日々つれづれ
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2011年1月1日(土)
あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いします。

2011年1月4日(火)
初出

日記を読み返すと4年ぶりのようだ。

いつもなら、スキーに行った後
金沢に行ったりするので
多くて2日くらい休みを取っていた。

が、今回は
いつも行くスキーのお宿が
商売をたたまれるとのことで
予定がポッカリ空き
休む必要も無くなったので
出勤した。

朝一で相談電話が鳴ったのには
少々驚いたが。

今日は北海道スキー組の人たちが
帰阪する日だな。

30日に見送りに行って以来だから
こう考えると
フル参加すると結構長いな。

僕は今回
休みいっぱい使って
部屋を片付けた。

これだけ、一人の時間がとれたのは
おそらく10年以上無いので
部屋の事を見て、考えることが出来た。

ここに越してきた当時は
色々あって、
そのまま、10年近く経ってしまったので。

片付けそのものは
今月いっぱいくらいかかりそうだ。

だいぶんゴミになったが
まだ捨てるものはありそうだ。

2011年1月5日(水)
過去と再会

この冬の休みは
ほとんど家にいて
片付けるか、映画見に行くかだった。

年末に「ノルウェイの森」を見て
その後、原作を読了して以来
妙に高校時代から大学へ入った頃の記憶が
よみがえってくることが、しばしばだった。

原作者が母校の出身というのと
映画の中で、明らかに母校と思われる
風景があったり
原作の高校時代の描写に
ひょっとしたらここかも
というのがあったせいかもしれない。

高校時代は
半年間だけラグビー部にいて
その後、合唱部に所属し
勉強そっちのけで
歌ってばかりいた。

活動の軸は、NHKと朝日のコンクールで
その当時は結構強い(?)部だった。

なので、朝日のコンクールは
1年の時は長野で、銅賞
2年の時は松山で、銀賞
3年の時は東京で、金賞(文部大臣奨励賞で全国1位)
NHKも全国行きを果たし銅賞だったか?
兵庫県や、いろんなところから表彰も受けたり
と、まるで下手な脚本家が書いたような
3年間だった。

人との関係や、
体験したことなど
高校時代はほぼ合唱部と重なっていた。
10代後半の若造が
勘違いするのに十分な環境が整っていた。

一浪後、大学へ入ると
クラブでは
高校時代のことは、
全く通用もせず、
関心も持たれず
むしろ、何それ?的な扱いだった。
(合唱連盟嫌いの人も多かった)
一部では、嘲笑のネタにもされたのもあり
(まぁ、これは今でも時々ある)
意識して、語らないようになり
いつしか記憶の棚の奥へ
しまい込むようになった。

このことで、
次に進むきっかけにはなった。
が、同時に、
高校時代のことも
ほとんど、
いやまったく
思い出すことが
無くなっていった。
そして、むしろ否定すべき過去
と考えるようになってもいた。

それが、ノルウェイの森が引き金になって
その後、部屋の片付けをする中で
昔の写真や、資料が出てくることも
相まって
高校時代から大学入った頃の記憶が
思いがけず、よみがえってきたのだ。

歌のことばかりでなく
その周辺であったこと
人との関係など
封印する必要もなかったなぁ
と思えることが
よみがえってきた。

コンクールの是非と
あの当時がんばっていた自分を
結びつける必要は無いのだ。
人に少しは自慢しても良いことを
やったと思う。

いろんな事で悩みながらも
自分は一所懸命に、
手を抜くことなくがんばったのだ。

それを見もしなかった人間に
どうこう言われる筋合いは無いのだ。

あのときのことを
もう少し誇りに思っても良いと
思った。

あのころの自分を
自分でバカにする必要は無いと。
あの時、合唱を選んでいなければ
僕は今、こうして歌ってはいない。
元々は合唱が嫌いだったわけだから。

こんな風に、過去と再会した
年末年始だった。

2011年1月7日(金)
徒然なるままに

昨日は、普通ゴミを5袋出した。
年末年始に出たゴミだ。

一気に捨てたのでは
最高かタイの記録だ。

これで、冬の休みを費やした
片付けの第1弾は終了。

まだ後半戦が残っているが
これは毎日少しずつやろう。

2011年1月13日(木)
夜のデジカメ

今週の月曜、
合宿の帰りにヨドバシカメラで
デジカメを購入。
カシオのEX-FH100。

デジカメ購入は3年ぶりかな。

ハイスピード動画が
面白いと思って購入を思い立った。

というか、実際は
どうしようか決めかねていたのだけれど
合宿の打ち上げの後
当間先生に、このカメラ面白いんですよ
とカタログを見せ、
近くのヤマダ電気に置いてました
と言ったら
今にも買いに行きそうな勢いで
向かおうとされたので
あわてて、
「ぼ、僕が買いますから
明日の練習でお見せします!」
と言う流れで、買うことになった。

実質、先生に背中を押される感じで。

で、ハイスピード動画は面白いんだけれど
それ以外に、夜景が思いの外
綺麗に簡単に撮れることが分かって
かなり得した気分だ。

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おまけに、シャッタースピード、露出などが
コントロールできるので
月も撮れた。

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加えて、高速連写も出来るので
HDR写真(ハイダイナミックレンジ写真)も
撮れ、明るいところに引っ張られて
暗いところが黒くつぶれるのを
明るさの違う3枚を、パパパッと撮って
組み合わせることで、
肉眼に近い写真も撮れるのだ。

普通に撮ると右側のマグロ看板に引っ張られて、
正面の看板が黒くつぶれる。
2011_01_13e.jpg

ところがHDR機能を使うと
2011_01_13f.jpg
な風に、肉眼に近い見た目になる。

iPhoneで同じ事が出来るアプリがあるが
撮影間隔が長くて、その間、保持しないと駄目なので
明らかに使い勝手が違うのだ。

ここ3年で、ずいぶん進化したんだなぁ。
いやはや。

2011年1月16日(日)
エヴァコールの第52回定期演奏会感想

座ったのはH列13番の席。

部歌は、毎年カラーが出るけど、
今年のも良かった。ちゃんとハモっていると思う。

●1ステ 混声合唱のための 八重山・宮古の三つの島唄●

初めて聴く曲。
ハーモニーも面白い。
2曲目は驚いた。
凄いなと思ったのは、手拍子足踏みが入っても、
歌の音量が減らないこと。
これはなかなか出来ない。
しかも、パートで互い違いにやるなんて。
シュッツでやるて言われたら、
チョット考えてしまうな。

終曲のハーモニーも良く保たれていた。
もちろん、乱れるところもあるけれど、
最終的には乱れない腰の強さを感じる。


●2ステ 五つの混声合唱曲 飛行機よ●

個人的は懐かしい曲だ。
自分が正指揮者の時、定期演奏会で
副指揮者が振った曲。
数ある中で好きな曲の一つ。

1ステが良かったので、期待していたが
期待通りの演奏。
集中して聴いてしまった。

特に終曲の「飛行機よ」は
サビの部分でハモるかどうかが肝になるけど
幾つか聴いた中では、かなり良い。
(普通にやると、テノールがFが下がったり
パート間のオクターブが揃わなかったり)

全曲を通じてダイナミクスの差もあり
この曲の、良さは充分に出ていたと思う。

あと、この曲、寺山修司さんが
この詩を読んだ年齢で歌うのか
過ぎ去った過去を思って歌うのか
いくつかあると思う。

今日のは、まさに
その年齢の学生が振り、歌ったというもので
個人的には満足いくものだった。

●3ステ 企画ステージ●
脚本良かったと思う。
笑いのツボを押さえてたし
演者もお見事。

間の悪いのは学生の企画ステージの
風物詩だし。

キジやアリス、良い声してたなぁ。

しかし、ドラゴンクエストや
ドラゴンボールは
ある世代にとっては文化なんだなぁと
思った。


●4ステ 混声合唱とピアノのための組曲 鎮魂の賦●
今年のメンバーは良いなぁ。
力強く歌っても破綻しない。

テノールも豊作の模様。

合唱団全体が
先生の棒にも良く反応していた。

3曲目のシャーマニズムのことばの反復は
個人的好みを言わせて貰うなら
もう少し、文字一つ一つに
重みが欲しかったかも。

アンコール曲、しばらく
自分が去年歌った曲とは気がつかず。

OBとしてではなく
聴衆として楽しめた演奏会でした。
皆さんお疲れ様。

2011年1月16日(日)
ひとり三重五章その1

この年末年始は
スキーにも行かず、
部屋を片付けて過ごした。

特に、この部屋に住み始めて
初めて年を越すことになった。

で、せっかく大阪にいるので
どこかへ初詣でも行こうかと。

と、ここで、そういえば
大晦日〜元旦て、終夜運転してたよな?
と想い出し、調べてみると・・・。
おぃ、してる。

ん〜〜どこいこか?
?!
近鉄を調べてみる。
お!走っている特急。

少しだけ1時間ほど寝て
午前1時半頃家を出る。

地下鉄に乗って2時半前に難波に着く。
で、午前3時発の宇治山田まで行く特急券を購入。

ガラガラかと思ったら
席はあっという間に満席。
午前4時55分、真っ暗な中、宇治山田に到着。

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そこから歩いて外宮へ。

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入り口では暖を取るためか
たき火に人が群がっていた。

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思ったより人も多く、でも
薄暗い境内は、何とも神秘的な雰囲気。

見上げると、木陰から
思いの外、星がよく見えた。

天気は良いようだ。

灯された照明に従って、
一通りお参りを済ませ、
外宮から近くにある、月夜見宮へお参り。

そこから伊勢市駅を横に見ながら宇治山田駅まで引き返す。
空が白み始める。


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駅前からバスに乗り
内宮へ。

たどり着くと、かなりの人だかり。
日の出も時間の問題。
入り口には、ご来光を待つ人でごった返す。

それを尻目に、中へ。
最初の鳥居の部分で、
人混みが。
どうやら止められている模様。

するとその人混みの先に
白装束に身を包んだ
神官らしき人たちの列が奥へ向かった。

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どうやら、歳旦祭と呼ばれる
元旦の神事をこれから始める模様。

この後、内宮の一番奥まで、この祭事を
ゆっくり後追いしながら
行くことになる。

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この祭事の名前は、警備している警察官の人に伺った。
お正月からお疲れ様である。

伊勢神宮へは久しぶりで
こんな行事を見れたのは少し得した気分だった。

内宮を回り、外に出ると
もう、8時になろうとしていた。
なんやかんやで、3時間近く
ウロウロしていたことになる。

振り返ると、見事な御来光が見れた。

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もうちょっと、大阪に着くまで、つづく。

2011年1月17日(月)
ひとり三重五章その2

夜中に、どん兵衛のソバを食べたきりで
さすがにふらついてきた。

参道にあったお店に入り
伊勢うどんをいただく。


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その後、参道をウロウロ。
赤福は満員御礼。
赤福ぜんざい食べてみたかったが
見送る。

と、横道にはいると
なぜかここにも赤福ぜんざいが!

おいしくいただく。
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お腹も満足したところで、
バスで宇治山田まで戻る。

行きは暗くて見えなかった
櫛田川へ。
櫛田駅というところで降りて
少し南に歩くとあった。

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川下よりも川上の方が広い。
歌碑を期待したが、全く見あたらず。

足があれば色々動けるが
徒歩と電車のため断念。

駅に戻るも電車が少ない。

2011_01_17g.jpg
しかも、今日は元旦。

結局ここには1時間弱いた。
次は津に向かうことにした。

ここまで、
山田○
伊勢神宮○
櫛田川○
松阪△(今回は通過のみ、何年か前にアウローラで来た)

残るは、安濃津(津)と桑名だ。
引っ張るほどではないが、
つづく。

2011年1月19日(水)
ひとり三重五章その3

櫛田駅から伊勢中川へ。
そこで急行に乗り換え。
11時頃に津(安濃津)に到着。

記録はツイッターを参照。
つぶやいていると役に立つなぁ。

降りてみた。

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きっと元旦の午前中というせいもあるだろう。

少し寂し感じも否めない。
駅前に繁華街的なものは
見えなかった。
「にぎわわしさ」、は感じず。

再び近鉄に乗り込み
桑名へ向かう。

急行で40分ほど。
途中、何度か寝落ちする。
歌にあるように、
ひたすら平らだ。

途中四日市を通過。
車内から見ただけだが
にぎわわしき街に見えた。

程なく桑名到着。
降りてみた。

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津よりは大きい街だ。
が、ここもかつての
にぎわわしさとは無縁に感じた。

このまま名古屋へ向かうことにした。
車内で色々考える。

ここまでの印象は、
にぎわわしさはないものの
土地としては
この三重というところは
ずいぶん豊かだなというものだ。

東に青垣と言われるように
その山までずーっと平野だ。
山田〜松阪〜津〜桑名まで
アップダウンは全くない。

歩いて旅するには
ほんとに良いところだ。

人の歩ける範囲に宿場町が栄え
にぎわわしさを醸し出していたのは
想像に難くない。

調べないと分からないけど
新幹線が出来るまでは
にぎやかだったんではないかな
と思った。

これだけの場所があるにもかかわらず、
幹線からずれたため
もったいないことになっている印象を受けた。

どの街も空が広いのだ。
土地があるから
上に伸びる必要も無いのだ。

この平野は名古屋まで続いている。
名だたる武将が、
この地から出たのも
何となく納得がいく。

日本の土地の尺にあった
国土計画というものが
本来あるんではないか
と、名古屋に行く道中考えてしまった。

速さばかりを追求した結果、
日本はずいぶんいびつになったのかもしれない。

かつてあった豊かさを
取り戻すことは出来ないのだろうか?

でも、今回行ってみたおかげで
三重五章に歌われる世界が
少し実感を伴って理解できたように思う。
こんな事したのは高校3年以来だ。

現地に行ってみるというのも
なかなか良いもんだ。

名古屋経由で大阪に着いたのは
午後2時過ぎ。
およそ半日に亘る道中だった。

こういう旅もなかなか楽しい。
年末年始の恒例になりそうだ。

おしまい。

2011年1月25日(火)
詳しくはwebに、三重五章録音

先週末、作曲家、柴田南雄の「三重五章」の録音があった。
細かな経緯は省略。
「柴田南雄とその時代第二期」というCDに収録するためだ。

録音に臨んだのは
名古屋ビクトリア合唱団
京都モンテヴェルディ合唱団
大阪ハインリッヒシュッツ室内合唱団(一部の有志)
の3団体。

場所は愛知県の知立市にある
リリオホールというところ。

土曜日に午前10時30分から、午後5時まで
録音テストを兼ねたリハーサル。
日曜日に午前10時から、午後7時過ぎまで
録音を行った。
日曜の昼に、大学の合唱団でも
学科でも同期だった友人が
陣中見舞いに来てくれたのは
ずいぶんとうれしかった。
つぶやいとくもんである。

本来、1年のうちで一番余裕のあるはずの時期が
緊張とともに過ごすことになった。

結論を言えば録音はうまくいき、
その成果となるCDはこの秋に出るそうだ。

以下は個人的な感想。
よりによって、移動日の金曜の朝に
扁桃腺の炎症を起こしてしまった。
ここまで、半年以上保っていたのに
ここに来て、こうなるとは不覚である。

医者に行き、
声帯に炎症が及んでいないことを確認
ただしその周りはかなり腫れているらしいので
無茶すると、声帯にも及ぶと警告された。

まあ、それは今まで何度もあったこと。
しかし、今回は録音である。

声に負担のあるであろう箇所も
いくつかあり、
土曜の朝に声出しするまで
日曜の朝に声を出すまで
緊張して臨むことになった。

薬の効きは、ゆっくりとしたもので
のどの痛みが消えたのは
録音が終わる頃だった。
声帯そのものに腫れが及ぶことなく(たぶん)
終われたのにはホッとした。

通しのライブ一発録音だったら
こんな風には行かなかったかもしれない。

それと、演奏旅行以来
久しぶりに声を合わせたわけだけれど
ようやく、馴染めたような気がした。

今後、共演してみたくもあり
演奏を聴いてみたくもあり
何とも複雑な心境におそわれた。

年齢も、住んでるところも、
仕事も、ここまでの経緯も
様々な人たちが、音楽でつながって
録音に臨んだことが、今となっては
不思議な感じだ。

今年は夏に男声合唱も再びあるので
今から楽しみだ。

2011年1月27日(木)
まだ、1月終わらないねぇ

お伊勢参りから幕開けした1月。

なかなか終わりませんな。
体は休みたがっていますが。

先週末、録音にもかかわらず
扁桃腺を腫らせてしまい
体調管理には留意する必要がありそうだ。

まぁ、
この土日、三重五章の録音と、
昨日のマンスリーのカンタータ
普通にきついねぇ。

昨日、三ヶ月限定だけれど
ドイツ人の人が入団することに。

さっそく、昨日みんなで飲みに行ったんだけど
実に面白く、興味深い。
下手な日本人より日本を回っていて
温泉好きらしい。

彼女の視野が世界規模なのも
興味深かった。

人間至る所に青山あり、か。
そんなことを少し思った。

2011年1月28日(金)
休養がいる

年を越しているから
自分自身もごまかされているが
最後の本番から
3週間弱あとに合宿
ほぼ1ヶ月後に録音なわけで。

7月 こどもとおとなのためのコンサート Vol.3 とマンスリー
8月 鹿児島公演、と名古屋、京都での合唱講座
9月 邦人シリーズ(委嘱の新曲)とマンスリー
10月 現代音楽(委嘱の新曲)とマンスリー
11月 東京公演(委嘱の関東初演が2つ)とマンスリー
【個人的には11月に学会発表2つ】
12月 クリスマスコンサート(いずみホール)とクリスマスマンスリースペシャル
その2日後に、名古屋にて三重五章の初顔合わせ。

2週間後の年明けに、合宿。
さらに2週間後に録音。

まぁ、2004年の1月に
17日(土)、21日(水)、25日(日)、28日(水)
と本番があったのに比べるとましか。

この週末くらい
ぼぉーっとしたいな。

2011年1月31日(月)
ライヴというもの

この土日で、2つの
大学合唱団の定期演奏会に行った。

どちらもレベルの高い団で
満足のいくはずだったが
片方では、モヤモヤしたものが残り
もう片方では元気をもらった。

その差はなんだろうと考えてしまった。

ライヴというのは、
相互に与え合うものだと思う。

聴衆は、舞台で何が行われるか、期待して歩み寄り
演じ手は、日ごろの成果を聴衆へと投げかける。

そのやり取りが、
賛美であっても、非難であっても
演じ手と、聴衆の間にはやり取りが生じ
それが、お互いの生活に影響を与え合う。

演じ手にとっては、それが今後に生かされるだろう。

どちらかが閉ざした時、
そのやり取りは失われる。

そして、エネルギーの消耗が発生する。

聴衆が無関心な時、演じ手はそのエネルギーを奪われ
演じ手が聴衆を無視した時、聴衆には徒労感が残る。

土曜の、名古屋大学医学部混声合唱団の定期演奏会は
このやり取りが、少なくとも僕個人のレベルでは
成立しなかった。

誤解をしてほしくはないが、
演奏は真面目で、声は美しく、ハーモニーも整っていた。
レベルとしては上位に属する。

しかし、彼らの演奏は閉じていた。
少なくとも、僕には聴衆とのやり取りを拒否しているように
感じて、演奏会が進むほどに疲労していった。

その最たるものが、第3ステージだった。
正直、途中で帰ろうかと思った。
話の筋はわからない、
台詞は聞こえない
歌詞もわからない(英語なのか日本語なのか)
最後のファントムの歌が吹き替えだと聞いて
さらに驚いた。

頑張って最後の第4ステージまで聞いた。
しかし徒労感は、より増すことになった。

僕が、ここで書いていることは非難されるかもしれない。
彼らは真面目にキッチリやっていたじゃないかと。
しかし、真面目にキッチリやることが、「ライヴ」ではない。

僕にとってのライヴとは、
やってきたことを「キッチリ真面目に見せる、聴かせる」ことではなく
練習してきたことをベースにして
新しく舞台上で作り上げることだ。

そのパフォーマンスを聴いてもらう、見てもらうことが
演じ手として、聴衆へ手渡せるものだと
そう、思っている。

それが出来ていれば、
演奏内容のレベルは第一義には来ない。

舞台上で新しく作られたものを
聴衆は贈り物として受け取るのだ。
そして聴衆は、拍手や反応を演じ手に返す。
そこに初めてやり取りが生じる。

それがライヴだ。

昨日、日曜日の大阪大学男声合唱団の定期演奏会では
その贈り物をもらった。

だから、そのおかげで僕は少し元気になった。
本当に身体の調子が上向いたのだ。

むくつけき男たちは
練習の成果をもとに、新しいものを
舞台で見せてくれた。

自分にとってライヴとは何かを、再考させてくれた意味で
この土日にあった2つの演奏会は
僕にとっては有意義だった。

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