のロゴが目に飛び込んできた。
バス停目の前だった。

安堵している場合ではなく、
今にも発車しそうな感じ。
次は30分後にあるけれど、
今乗れることに越したことはない。

軽く自動車道を横断して、
バスの運ちゃんに
「みらの ちぇんとら〜れ すたつぃお〜ね、おぅけぇ?」
と聞くと、そうだ乗れというジェスチャー。

三人分で15ユーロ。

バス下に大きな荷物を詰め込んで
バスに乗り込む。
結構ガラガラだった。

高速道路の様なところを過ぎると
やがてミラノ市街に入った。

ようやく、景色を見る余裕が出てきた。
ドイツとは違う街並みと、
新緑にしばし見とれていた。
路面電車が走っているのか。

時間があったら、
一日ウロウロしたいなあと
ボンヤリ考えている間に、
バスはミラノ中央駅に到着した。

つづく••••。

2010年5月21日(金)
演奏旅行日記12 デカいミラノ中央駅

いやあ、何とか辿り着くもんだ。
そんな気持ちで、
ミラノ中央駅を見上げていた。
到着は午前11時頃。

ここは、事前に調べてあったので、
二人を、連れて迷わず
プラットホームのある最上階へ。

巨大な駅に、溢れ返る人。
軽く緊張感が甦る。

今から乗るのは、イタリア鉄道の
正真正銘のローカル線 (鈍行)で
ネットでの予約と、
現地で買うのと差がなかったため
自動券売機での購入を目論んでいた。

券売機の場所もあらかじめ調べていたので、
まっすぐそこへ向かった。

発車が近いのか
ここも、というか駅全体が
凄い人だかり。

事前情報の通り、
自販機は人気がないのか
すぐに操作し始めることができた。

途中1カ所引っかかったけれど
無事、3人分の乗車券購入成功。
1等と2等があったが、
客層が違うとのことと
終盤に来て緊張感の落ちてきたところで
リスクを減らす意味もあり
1等を購入した。一人13ユーロ。

ミラノ中央駅からマントヴァまでは
2時間ほど。
距離的に大阪〜名古屋間くらい。

後は列車に乗るばかりだけれど
発車まで1時間以上ある。
発車予定は12時20分、終点がマントヴァ。

駅の隅にあるカフェで昼食を取ることにした。

ピザ3種類と、
水、コーラなど。
一人5ユーロくらい?
最初は凄い人だかりだったのが
食べているうちに
どんどん減って、店内は少し落ち着いてくる。

店のすぐそばに
vodafoneと書かれた店があったので
SIMカード買うべしと
行ってみてたが、無いと即答。

まぁ、次のチャンスを待とう。

午後12時過ぎ店を出て
列車の待つプラットホームへ向かった。

つづく・・・。

2010年5月22日(土)
演奏旅行日記13 いよいよマントヴァへ

ホームへ行くと
乗る列車はすでに来ていた。
ホーム隅の黄色い刻印機に
切符を通した。
これしとかないと罰金らしい。

座席指定ではないので
1等か2等のどの席に座っても良い。

一応1等を買ったので
1等車両に乗り込み
席を確保。

しかし、それにしても
車両の外観、落書きだらけだ。

1等の車内も、お世辞にも
きれいとは言えない。

窓も汚れているので
せっかくの車窓からの景色も
残念なことに。

トイレはなんと便座が無かった。

車両数の多いのにも驚いた。
さすがに、端まで見に行く元気は無かったが。

いろいろ驚いているうちに
時刻通り、列車はミラノ中央駅を出発した。

凄く速いでもなく
かといってノロノロでもない
イタリア鈍行初体験だ。
ミラノ市街を抜けるまで
至る所にスプレーで描いたと思われる
落書きが目に付いた。
ちょっと残念な気がした。
そういえば、バスで市内を通ったときも
目立っていたなぁ。

ここからマントヴァまでの記憶が
抜けている。
いろいろ話していたのか、
よく覚えていない。
少し緊張が解けたんだろう。

列車は段々遅れて、結局マントヴァには
20分近く遅れて
14時40分頃に到着した。

みんなは今頃、マントヴァ市内を観光しているはず。

ホテルは駅の目の前だ。
フロントへ行くと、待ってましたとばかりに
お兄さんがチェックインに応じてくれた。

他のみんながどこにいるか
尋ねてみるも、はっきりしたことは
分からないとのこと(そりゃそうだ)
部屋に荷物を置き
15時頃に、フロント前に集まって
とりあえず街に出てみよう
ということになった。

翌日に演奏会を控え、
何とか無事に到着できたことに
かなりホッとした瞬間だった。

つづく・・・。

2010年5月22日(土)
演奏旅行日記14 鳥の歌

このマントヴァでのホテルは
10年以上前に
泊まったことのあるホテルだ。

記憶はかなりおぼろげたが
玄関入って正面の
小さな中庭には憶えがあった。

油圧式?と思われるエレベータを使って
最上階へ。といっても、3階。

屋根の傾斜がそのまま
部屋の天井の傾斜になっている部屋。

小さなシャワー室とトイレ、ビデがあり、
開閉式の天窓が付いていた。

緊張と疲れを外へ追いやる様に
部屋の窓を開ける。

窓からは
小さな中庭を見下ろすことができた。
と、同時に、
絶え間無い鳥のさえずりが聞こえてきた。

変な話、
携帯の着信やPCの効果音として聞いた事のある
そんな典型的な鳥のさえずりだ。

最初、どこかにスピーカーでも
仕込んでいるんじゃないかと
疑いたくなる程に、
どこかで聞いた事のある
鳥のさえずりだった。

その本物が絶えず聞こえてくる。

日本ではない
どこかに来た事を
ようやく、実感した。

鳥のさえずりに
後ろ髪をひかれながらも
部屋を後にして
フロントへ降りて行った。

つづく•••

2010年5月23日(日)
演奏旅行日記15 ようやく合流?

重い荷物から解放されて
身軽になって集合。

さてどこへ行こうか?
と相談になった。

観光中のみんなが
どこにいるかはわからない。

じゃぁ演奏会場の下見にしよう。
ということで、ホテルで簡単な地図をもらい
街の中心部へと足を進めた。
ホテルを出て、右に
建物沿いに進んで
最初の角で右に
その後、突き当たった大きな通りを
左に進んで行く。
後は、大体道なりに進む。

この街で何度か辿る
お決まりのコースになるとは
この時思っていなかった。

途中、携帯の電波をつかんで
先発組の何人かに電話をかけたけれど
つながらなかった。

10分ほど行ったところで
見覚えのあるところが。
街も段々にぎやかに。

途中で、再び
vodafoneの看板が。
後で寄れると良いな。

やがて、マントヴァのドゥーモが
正面に見えてきた。

確かこの角のお土産屋さんで
なぜか阪急のラガールカードが
売っていたよなあ
なとど思い出しながら
さらに進むと、
ドゥカーレ宮殿前の広場に。

聖バルバラ教会は
この付近のはずだけれど、
よくわからない。

とりあえず、ドゥカーレ宮殿の中庭へ。

あぁ、何か憶えがあるなあ、と
思いながら歩くも、
この中庭、さほど広くなく
目当ての教会も
この中庭に面しているわけではなさそう。

あの塔がそれっぽいなあ、
などと話すも、
ホテルでもらった街の全体図では
ここまで来るのが
限界の様だった。

試しに、再度、携帯の電波を
拾って、先発組の何人かに
かけてみた。が、
繋がらなかった。

手詰まりである。

つづく••••。

2010年5月23日(日)
演奏旅行日記16 合流は突然に

突然、黒電話の音が鳴った。

いえ、黒電話という名前の着信音が。

陽子さんからの電話だ。
「今どこー?」

場所を説明すると、
偶然みんなもドゥカーレ宮殿にいて見学中とのこと。

?宮殿の中?
向こうからはこちらが見えているらしく
こっちに来るとのこと。

ようやく、自分たち3人以外の
日本人を見て、
ホッとするのかなと思っていたけれど
自分の中ではすでに、明日の演奏会のことが
気になり始めていたのだった。

陽子さんに連れられて、
ドゥカーレ宮殿の中にいる
みんなと合流。

みやこさんや、ぶんちゃんは
わーっ!てな感じで
無事の到着を喜んでいた。

僕の方は、すでに明日の頭になっていたので
ずっと一緒にいたかのような顔して合流。

すぐにバルバラ教会へ向かうとのことだった。
一緒について行く。

入り口はもう少し先に行ったところにあった。
今回、僕個人は、演奏旅行の全容を
あまり把握できないまま
来ていたので、頭の中は
旅行<<<<<演奏
というバランスになっていた。

教会に入るなど、一連の流れが
さらに、それを加速させた。

今にして思うと、
たどり着くまでの緊張感が
そのまま演奏への緊張感に
移行したんだろう。

しかも、メインではなく
客演の形での参加ということで
失敗は許されない
がんばって仕上げてきた
演奏の邪魔をしてはいけない
足引っ張るなんて言語道断という
緊張感が自分の中であった。

ヴェスプロを演奏するとき
こんな感じになるなぁ。
と今更ながらに思った。

教会を後にして
その後、ビビエーナ劇場?
ドゥーモに立ち寄りながらホテルへ。

もう、後は帰るだけなので
ことわって、vodafoneショップに寄り道した。

現地のSIMカードを購入するためだ。
現地で安くインターネットをするために。

ショップの若いお兄さんは
訳の分からん東洋人に対して
親切でした。
パスポートが必要とのことで、
ホテルへ取りに行き、
その後、無事購入。詳細は追々。

ホテルの食堂で練習後、
夕食は、
バルバラ教会へ行く途中にあったレストランで
いただく。

ここからは、どんどん演奏会の頭に。

つづく・・・。

2010年5月24日(月)
演奏旅行日記17 演奏当日

目覚めると
鳥たちの鳴き声が聞こえる。

時差ボケも覚悟していたけれど
影響少なく、すっきり目覚めた。

下に降りて朝食を取りに行くも
勝手がよく分からない。

とにかく席に着くと
コーヒーかカプチーノか紅茶か
と尋ねてくる。

イタリアでの初めての朝食を
おいしく落ち着いていただいた。

その後、近くの小学校を
お借りして練習へ。
ホテルを出て右に、道なりに
しばらく行ったところに
その小学校はあった。

お世話をしていただいている
イタリア人たちは
かなり協力的。

机や付帯設備も
好きに使って良い雰囲気だった。

練習場所は、体育館。

周りは住宅街なんだろうけど
印象に残る風景にあふれていた。

おおよその動きと
演奏曲目が決まった。

いったんホテルに帰り、
各自、昼食。

僕も何人かで誘い合わせて
オープンカフェで食事。
みな違うものを頼んで
食べ合ってみた。
どれもおいしい。

その後ホテルへ。

ここで、ライナーが合流したように
記憶している。
息子のクリスティアンと一緒に。

演奏会準備をし、演奏会場へ向かった。

ここで、フレスコバルディの
Sancta Mariaを演奏するため
選抜のテノール4人だけ
ライナーの車で、先に向かうことに。

図らずも、マントヴァの美しい
湖岸の風景を拝むことが出来た。

・・・つづく。

2010年5月24日(月)
演奏旅行日記18 バルバラ教会

今日、僕が歌うのは
フレスコバルディと
6声のマニフィカート
天地始之事
追分節考。

特に
フレスコバルディと6声のマニフィカートは
教会の構造を存分に利用して
演奏することになった。

このバルバラ教会、
十字架状の形状をしているだけでなく
2階部分にスペースがあり
そこへの移動などが
非常にやりやすく出来ている。

響きも、先生が言及されていたように
これまでの演奏旅行の中で
ベストの響き。

修復、修理の終わったオルガンは
鍵盤の形状がユニークで
ショートカットの鍵盤があるとのこと。

オルガンは教会上手の2階部分にあり
反対側の下手部分には
演奏者が十分に立てるスペースがある。

教会入り口真上も2階部分があり
十分な広さ。
実際に最初の曲はここで演奏。
その上手、下手にもスペースあり。
下からは奏者が見えないようになっている。

それらの場所へのアクセスは
非常に容易なため、
演奏中にシフト移動など
やりやすかった様が想像できる。

「絶対、ここでヴェスプロやったはず」
「ヴェスプロの構成に、この教会の影響があったはず」

僕だけでなく、皆そう思ったに違いない
そんな教会です。

ここで、ヴェスプロ歌えたら幸せやろなぁ。
とそんなことを考えてしまった。

ここに来れて良かったと
本当にそう、思った。

2010年5月25日(火)
演奏旅行日記19 演奏会のこと

京都モンテヴェルディと
名古屋ビクトリアの演奏を
ゲネは会場で
本番は袖で聴いていた。

良い意味で
生き生きとした若さが全面に出ていた。

ハーモニーの純度は
すばらしく、
ずっと聴いていたいほどだ。
かつてシュッツのお客さんをしていた頃を
少し思い出した。

僕自身はというと
そのハーモニーに酔いつつも
かなり緊張していた。

フレスコバルディは
選抜したテノールのメンバーで
指揮なしでの演奏。
この辺から気がつくべきだった
いつもと違う緊張感に、とらわれていたことに。

6声のマニフィカートは
初めて歌ったときより
緊張していたかもしれない。

キーが半音弱高いせいもあるし
オルガンのそばで
テノール2ともかなり離れた場所で
本来なら、それも想定の上で
本番に望むべきところを
緊張から、かなりテンパっていた。

その後の
天地始之事も、
僕個人は乗り切れないまま
終わったように思う。

部分参加なのに
個人的には、落第だ。あくまで僕のみ。

モンテヴェルディ、
ビクトリアのメンバーは
凄かった。

演奏旅行が初めてとは
とても思えなかった。

最後の追分は、ゲネ後に
僕が提案して、全音下げにした。

結局時間が足りず、
全音下げはぶっつけ本番になった。

にもかかわらず、凄かった。
僕は「う」をやらせてもらったが
シュッツでやるのと
ほとんど差を感じず演奏できた。

お客さんにも
かなり喜んでもらえたと思う。

と同時に、イタリアとドイツの違いが
僕にはおもしろく感じた。

ドイツのお客さんは
熱狂的だけれど行儀が良い。

イタリアのお客さんは
もう、自分が感動したら
途中だろうが何だろうが
わーっとこっちに寄ってきて
良かった良かったと
表現もストレート。

追分を演奏する直前、
男声は後ろにスタンバイするんだが
それまでの演奏に興奮したお客さんが
スタンバイする男声のところに来て
つまみ出される一幕も。

終わった後、前へ戻る
男声陣に割って入って
感想を言ったりと、
ストレートでオープンな
まさにイタリアといった感じだ。

人生いろいろあるけど
楽しもうぜ!
っていうのが全面に出た印象だった。

この後2回、演奏会があるけれど、
演奏に対する反応はどこも同じだった。

なんか、イタリアって良いなぁ。
来て良かった、本当にそう、思った。

つづく・・・・。

2010年5月25日(火)
演奏旅行日記 20 ヴェネツィアへ

今朝は少し曇り気味。

朝食で、下に降りると
笹川さんが、えらい声で
近づいてきた。
どうしましょう?と。

昨日のステージは
やはり大変だったようで、
声に疲労が感じられた。

シュッツの女声陣に相談するように
ひとまず、アドバイス。

多分、大丈夫だろうな。

荷物をまとめて
チェックアウト。

程なくバスが来た。
ここからヴェネツィアまで
約3時間弱の旅。
約160km。

ほとんど渋滞らしい渋滞はなし。

景色はむしろ、バスからの方が
楽しめた。

というのは、バスは普通に綺麗で
窓も綺麗だったのだ。
列車の窓がどれだけ汚れていたかは
・・・・・・・。

ここで、試しに電波だけ掴んでみる。
データローミングはオフで。
すると、offMapsというソフトで
現在位置を表示できた。

電波さえ掴めば
GPSだけは働くようだ。
(他に、星座を見るソフトも動作した)

途中サービスエリアで
トイレ休憩。

その後、いよいよ
橋向こうがヴェネツィアという所まで来て
なにやら違う方向へ。

何か許可?通行料金?
手続きが必要らしく、
しばし足止め。

その後、無事、ヴェネツィアへの橋を渡り
バスターミナルに到着した。

以前に来たときは
2回とも列車だったので
今回着いた所は、知らない場所だった。

50人以上の団体が
ゴロゴロと移動。

新しいアーチ型の橋を渡り
しばらく行くと
見覚えのある、
ヴェネツィアのサンタルチア駅。

このあたりまで来ると
覚えがいっぱいある。

駅を左に見ながら
そのまま道なりに少し行くと
ヴェネツィアの宿があった。

まもなく、ゲネプロが始まるが
ひとまず、荷物を
置くことになった。

つづく••••。

2010年5月27日(木)
演奏旅行日記21 部屋はどこだ?

ヴェネツィアでの宿、
フロントは2階で、
そこまで、
エスカレータやエレベータがないため
これだけの集団が荷物を上げるのに、
結構時間がかかってしまった。

演奏旅行委員から、順次
鍵を渡され、
部屋に向かうことに。

が、行き先は
上に向かう階段一つ
併設するエレベータ一つ
それと、奥に向かうと思われる
細い通路一つである。

その細い通路、少し向こうが
行き止まりに見える。

??どこだ?部屋は?

一人が偵察に向かう。
どうやら、細い通路、突き当たりを
左に曲がれる様だ。

しかし、それだけでは
この人数を収容できるとは
思えない。

さらに行くと、突き当たりを
右に曲がることができた。

まだ、目指す部屋番号はない。
曲がって少し驚いた。

今度は、一見して突き当たりが見えない。
????
どこまであるんだ?
このホテル?

さらに行くと、途中
下に降りる階段あり、
さらに行くと、上と下に行く
階段ありと、
迷宮の様相を呈してきた。
ここまできて、突き当たりが見えた。

僕の部屋はその角だった。

突き当たりは、右に続いていた。
そちらに向かう人もあった。
どうも、それで行き止まりの様だった。

何か、面白そうなホテルであることは
間違いないようだ。

部屋は小豆色というか、ワインレッドで統一された
落ち着いた部屋だ。

窓を開けると、狭い路地を挟んで
すぐに向かいの建物で、
上1/3は、屋根だった。
何とも趣のある風景。

ここでも、マントヴァと同様の
鳥の鳴き声と、
加えて、カモメの鳴き声が
耳に飛び込んできた。

海の街に来たんだよなあと、
改めて思った。

演奏会の準備をすると、
フロントへと向かった。
今来たばかりの長い道を逆に。

つづく•••。

2010年5月28日(金)
演奏旅行日記22 風、演奏会、雨

ホテルから、サンタルチア駅前の
船着き場へ移動。

当初、この近辺で各自昼食を取る予定だったが
急遽、現場付近で
みんなの分をまとめ買いすることに。

演奏会場まで、チャーターした
船での移動だ。

雲が増え、風も少し出てきた。

到着するはずの場所を
少しオーバーして
逆戻りして目的地に到着。

おかげで、海からのサンマルコ寺院を
少し拝めた。
(だから問題ないだろう?とは船長の弁)

今日の会場は
S.Maria del Rosario (vulgo Gesuati) 教会。
ロザリオの聖マリア教会とも言うところ。
ガイドブックには載っていない。

ひとまず教会に荷物を置いて、
まとめて頼んだ昼食が
みんなに配られて
教会の外で食べた。

目の前のお店で頼んだ模様。

その後、ゲネプロ
着替えとあわただしく
あっという間に本番。

今日は全部歌えることになった。
(後で、このスタイルが一番やりやすいことに気がつく)

オルガン側で、
フレスコバルディのSancta Maria。

オルガンの位置が
礼拝堂奥の下手側二階。

そこに至る経路もなかなか興味深かった。
礼拝堂奥の下手側に
小さな礼拝所があり、
その奥のカーテンを過ぎて
階段を上る形になる。
そこが、良くも悪くも
片付けてない風体で
教会の舞台裏を見たような
気になってしまった。

演奏初っぱな、
昨日の4人でスタンバイ。

お客さんは結構いっぱいで
礼拝を進めながらの
コンサートになった。

喉の調子を整える意味で
教会音楽中心のプログラムだった。

それでもお客さんは
喜んでくれた印象だった。
最後、はける位置を間違えて
礼拝堂奥へはけてしまった。
最後、一人がはけるまで
温かい拍手。

しかし、実際に着替えるのは
教会後ろ下手側。
タイミングを見て出たけれど、
思ったより、お客さん残っていた。
しかし、会場からはける
僕らに再び温かい拍手が。

良いお客さんでした。

ゲネプロ含めて、
教会に滞在したのは
2〜3時間程度か?

外に出るとすっかり雨だった。

つづく•••。

2010年5月31日(月)
演奏旅行日記23 雨のヴェネツィア

演奏が終わって外に出ると、
少し吹降りになっていた。

あまりに空腹だったので
お昼を大量購入した
教会前のお店で、水とお昼に食べた
巻きずしのようなパンを購入。

色々な片付けなどて、
教会を後にしたのは、
しばらくたってからだった。

サブリナの案内で
明日、演奏に使う教会へ
下見に行く事になった。

船着場とは逆方向に
しばらく行くと、
アカデミア橋がある。

橋を渡ってから程なくして
ステファノ教会があった。

しかし、教会側の事情で
数名しか中に入る事が
出来なかった。

その間、雨の中で
待たなければならなかった。

その対応に、サブリナは
結構怒っていたらしい。

それから、今来た道を戻って
再びアカデミア橋の水上バス乗場から
水上バスに乗り
ホテルへ帰る事になった。
と思う。
少し記憶が曖昧だ。

雨は降っていたものの、
水上バスからの風景は
充分に堪能できた。

ホテルへ戻って
しばらくしてから
夕食となった。

夕食までの間
部屋で先ほど購入した
巻きずしのようなパンを食べた後、
雨が小降りになったので、
ホテルから駅の反対側へ
少し散策して見た。
何かを見るというわけでは
なかったが、
やはりこの街は、少し長めに滞在して
気ままに歩くのが良いなあ
と思った。

夕食は、先ほど、散策した方向へ
すぐの所にある
レストランだった。

ヴェネツィアらしく、
海産物の料理が美味しかった。
ワインがおいしかったのは言うまでもなく
実はビールがおいしかったのは意外だった。

ホテルへの帰りは、
結構な土砂降り。
明日は晴れると良いなあ。

つづく•••。

2010年5月31日(月)
iPad

予約開始は、
演奏旅行の帰国と前後していた。

しかし、帰国直後に風邪を患い
予約は仕損ねた。

何度かヨドバシに足を運ぶも
予定数を上回ったのでということで
受けてもらえなかった。

ところが、発売日近くになると
予約できなかった人のために
在庫を用意する店舗があるとかないとか。

発売日に、いくつかの店舗に
電話してみると
確かにあるとのこと。
ただし引き渡しが明日以降になる。
手続きの関係だろう。

そして、なかなか繋がらなかった
ヨドバシカメラ梅田に電話したところ
在庫があります!とのこと。

夜、行ってみると
無事予約完了。

翌日の土曜日昼には手に入っていた。
買ったのは3G+Wifiの64G。

動画と音楽しこたま入れても
まだ半分も残っている。
動画も大画面でなかなか良い。

限られた用途なら、
外出時のノートPCの代わりになるだろう。

昨日は熱出してぶっ倒れていたので
これからせいぜい楽しむとしよう。

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