日々つれづれ
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2011年3月1日(火)
変化

うちの職場で
新棟建設工事がすでに始まっている。

中庭に建設するため
そこにあったものを撤去する作業から
始まっている。

渡り廊下や小さなグランド
大きめの木が何本か
それと、かつての自分の仕事場だった離れ。

中庭の木々は結構気に入っていたので
始まる前は複雑な心境だった。

いざ始まると、工事関係者の仕事は速く
あっという間にがれきの山に。
2011_03_01_a.jpg工事の前

2011_03_01_b.jpg工事の後


2011_03_01_c.jpg工事の前

2011_03_01_d.jpg工事の後


2011_03_01_e.jpg工事の前

2011_03_01_f.jpg工事の後

しかし、複雑な心境は
思いの外すっきりした気持ちに置き換わっていた。

自分でもこの心境の変化に驚いている。
片付けていくとでしか
未来へは行けないのかもしれないな。

何となく、そう思った。

2011年3月3日(木)
普通に日記

今朝は随分寒くなった。

コートを着てこなかったのは失敗か。
昨日は、グッドニュースが。
ベースのソリストである
なげえさんの息子さんの和くんが
見事、四条畷高校に合格!

10人くらいで発表見に行って、
2人しか合格せず、そのうちの一人だったとか。

なにわさておきめでたい。

塾に行かず、4倍近い倍率をはねのけての合格らしく
彼の通う中学でも伝説扱いとか。

今朝未明に、iPad2の発表が。
こ、これは・・・・。
また随分と曳きの強いデバイスを・・・。
これの128Gが出たら
考えようかなぁ・ぁ・ぁ・ぁ・ぁ・・・・・・・・・。

もう、アンドロイド陣営は
追いつけないというか
アップルが違う道へ行ったことに
気がつかない限り、
これを超えることは無理だろうな。

今週は、このままいくと
来客がない1週間になる。
明日、本当に来客がなければ
今年度に入って初めてのことになる。

どうりで、なんか忙しいな?と
思ってたんだよな。

最近、内田樹さんの著書にはまる。
内容がことごとく腑に落ちて面白い。

2011年3月4日(金)
NHK大河ドラマ考

今回の大河は
批判されている記事をよく、目にする。

主人公が「のだめっぽい」とか
武将の話しぶりが現代ドラマみたいだとか。

それらの批判をよそに
僕自身は結構、今回の大河も楽しんで観ている。

ここ数年の大河の傾向として
主人公が幼かったり、
頼りなかったり
パッとしない状況から描き始めることが
多いと思う。

よく考えれば、それら主人公に選ばれた人物は
(演じ手ではなく)
最終的に、歴史に名を残す人物になったわけで
最初から、幼年期から、早年期、壮年期から
立派だったり、力を持っていたわけではない
と思う。

いろんな出来事に会い
様々な人々との出会いから
そう言う人に成長していくわけで。

極論を言えば、最終回で
そう言う人物になったと言うことを
描ければ良いはずなのだ。

ここ数年の大河は
そう言うことを意識しているように
僕は感じている。

若い頃には敢えて
頼りなく、声も高めに演じて
後半に行くに従って
表情や声のトーンを
計算して(逆算して)変化させていっているのだ。
篤姫や、龍馬伝などはそれを顕著に感じた。

そして今回の「江」である。

1話ずつ、進むに従って
上野樹里さんの演技が
段々変わって行っている。

彼女のポジションが少し控えめに見えたり
物足りなく見えるのは仕方がない。

何せ周りにいるのは
織田信長、その妹の市(江の母)
浅井長政(父)、茶々(姉)
豊臣秀吉(三番目の義父)、徳川家康(四番目の義父)
明智光秀、千利休、柴田勝家(最初の義父)
などなど
はっきり言って、歴史上のオールスターである。

そこで、初っぱなから
変に際だっている方が
【遙かに不自然である】

殊に、この「江」に関しては
物足りなく見えて当たり前だ。

むしろ、最後にどのようになっていくのか
今から楽しみで仕方がない。

これまででも、信長の描き方
信長と市の関係
「江」を狂言回しにして
信長の本心や、明智光秀の本心を語らせたり
前回では、「江」はその場にいなかったが
柴田勝家と市の場面なんか
その人物の性格が浮き彫りになり
見応え十分だった。
個人的には柴田勝家のファンになった。

女性の視点に立つことにより
戦国武将の違った一面を見れる意味で
今回の大河ドラマは良くできていると思う。

のだめっぽいと見るのを止めた人。
のだめカンタービレをもう一度見ると良い。
【全然違うから】

今回の大河ドラマ、終わりに向け
主人公がどのように変わっていくか
今から凄く楽しみだ。

2011年3月7日(月)
ここまで来ました

数年前、カレンダーに
「ここまで来ました」という
予定を記入しました。

それは、僕の年齢が
あなたの生きた年齢を追い越す日です。

この日を境に
僕はあなたより年上になってしまいました。

なんだか変な気分です。

こんな日が来るなんて
想像もしていませんでした。

数年前、この予定を書き込んだ時、
僕はまだ30代前半で
この日をずいぶん遠くに感じたものでした。

この日を迎えて自分は
何をしていて、
どんな心持ちなんだろうか?
その当時の僕には
想像するしかありませんでした。

時は流れ、その日が来て
そして、過ぎていきました。

どこまで生きるか分かりませんが
とにかく、後はひたすら
あなたより年上になっていくだけです。

長生きするつもりは
あまりなかったのですが
手相によると、長生きするそうです。

先生にも、いつだったか
あなたが先に逝ってどうする
と、加えて、
いつもみんなの後ろを歩いているあなただから
みんなを見届けてからやろ(笑)
とも言われました。

お会いできるのは
ずいぶん先になりそうですが
それまでに、せいぜい土産話を
ストックしておくことにします。

また、会える日まで。

2011年3月12日(土)
心が重い

今日は2時間の休みをとった。
職場を後にした時のこと。

近くの区役所のスピーカーから
災害放送です。海岸には近づかないで下さいと
繰り返し流していた。

最初、訓練かと思っていた。

電車に乗ると初老の男性が
スピーカーから音が漏れるのも
気に留めることなく
ワンセグ放送を見始めた。

その様子に只事で無い何かを感じ
iPhoneにアダプターを差し込み
ワンセグ放送を見始めた。

東北地方地震?
津波?4メートル?
画面の右端にはその輪郭を赤く染めた日本列島が。

大津波警報?

その点滅が消えない。

ほどなく、仙台の名取川を遡る津波が映し出された。
中継ヘリからの画像だった。
まるでアマゾン川のポロロッカを見るようだ。

画像が徐々にズームアウトした時、
地面であるはずのその場所に
全てを飲み込みながら
動く津波が映った。

川を遡るスピードと変わらない速さで
その濁流と化した津波が
名取川両側に広がる田園地帯を
飲み込んで行った。

さらにズームアウトし、
津波が広大な領域に渡って
地面を飲み込んで行く様が映された。

背筋が凍る思いがした。

録画でない、今起こっている
その状況とは、にわかに信じ難かった。

練習場に着いて、
再びワンセグ放送を見る。

千葉でコンビナート爆発。
津波は10メートル。
そして、マグニチュードは8.8
観測史上最大?

その後帰宅、
予想通り全貌は不明。
死者の数がどんどん増えている。

震災の記憶がよぎった。
あの時も、全貌が明らかになったのは
1ヶ月以上後だった。
完全に明らかになるには
1年以上かかったと記憶している。

今回はもっと時間がかかるだろう。
行方不明者が沖へと流されていたら
全貌がわからないかもしれない。

とにかく、心が重い。

2011年3月13日(日)
曙の昇るかに

曙の昇るかに
国人 わが周りに 集い来たり、

今回の本番で演奏した、
カンタータ<洪水>
ギルガメッシュ叙事詩/第十一の書板・大洪水の話より
の3曲目の始まりの詩だ。

ゲネプロの時、
このフレーズが始まった瞬間、
今回の地震のこと、
救援のために全国から、世界から
人が集まる様子と、
この音楽がピッタリはまって
気持ちの制御が効かなくなってしまった。

涙を堪えるのに必死で、
この曲をほとんどを
まともに歌うことが出来なかった。

自分の中に、
この地震に対するショックが
思った以上にあり
その支援に対して心から感謝している
そんな気持ちがあふれていたことが
よく分かった。

その後の

匠(たくみ)らは 斧を運び
葦の職人らは 石を運び
働き手は おのがじし仕事を果たす。

の部分で、被災者の救助、
原発の事故処理、
警察の方々、
地元自治体の方々、
自衛隊の人々、
とにかく、今回の地震に関わっているであろう人たちの
姿に思いが及んで、
どんなに、気持ちを切り替えようとしても
ダメだった。

被災地の方々のこれから数年の
ご苦労を思うと、心が痛みます。

神戸の震災の時、警察や消防車、
救急車などの中に
今回、被災された岩手や福島、茨城など
はるばるその地域から
来られた方々がおられたことも
思い出しました。

自然の猛威である
地震は、自分にとって、
見慣れた風景を失った経験
そして今の仕事の原点としても
忘れ難いことであることも、
改めて自覚することになった。

2011年3月16日(水)
ここ数日

一昨日、本番翌日
テンションが高いのか
疲れも感じず出勤。

ただ、精神状態が不安定なのか
震災の記事を読んでいるだけで
涙腺の決壊が相次ぐ。

夕刻過ぎ、エネルギー切れ
7時過ぎに帰路へ。

ヨドバシに寄るも
懐中電灯、単一電池がものの見事に売り切れていた。
2011_03_16.jpg

昨日は休みを取った。
目が覚めたのは13時過ぎ。

食事して、洗濯して
練習へ。

歌ってみたが
喉へのダメージはあまりなかった。

帰宅後、食事をしていたら
ゆっくりとした揺れ。
静岡を震源としたかなり大きな揺れ
震度6強?

徐々に南下しているな。

よく寝たおかげか
少し疲れがとれる。

2011年3月17日(木)
北風と太陽

おそらく今は
日本の有史上かつてない
災害に見舞われているのは
間違いない。

情報は錯綜し
混乱する人は混乱するだろう。

その中で誠意を持って
己自身の仕事に邁進して
被災者を助けたり
原発の状況をこれ以上
悪くならないよう、それこそ
命をかけてくれている人々がいる。

そんな中、政府や東電、
その他官僚、政治家に対して
非難を浴びせる論調や、
実際にそう言った言動を直に
またはネット上で行う人も居る。

それこそ、ここぞとばかりに
自分の主義主張の正しさを
捲し立てる人、言いつのる人には
正直辟易する。

大事なのは、そんなことではない。

発信する側に、我々が出来るのは
その情報に対し、全幅の信頼を置き
その通りに行動することだ。

発信する側の誠意を引き出すには
それしかない。

もし、そのことにより
被害を被ったとしても
それは選んだ我々の責任でもある。

そして、情報が欲しければ
自ら探すのだ。

今、揚げ足を取っている場合ではない。
協力して、この困難な状況を乗り切らねば
ならないのだ。

疑いではなく信頼を。

自分の中に、発信者より優れた対案がないのなら
それに誠意を持って従い
その上で、問題点を指摘する。

そう言う筋を通すべきだろう。
幸い被災しなかった我々に出来る
数少ないことだと、私は考える。

2011年3月18日(金)
首都のパニックが波及?

少なくとも、僕の行動範囲での印象。
それもかなり狭い範囲の。

梅田にあるヨドバシカメラ。
懐中電灯、電池(特に単一)、携帯ラジオ
手回しラジオは
あらかた売り切れ。

近所のコンビニも
カップラーメン、スナック菓子などが
いつもに比べるとかなり減っている。

流通の滞り、もしくは被災地優先なのか
近隣の人たちによる買い占めなのか。

いずれにしても
地震が、被害のない地域の人の心に
影響を与えているのは
間違いなさそうだ。

売り切れを知ったのも
僕自身が懐中電灯やラジオで
良いのがあったら見てみようと
思ったからに他ならない。

家に帰った後、
少し家捜しして、
前回の阪神淡路大震災の後に購入した
携帯ラジオと、
テープのMP3へのダビング用に購入した
手のひらサイズのラジカセを引っ張り出し
動作確認と、携帯ラジオに関しては
普段のかばんに入れておいた。

トランシーバーも
チェックだけしとこうか。

2011年3月18日(金)
今日は

今朝から飛行機雲を
よく見るなぁ。

写真は中庭から臨んだ空。
2011_03_18_01.jpg

2011_03_18_02.jpg

2011年3月21日(月)
力が入らない

名古屋の本番の後、
体調も含めてなかなか復調しない。

原因はわかっている。
今回の震災だ。

今回、直接被災していないが、
今までになく強く、
その当時のことを頭だけでなく
体が思い出している。

全く役に立たない
使い物ならない自分を否応なく思い出す
仕事でも、音楽でも。

あの時期へリセットされる恐怖だ。
そんなことはあり得ない
と理屈で分かっていても
どうやら恐怖が染み付いている。

あの時、自分に出来ることは
何も無かった。
仕事でも、音楽でも。

同時に、あの震災がなければ
僕は今、こうして歌ってはいなかった。

震災がなければ、きっと
音楽はやめていただろう。
それも、動かしようのない事実だ。

恐怖の記憶であり、
人生における転換点でもあった。

あの時、死ぬことなく今まで生き永らえた事について、
考えてもいいのかもしれない。

2011年3月24日(木)
TCMC創立記念第1回定期演奏会 感想

座った席は、真ん中通路から2席目。
全体の中央からやや後ろ。

彼ら歌うのを聴くのは
昨年の夏以来。

当日は午後1時くらいに
会場に着いていたが、
本番を楽しみに、昼食を取るため
いったん会場を後に。

開場後、中に入ると席はほぼ満席。
鈴木憲夫先生、千原英喜先生、上田真樹先生の姿があった。

出だしのモテット。

やや緊張気味か、ぎこちなさが見える。
音楽の運びで躍動感に欠ける部分があるも
要所要所で、和音が鳴っている。

8声のアヴェマリアでは
やや厳しい側面が出た。
特にテノールを聞いてしまうのだが
心臓に悪い場面もちらほら。

良くも悪くも今の精一杯が出た演奏になった。

シュッツのモテットは少し流れが出てきたように感じた。
だんだん先の見える演奏に。
緊張がほぐれてきたか?
改めて難しい曲であることを実感する。

その後武満徹の「うた」より
翼と小さな空。

良い音が鳴る瞬間もあるが
和声がなかなか決まりにくい。
内声の働きが肝心になってくる。

小さな空は口笛がよかった。
やっぱり口笛は女声のほうが良いかもしれないと
思いながら聞いていた。

和音に関してはテノールの頑張りが
もっと必要。
難しいけど、当てて軋ませるところは
思い切ったほうが良いのだ。
今後の課題だろうか?

休憩を挟んで
千原 英喜の天地始之事。

去年の夏、練習を見させてもらった曲。
そこからするとずいぶん良くなっている。
1曲目のかけ声の入る部分なんか
テンポも安定して、うまくいっていた。

ハモりは、う〜〜んとなるところもあるが
先生の指揮に徐々に食らいついてくる。
ここ!という時の反応は
最初の演奏会とは思えないところも。

少し長めの休憩の後
上田 真樹の鎮魂の賦。

聴くのは3回目くらいか。
緊張はだいぶ解けてきたのか
先生の棒に反応して、会場が鳴る瞬間も。

特に後半に向けて、
奏者の温度がどんどん上がっていくのが
印象に残った。

アンコールは、男声1曲、女声1曲、混声2曲。

ハモりは決して良くないが
最後まで疲れを感じさせない演奏だった。

全体を通して、良くも悪くも
TCMCの今がすべてさらけ出された
演奏会になったと思う。

良いところは、歌い手の思いだ。
それは十分に伝わった。

改善すべき点は
各個人の声、ピッチとハーモニー感、リズム感だろうか。

先生との瞬間瞬間のやりとりを実現するには、
個々の技量を上げるほかはない。

その音を、そのピッチで、その和声感で歌うのだ。
大半のアマチュア合唱団では出来ていない。
たまに奇跡的にそう言う音が鳴る瞬間はあるが
本当に低い確率で、まぐれと言ってもいい。

まぐれじゃなくて、技量を上げて
高い確率で実現するのだ。

その意味では、歌い手の思いは
100パーセントは伝わらなかったと思われる。
技量のマイナス分だけ。

でも、それを変に隠したりせず
良い所、悪い所をさらけ出せた点においては、
第1回の定期演奏会の意味があったと
個人的には思った。

次の教会コンサートは楽しみだし、
数年後、同じ曲をプログラムで取り上げたとき
どれだけ表現の幅が広がっているか
今から楽しみだ。

2011年3月25日(金)
ヘロヘロ

一昨日のマンスリーは
今までの中で1番か2番目くらい大変だった。

パレストリーナとビクトリアに関しては
あまりに練習回数が少なかった。
(先生の棒で通したのは1〜2回)

ことビクトリアに関しては
先生の指揮で
止めずに、最後まで言ったのは
本番だけだったと記憶している。

自分にとっても
ルネサンスものというのは
苦手なジャンルなので
なおさらだったかもしれない。

しかし、これで
しばらくの間は(4月29日まで)は
体調に無頓着でいられる。

何もかも休めたらいいが
年度末、年度初めは休めるはずもなく
仕事はこれからが佳境だ。

体がこれだけヘロヘロになるのは
久しぶりかもしれない。

まぁ、もう少しがんばりましょう。

2011年3月26日(土)
う〜〜ん、遊んでる暇はぁねぇな

カレンダーをぼーぉっと眺める。
どれだけ見積もっても
どうも、土日どちらか出勤しないと
回らんな。

せっかく音楽のほうは
一段落ついたけど
仕事のほうはやっぱりこれからやなぁ。

今週は来客も、技術相談も少なかったが
来週、そして年度初めはどうなるか分からんからなぁ。

今も職場だし。

もう少ししたら帰ろう。

2011年3月28日(月)
少し回復

昨日は早めに寝たので
体力は少し回復。

しばし演奏会はないので
(1か月近くも!)
音楽の負担は減る。

その分、放置していた仕事に
集中する必要がある。

さて、やりますか。

2011年3月31日(木)
いろいろ捨てたほうがええんやろな

ここ数年
年度末になると
自分の荷物の移動を迫られる。

今回も今日中に撤去だ。

これだけ毎年になると
テンションも下がって
やる気も萎える。

去年は元の所属に戻るためのもの
その前は、企業に貸すので出て行けと
その前は、装置をごっそり移動
その前は、雑用する部への異動。

その都度、必要ないものは
捨ててきた。

もっと捨てたほうがいいんだろうな。

実家を出るまで
(親がいるだけで、故郷でもなんでもない、もともとそんなものは僕にはない)
3年と同じところに住んだことがなかったので
それが当たり前だったが
どうやら僕は引っ越しが嫌いなようだ。

引っ越しに伴って
その都度、家庭内で起こる事に
毎回うんざりしていたのもある。

しかし、職場で僕だけではないかもしれないが
腰据えて取り組むというのには
ほど遠い環境が、
ここ数年続いている。

博士課程に入る時期を間違えたかもしれない。

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Akiary v.0.51