日々つれづれ
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2010年6月2日(水)
演奏旅行日記24 わずかな時間で・・

朝、あまり天気は良くなかったが
時折、雨がぱらつく程度。
なので、朝食後
ホテルの全容が気になってしょうがなかったので
集合までの間にちょっと散策。

自分の部屋から見える路地は
ホテルからサンタルチア駅前へ向かった
最初の角を曲がった道だった。
ずんずん歩くと、
自分の部屋の窓が見えるまで
ずいぶん距離があることが分かった。
もう少し歩きたい衝動を
押さえてホテルへ帰る。
後日、確認するとホテルは
アルファベットのPの形をしていることが
わかった。

部屋に戻ると、路地の壁に反射して
歌声が聞こえてくる。

ちょうど階下の江戸さんとみやこさんの部屋だ。
それに引かれるように
目の前の屋根の上にカモメがやってきた。
下のハモりに合わせつつ
演奏会の準備をした。

ロビーに集合。
教会は演奏会直前しかゲネが出来ないとのこと。
近くの施設を使わせてもらえるとのことで
演奏会準備をして
向かうことになった。

今日は水上バスでの移動。

お客さんも多く、
全員が一気に乗るのは無理で
2つに分かれていくことに。

行き先は昨日、帰りに乗った
アカデミア橋駅。

向かう間に、
少しずつ天気が回復。
雲間から日の光も見え始める。

水上バスでは、
いくつかの出会いがあり、
旅行者と話が弾んだ人もあったようだ。

程なくアカデミア橋駅に到着。
そこから橋を渡って、
演奏するステファノ教会を少し過ぎたところに
練習会場はあった。
ホテル?の礼拝堂?
的な場所。
不思議な空間でした。

荷物を置くと、
時間はわずかでしたが
サンマルコ寺院を見に行くことに。

ヴェネツィアに来て
サンマルコ寺院を見ないのは
さすがにもったいないと思われ。

練習場から
細い路地を縫って
サンマルコ広場へ。

リュックが寺院内禁止なので
何人かが預けて
その後サンマルコ寺院内へ。
寺院としての静寂さとは無縁で
凄い人。
天気も晴れてきたのでなおさらか。

少し歌えるかと期待するものの
責任者がおらず断念。

サブリナのガイドが付いていたものの
最後尾を歩いていたため
あまり聞こえなくて残念だった。

その後、運河沿いに
元の練習場まで戻った。

この頃には、空は晴れてきて
日が差してきた。
昨日、演奏会の帰りに雨だった道は
晴れるとまた違う顔を見せ
同じ道にもかかわらず、
新鮮に感じたのは印象的だった。

つづく・・・。

2010年6月3日(木)
未だ完治せず

風邪の症状がこれだけ続くと
いやになります。

それとは別に気持ちの晴れない
状態でもあります。

演奏旅行で少しリフレッシュできるかと
思っていましたが、
ねらった効果はありませんでした。

演奏旅行そのものは
得難い体験で、すばらしかったのですが。

回復が遅いのは
気持ちの部分もあるのか
回復が遅い故に
気持ちの回復が追いつかないのか
よく分からないところですが
本当にすっきりしません。

たぶん、飽きるまで
休みたいのかもしれません。

そろそろ仕事しようか
そろそろ歌おうか
と思えるまでに。

ま、実際無理ですが
そんなことは。

何にしても、この風邪
何とかしたいですな。

2010年6月4日(金)
iPadつれづれ お、便利、未来やなぁ

昨日の帰りあたりから
通勤電車内でiPadを使い始めた。

ちょっと周りの好奇の目も気になったけど
通勤電車内での使用というのは
目指す使い方の一つでもあったので
この際、開き直った。

で、今朝、Evernoteで文章を書いていて
ふと、今どこか気になった。
が、電車は混んでいて
景色が見えない。

Evernoteを中断、
地図を開く。
あっというまに現在値計測、地図表示。

同じ事がiPhoneでも出来るけれど
スピードが別物。
僕が持っているのは
iPhone3GSだけれど
それよりも遙かに処理が速い。

ちょっと未来を感じた。

2010年6月9日(水)
旅行記中断中

mixiのフォト機能が変わってしまったのもあって
旅行記は中断している。
mixiの中なら旅行記は写真付きです。
今は、紹介が無くてもアカウントを作れるので
写真付きがいい人は、mixiの方へ


写真のほとんどをiPhoneで撮影していて
アプリで、写真をアップロードしやすいものがあり
機会をみて、アップしていた。

5/3までのは上げているのだけれど
いかんせん、日記に取り込めない。

写真なしなら、
出来なくもない。

原稿そのものは
もう、ワイマールに到着したところまでは
できあがっている。

さて、どうしたものか。

2010年6月10日(木)
演奏旅行日記25 イタリア最後の演奏会そして

昼食は、近くの店で購入した
大量のパニーニ。

練習会場で、みんなそれぞれにいただく。

昼食後、先生から
昼寝の指示。

その後、練習。
今日も全部歌えることになった。

長年、全部歌うというスタイルをやってきたせいか
この形が一番しっくりくることに
改めて気がついた。

開演の1時間前からなら
教会が使えるが、
着替える場所などは無いため
練習場で交代で着替え
ゲネも衣装のまま、することに。

追分けのセッティングに思ったより
時間がかかり
(マントヴァの時とは違い制約が多かった)
ゲネ終了と開演がほぼ同じに。

ひっこむべき舞台袖もなく
教会の下手側に固まって
開演を待つという
未だかつて経験したことのない状況に。

そういえば、キューだしのタイミングとか
どうなってたっけ?
という状態で、何とか開演。

事前の宣伝があまりなかったせいか
今までで一番少ないお客さんの状況から
スタート。

ただ、演奏が進むごとに
会場は少しずつ熱を帯びてきて
追分けが終わると
スタンディングオベーション。
前へ戻ろうとする男声の間を割って
握手を求めてくるほど。

アンコールももっともたくさんやることに。
最後、バーバーのアニュスデイは渾身の演奏。

どこにそんな声が残っていたのか?
と驚くほどの熱のこもった演奏だった。

教会関係者も最後は上機嫌(に見えた)で
教会内に飾られている絵のレプリカを
団員一人一人に配ってくれるほど。

終了した後も、会場にいる団員を捕まえては
熱っぽく感想を述べるお客さんの風景が
あちこちで見られた。

初めての演奏旅行が
こういう形で体験できた彼らは
良かったなぁ、と思った。

片付けが終わって
外に出ると、
空はすっかりさわやかに晴れ渡っていた。

着替えて、アカデミア橋方面へ。
橋を渡って、昨日演奏した
ロザリオの聖マリア教会まで
歩いていった。

昨日の行きと同様
船をチャーターしてあって、
船着き場から乗り込んだ。

ライナー曰く、水上バスで行くより
チャーターした方が安いから
ずっとそうしたら良かったのに、
とのこと。

すべての公式日程が終わった船内は
開放感で、みんなのテンションも
高めだった。

やがて船は、サンタルチア駅前の船着き場に
到着した。

つづく・・・。

2010年6月11日(金)
演奏旅行日記26 ヴェネツィアの夜は更けて

チャーターした船が
船着場に着いた。

船を岸に引き寄せ、
さあ、どこから渡るんだ?
と見ていた。

船員のお兄さん、
当然のように、
しかし、若干ためらって
すぐ近くの足場に
渡し板をかけた。

え、ここを降りるの?

そう、「渡る」のではなく
「降りる」という表現が
しっくりくる程に
渡し板は、足場に向かって
見事に下っていた。
船 ̄岸 ではなく、
船\岸 な感じである。

多少まずいと思ったのか、
船員のお兄さん、
岸にて、みんなが降りるのをサポート。

幸い、ここで取り上げるような
不幸なハプニングが起こる事なく
全員無事に下船完了。

みんなから拍手と
船の見送りが盛り上がったのは
言うまでもない。

気が付けば、
ヴェネツィアは
美しく夕暮れていた。

ホテルへの帰りに、
露店で、リンゴを一つ購入。
1ユーロ。

マントヴァのホテルは朝食に
果物が用意されていたが
ヴェネツィアのホテルはなく、
ちょうど、果物が欲しかったのだ。

さて、ここからは
居残り組が
夜のレセプションまで、
少し大変になる。

明後日、ドイツのワイマールへ向かうのだけれど、
そのメンバーの大きな荷物を
車で運んでくれると
ライナーが申し出てくれたのだ。

早速荷物をまとめて、
ライナーの車まで持って行く事に。

が、ここはヴェネツィアである。
街中に車は乗り込めない。
そもそも、駐車場ってどこ?

ありました、
我々がヴェネツィアに降り立った
バスターミナルのすぐ側のビルが
駐車場でした。

移動が少し大変でしたが、
ライナーの車は
建物の屋上にありました。

どうなることかと思いましたが
見事に荷物は車に収まりました。
そして、ここからの景色は
少し新鮮だった。
ヴェネツィアは、その大半が
古い建物で、高くてもせいぜい、
4階があるかないか。
街をこの高さから見る事は
あまりないからだ。

翌日、ライナーは
浅野と久富を乗せ
一足先にワイマールへ
向かう予定。
出発は、朝の5時半らしい。

すっかり、身軽になって
レセプション会場へ向かった。

会場は泊まっているホテルの目の前
四つ星ホテルのレストランだ。

レセプションはすでに始まっていた。
空いている席につく。
バイキング形式なので、
早速料理を取りに。

さすか、四つ星。
料理は美味しかったです。
特に魚の料理は絶品でした。

いろんな人から
コメントをいただきました。
サブリナが通訳してくれます。
話の内容から、この演奏旅行が
うまく行ったことが伺えました。

ただ、サブリナの通訳で
「なかなか〜」の使い方が
若干おかしかった様に
思いましたが、
話していただいた方々の思いは
充分に伝わりました。

終わりごろ、ドルチェとよばれる
デザートが出て来ましたか
これが、死にそうな程に
甘いこと甘いこと。

もったいないとは思いましたが
残してしまいました。

外に出て、テノールの若手と
何か喋ったような気もする。
先生たちが駅の方のカフェにいるとのことで
合流。

結局、結構な人数になっての
最後の夜のお茶になった。

お開きになって、ホテルに戻ってからも
しばらくロビーで話をしたり
写真を撮ったりと
部屋に戻る頃には日付が変わっていた。

つづく•••。

2010年6月13日(日)
演奏旅行日記27 雨女の涙雨?

今朝は、昨日とは打って変わって
曇り空。

今日は、メンバーの大半が
帰国する日。

聞くところによると
何人かは朝方まで話し込んでいたらしく
早朝5時に出発する
ライナーたちを見送った者もいたとか。
若いなぁと思わず遠くを見つめてしまった。

朝食をすぐに済ませて
見送りに同行した。
空港まで、チャーターしたバスで向かうため
大勢が、ヴェネツィア初日に降り立った
バスターミナルまで行かなければならない。

大きな荷物なのに加えて、
お土産もあるのか
この人数が移動する様は
なかなか壮観。

無事に橋を渡って
ターミナルに来たものの、
バスはどこか分からない。

先に行っていた、陽子さんとミキティに
連絡を取り、無事にバスにを見つけた。

別れを惜しみつつ、バスはやがて出発した。
と、同時に、雨が。

ホテルに向かうにつれ
雨足がどんどん強くなって来た。

佐知子の涙雨ということで
全員の見解は一致したのは言うまでもない。

宿に着いたら、残ったメンバーが
朝食中だった。

コーヒーだけもらって
部屋に戻る。

街へ繰り出すのは昼からということになった。

手持ち無沙汰なので、
マントヴァで購入した
プリペイドのSIMカードを
再度試してみる。
購入した時、つながるのは
二日後の日曜日と言われていたけれど
昨日は、結局繋がりもしなかったのだ。
しかも、今日は月曜日。

ダメなことも覚悟の上の購入だった。

!!!
電波拾ってる!

成功である。
予定よりは遅れたけれど、
無事につながった。

接続テストも成功。
久々にメールを取り込めた。

外を見ると、雨足は更に強まっていた。

つづく•••。

2010年6月14日(月)
演奏旅行日記28 静かな雨

ヴェネツィアを散策するのは
昼からにしようということになった。
案内してくれる
サブリナの仕事が終わるのが
午後1時過ぎらしく、
雨も随分降っているので。

ホテルのロビーから
駅前へ続く通りを眺めていると
通勤時間帯なのか
仕事へ急ぐ人が目に付いた。
ヴェネツィアに来て、
こういう風景を見るのは
初めてかもしれない。

部屋に戻ると
多少疲れもあって、
雨音を聞きながら、
少しぼーっとしていた。

このままだと何ので、
BGMでもとiPhoneの中身を見てみると
お、ヴェスプロがある。

しかも、フレスコバルディの
Sancta Mariaが入っているやつ。

雨は強くなってきた。

通奏低音盤のヴェスプロがなんとも
マッチする。

バッハでもなく
モンテヴェルディが入っていて
良かった。

それを聞いているだけで
午前中は終わってしまった。

雨は一向に止む気配はなく、
昼食はホテルの真下の
ピザ屋さんで取るとになった。

ロッコさんも合流して
店の奥へ。
僕らが入ってからあっという間に
店内は満杯になった。

僕らが食事に時間がかかったのもあるけれど
いっぱいだった人は、ある時間がすぎると
あっという間にいなくなってしまった。

外に出るとまだ、雨だった。
ここで、サブリナが合流。

サンタルチア駅前の橋を渡って
フラーリ教会へ向かった。

モンテヴェルディのお墓のある教会だ。
尋ねるのは10年以上ぶりになる。

今回はサブリナのガイド付きだ。
少しずつ作られたという教会の歴史から
礼拝堂奥にある昇天するマリアの絵と
入り口からの位置関係、
教会の蔵書がすごい量で、
元モンテヴェルディ団員の園田さんと
調べに来た話であるとか
頭に入り切らないくらい
たくさんの話を聞いた。

もちろん、モンテヴェルディのお墓参りも。
外に出ると、風はあるものの
雨は止んでいた。

更に先に進もうとしたところ
マントヴァから来てくれていた
ロッコさんが、列車の時間があるから
ここで帰ると。

もちろん、みんなして全力で説得
帰るのは明日になりました。

再び、サブリナを先頭に
細い路地を進んで行きます。

が、行く先は・・・・・・・。

つづく・・・・・。

2010年6月17日(木)
演奏旅行日記29 水の都だなぁヴェネツィア

行く先は、運河。
ここで、道が途切れていたのだ。

?どうするんだ?
と見ていると、小さな船着場。
前半分のグループが
ゴンドラに満載されて
対岸へ向かっているのが見えた。


渡し舟?
船着場の看板をみると
"S.Toma"

「Tomaの渡し」かよ。

ヴェネツィアは今回で
たぶん3回目になるけれど
ゴンドラの渡し舟は初めてだ。

前半分のメンバーを乗せた渡し舟は
こちらへと帰って来た。

ゾロゾロと乗りこむ。
出発。

!予想以上に川面が近い。
というか、すぐ側が川面。

しかも、微妙に傾いている。
とても、iPhoneを取り出す気にはならず、
多少ビクビクしながら
ほどなく対岸へ着いた。

後で、水上バスから観察すると
橋のないところでこういった
渡し舟は何箇所かありそうな雰囲気だった。

もしここで、渡らないと、
リアルト橋まで遠回りすることになる。
と、後で地図を見てわかった。

そこから細い路地を行く。

途中、モーツアルトが逗留した建物を過ぎ、
昨日とは違う道を通って
サンマルコ広場に到着。
直前に、ゴンドラがいっぱい集まった場所があり
その岸にハードロックカフェがあったのには
少々驚いた。

午前中、雨だったせいか
広場に人は少なめだった。
世界最古のカフェへ向かうと
すごくイタリアっぽい曲を
楽器での生演奏。

当のカフェはもちろん現役で
お客さんは一杯だった。

サンマルコ寺院は昨日見たので
今日は併設するドゥカーレ宮殿へ向かった。

雨は上がったけれど
曇り空。今日は晴れないような気がした。

リュックを預けて
ドゥカーレ宮殿へと入る。

前回来た時は随分暑い時期だったので
今回のように少し肌寒い日だと
印象が違って見えた。

前回と被っているコースもあるんだろうけど
今回、サブリナのガイドで印象に残ったのは
ヴェネツィアの象徴でもある
「ライオン」だ。

飾られている絵画の裏話も
なかなか面白かった。

ここから、ホテルに帰るまでの
記憶があまりない。

水上バスに乗って帰ったはずなんだけれど
どこから乗ったのか
今ひとつ記憶があまりなく曖昧だ。

夕食は一昨日と同じレストラン。
食事はおいしかった。
店員さんの対応も良かったし。

終わって店を出ると
土砂降りだった記憶が。

ロビーで、先生と何人かに
Wifiの電波を使ってもらって
メール取り込みなんかをして
お開きになったような。

とにかく、ヴェネツィア最後の夜の記憶は
曖昧だった。
つづく・・・・。

2010年6月18日(金)
トイレの神様 植村花菜



ここ最近、よく聴いている。

良い曲だなと思う。

内容は、主人公である女性が
子供の頃、祖母と住んだ
思い出を歌ったものだ。

トイレ掃除が苦手な女の子に
おばあちゃんは
「トイレには、それはそれは綺麗な女神様がいるんやで
だから毎日綺麗にしてたら、女神様みたいに
べっぴんになれるんやで」

と言います。

やがて、女の子は大きくなり
おばあちゃんからも離れていきます。

植村花菜さんの自身の経験でしょうか。

詳しくは、聴いてみてください。
僕はナイトスクープを見て知りました。
この曲を聴いて号泣する男の子の依頼で。

悲しいばっかりじゃなく
おばあちゃんに対する
感謝の歌だと言うことを
教えてあげて欲しいという内容でした。

最終的には、仕事でたまたま大阪に来ていた
植村花菜さん本人が、
その子の前で、生ギター一本で
歌ってあげるんですが、
男の子は号泣せず、お母さんが号泣したという
オチがつきましたが。

このライブが、途中カットされてましたが
良かったんですよ。
(まぁ、全部で10分近い曲なのでカットは仕方ないですが)

アルバムも出ていて
3枚ほど買って聴いてみました。

良いなと思いました。
特に気に入ったのが
コミックソング系の歌。
「わたしはじめ」
「腹ペコブギウギ」
など。

他にもあるんでしょうけど
ギターと歌だけの方が
彼女の魅力が出ると思いました。

他のアルバムも買ってみることにします。

2010年6月23日(水)
組織の上に立つことは大変

そんなことは、当たり前だと思う。

だから、給料も多いし
権限も増える。

でもなぁ・・・・。
一人では何も出来んと思うのだ。

上に行くほど、そうなっていく。
と僕は思っている。

キレ芸と笑っていられるうちは良いが
それで、信用を失っていくのは
上に立つ立場としてどうなんだろう
と思う。

誰が鈴付けるんだ。ったく。

2010年6月26日(土)
つれづれなるままに

今、40歳。

あと4ヶ月ほどで41歳。
今年は本厄らしい。
もうすぐ、バカボンのパパと
同い年なのだ。

冷静に考えると
40歳に自分がなっているのが
凄く不思議だ。

子供の頃、小学生くらいの頃に
漠然と思っていた将来とは
ずいぶん違う。
21世紀はこねぇんじゃねぇか
って世間が大騒ぎしていたのもある。

今の仕事のような
学校の勉強が役に立つ
というか、ついて回る
そんな仕事をしていることも
不思議に思う。
(英語に今、苦しんではいるが)

そして、この歳になるまで
かつては好きでもなかった合唱を
やっているなんて。
(歌うことは好きだったが)

唯一、予想通りだったことは
結婚していないことくらいか。

子供の頃、
両親の有様を見て
これを繰り返すくらいだったら
結婚は止めておこうと思ったものだ。

彼らを見て、
この血を引いてしまっているんだから
(しかも、二人分!)
自分もこの連鎖から逃れられない
と小学校の時に思っていた。

まぁ、そんなことはない、
彼らと同じようにはならない
と頭では分かっていても
結婚に対する希望、執着みたいなものは
全くない。

この歳に独り身でいる気楽さに
今となっては、彼らに
別の意味で感謝だ。

歌を続ける分にも
誰からも文句は言われないし
今となっては、親も僕には何も言えないだろう。
彼らが、僕に何か言える立場では
無いのもある。色々あって。
残念ながら彼らの生活の基盤の
首根っこは僕が押さえているのもある。

好きにはやっているが、
歳のせいか、
この三年間、職場での雑用のせいか
精神的に疲れ気味だ。

きっと、それが
厄年というものなんだろう。
気持ちを安らかに
しぶとく死ぬまで生きていこうと思う。

2010年6月29日(火)
月末

山がいっぱい。

昨日、一山越えた。
研究事業の最終ヒアリング。
ヒアリングのプレゼン資料を作成するのと平行して
先々週終わりくらい(シューベルト、ベートーヴェンの本番)から
月末提出の英語のペーパー作成。

さらに、職場での研究報告書作成と盛りだくさん。

いかんせん、なかなかやる気が続かず
思ったようにはかどらない。
練習を完全に休むことを考えるも
代表、副代表、事務所専任者ともにおらず
終わりだけでも顔を出すことに。

プレゼン用パワーポイントファイルを送付
その後、発表原稿付きも送付。

英語のペーパーは
気力が起きないことと相まって
なかなか進まない。
木曜は粘ったが
金曜はエネルギー切れ。

土曜は職場に行こうかとも考えるも
えらい雨で行く気が失せる。
家でひたすらペーパー作成。
昼とも夜ともない中で
日曜の昼過ぎに何とか形に。

少しふらつきながら、京都へ。

睡魔と疲れ、ペーパーの見直しもあり
演奏会後すぐに帰る。

軽く食事をし、帰宅。
原稿の手直し。
午後11時過ぎに教授へ送付。

明けた月曜昼過ぎに、本庁へ
最終ヒアリング。
発表原稿はあらかじめ作成し
共同研究者の企業社長に渡してある。

何とか終了。
さすが切れ者の社長、
発表、質疑応答、問題なし。

その夜、原稿の打ち合わせに大学へ行くも
研究棟の暗証番号が変更になっていて
入れず。

教授も、会議が長引いているようで
打ち合わせを断念し、家路へ。

今日は夕方、昨年から続いている研究会あり。
その後、室内練習へ行く予定。

明日は、夜、マンスリーコンサート。
そんな月末。

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Akiary v.0.51