日々つれづれ
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2011年7月1日(金)
国歌、国旗における責任の所在

        

以上の本を読んだ時点での
今の僕の考え。

先の戦争のことを忘れないために、
国歌を斉唱し、国旗を掲揚することは
必要だと思う。

個人的なことを言わせてもらえれば、
ごく最近まで、
日本の近現代史に関しては
全く関心がなく
何があったのか、知らないままで平気だった。

故に、テレビや新聞などで、太平洋戦争のことや
それ以前の、明治維新後の日本に関して
いろんな人が熱く語っているのを見ても
なんとも思っていなかった。

右の人が、あーだこーだ
左の人が、あーだこーだ
言ったところで、関係ないと思っていた。

でも、現在は過去の歴史と地続きで、
過去にあったことが要因で今があるという
当たり前のことに
遅ればせながら思いが至るようになった。

きっかけはこの本


今の日本には、
右でも左でもなく
自虐史観でもなく
普通の人が、普通に語れる
近現代史がないと思う。

事実、学校では、近現代史は時間切れで
駆け足で過ぎ去った記憶しかない。

今回書籍を読んでみて、明治維新以後の
近現代史は、やはり重要で、
今後、この国をどうして行ったらいいのかという
答えを探すためにも必要だと思うのだ。

つまり、日本の国として、
過去、このような経緯で、
このような道筋をたどり、
今に至りましたということを
説明し、その過程に責任を持つため
忘れないために
ずっと続く、国歌と国旗を否定しては
いけないと思うのだ。

国家、国旗を否定する人たちに
それを感じないのだ。
むしろ、それを否定することで
なかった事にしようとしている、
清廉潔白になりたいという小賢しい印象すら受ける。

子供の為を思うなら、
すべてを引き受け前を向く姿を見せるほうが
よほど教育的だと思うが。

これまで、こうして来ました。
だから、これからこうして行きましょうと
そこで初めて言えるのだと思います。

その過程を、どうやら戦後、
放置したまま来た。

もっと言うなら、
日露戦争以降、日本人は、
そのことを放置したまま来たようです。

ただただ、豊かになることのみを
追求しすぎた。
豊かになってその先何を目指すのかが、
すっぽり抜けていた。

そろそろ、そういうことを、
右だ左だじゃなくて、
普通に話をする必要があるのではないかと、
最近そういう事を考えています。

2011年7月3日(日)
結構興味深い


GHQ焚書図書開封

日本近現代史探訪の一環。

タイトルが何とも焦臭いけれど、
要は、戦後占領下で、
店頭に出回っていた本で、
家庭にあったものは除いて
GHQの判断で回収された書籍を紹介するもの。

今はこの2巻目を読んでいる。

ここでも、知らなかったことが
どんどん出てくる。
自虐史観でわーわー言っているのとは
ずいぶん違う。

オーストラリアで行われた、
現地住民に対して行われた
ホロコーストに関しても、
アメリカで行われたインディアンに対するものと
同様のものだった。

アメリカとオーストラリアの持つ
共通の暗黒史に関しても
興味深い書籍が、翻訳本も含めて
戦後回収されたのは、いやはや何とも。

いくつか、古本のネットにあったので
(個人の家にあったものが市場に出た)
注文した。
全文読んでみようと思う。

これらを読んで、
アメリカを始めとする国々に、
謝罪を要求するとか、そんなことは
考えていない。

でも、その当時何があったのか、
知った上で、今を改めて見てみたいと、
そう、思った。

しかし、明治維新の時、
国としての独立を保ったのは、
本当に当時の人々の努力と
そして時勢の奇跡の賜物であったことが、
この焚書図書の中身の一部を見ても
思った。

2011年7月4日(月)
欧米の贖罪

まだ、読書の途中ですが、
おぼろげに見えてきたので
メモとして。

一部の過激な自然保護団体による、
捕鯨の妨害があります。

なぜあれほどまでに、ヒステリックに
活動を行うのか?
鯨を食するのは、日本の文化で
日本の鯨利用は、本当に鯨の体の
隅から隅まで、残すところなく使うのに比べ、
欧米のそれは、鯨の油のみで、
あとは捨てていたというのは、よく知られた話です。

その文化に対する理解もないまま、(のように見える)
ヒステリックに反対活動を行う理由が、
イマイチ理解できませんでした。

が、オーストラリアでの現地住民に対するホロコースト、
アメリカでの、インディアンに対するホロコーストを知るにつれて、
これは、彼らの過去に対する贖罪の代用ではないか
と思うようになりました。

オーストラリアに至っては、
謝罪する相手が、その種族が、
この地上からもう、いないレベルです。
白豪主義 とも、無関係ではないでしょう。

過去に、自分たちの祖先が行った、
重大な罪に対する、後暗さがあり、
そのせいで
過激、過剰とも取れる、自然保護主義に走ったように
僕には感じてしまいます。
加えて、オーストラリアやアメリカは、
囚人の流刑地だった過去があり、
それは、それらの国々に微妙な影を落としています。

自然保護に走ることで、
神に対する贖罪を願っているように
僕には見えます。

実際、鯨の数を減らした原因を作ったのは、
かつての欧米列強の方々なわけで。

かつて、アフリカ、アジアを蹂躙した、
欧米諸国の帝国主義の歴史を知るにつれ、
そして、現在を見ると、
やっていること、あまり変わらんなぁ、
と、思ってしまいます。

2011年7月5日(火)
その当時の世界情勢を知る


GHQ焚書図書開封〈2〉

太平洋戦争当時の軍部の擁護ではなく、
その当時の世界情勢、
そこに至るまでの世界情勢を知る意味で、
そして、そこから今の情勢を見る意味で、
この本は良いかも知れない。

少なくとも、僕自身は、
全く分かっていなかった。
この本で、新たに知ったことがほとんどだ。

アフリカ、中近東、インドなどで
欧米帝国主義国家がやったことは、
19世紀から20世紀、ごく最近まで、
結構えげつない。

近隣のアジアでやったことも、
言わずもがな。

黄色人種に対する、
偏見、侮り、侮蔑は
ずいぶんなものだったのだ。

しかも、アジアに最初に流れてきた、
欧米人の多くが、流刑の囚人では、
平和理に物事が進むはずもなく。

侵略とは、
蹂躙するとは、
だますとは、
こういう事だという見本のオンパレードだ。

文明を持たなかった人々に対する、
やり口は本当にひどいものだ。
自然と調和して平和に暮らしていたのに。

しかも、内容が変わっただけで、
やり口は、今でも変わっていない印象を受けた。

日本は真似しなくて良いと思う。
バカだ、間抜けだと言われようが、
実直な姿勢を貫いた方が、
清々する。

でも、やり口は
防衛のため知っておいた方が良い。
そう思った。

いやぁ、しかし
イギリスもフランスもロシアも
アメリカも酷いねぇ。
あ、オーストラリアも。
中国は、やられた分だけ学習して、
同じ事を、今もやっている。残念。

日本人を含めた黄色人種が、
人扱いされて、まだ1世紀も経っていないことを
少し心に留めても良いかも知れない。

しかし、よくもまぁ、
国としての独立を保ったよな、日本は。
何か資源になるようなものが
どしどし取れるような事があったら、
アメリカの南北戦争が無かったら、
国土はバラバラになって、
未だ内線状態だったかもしれないな。
今の朝鮮半島のように。

2011年7月6日(水)
面倒くせえなぁ

近現代史の知識が増えた故に、
今まで、スルーしていた情報に対して、
反応するようになってしまった。

今まで気がつかなかった背景が、
少し見えるようになった。

処理する情報が増えて、
今は少し煩わしい。

今まで漠然と散らばっていた、
知識の断片が突然リンクして、
頭を占有することもあり、
やはり、慣れないぶん
煩わしい。

でも、知った上で、
煩わしくなった上で、思うのは、
歴史は近現代史から教えろ!
ってことだ。
縄文や弥生は、最後で良いって。

国のことを考える、
特に日本人にとっては、
近現代史、必要だよ。
教育の大きさをこの歳で
ヒシヒシと感じる。

今、2巻を読み終わった。
あとがきに、アメリカは、
この焚書扱いにした書物に関しては
100年間、公にしないそうだ。

なので、貴重な書物は、
閲覧できないものが、今なお残る。
ドイツに関するものはとっくに
公開しているのに。

あの戦争を肯定も否定もしない、
知識として、あの頃のことを、
もう少し、知る機会が増えても良いなと
思うのだ。

まぁ、日本を否定する言動を
聞くにつけ、
かつて、自分も結構思って
発言もしていたけれど、
色々知るにつれ、
見当違いのこともあったなぁ、
とも思い、それにつれて
見えて来たことはとても多い。

しばらくはこの作業は続けると思う。

2011年7月15日(金)
本屋にて・・・

取り置きを頼んでいた本を
堂島にあるジュンク堂に取りに行った。

本屋をウロウロするだけでも、
楽しくなっている。

3階のカウンターで受けとった後、
2階に行くとまぁ、本はいっぱいあるわけで。

文学の棚が目に入る。

おぉ!、全集が一杯。
司馬遼太郎だ。
宮沢賢治だ、
松本清張だ、・・・・・すげーぇぇぇぇ・・・。

この棚のここからここまで
全部ちょうだい!!という
今までにない衝動に駆られた。
置く場所もないのに・・・。

でも、松本清張全集と、
司馬遼太郎全集は、欲しいなぁ。
置く場所無いけど。

本はどれだけ時代が進んでも残ると思うな。
紙を超えるメディアは
まだ発明されていないし。

しかし、本を好きなだけ買って読むためになら
財テクしても良いなと思ったりする。

読書という趣味は、
意外と金かかるなぁ。

2011年7月21日(木)
慣れたとはいえ不愉快なものは不愉快だ

どうも、子供の頃から
今にいたるまで、
自分が思ってもいないことを、
他人から、お前はこう思っているんだろう、
と言われ、決め付けられることが
ごく一部の人から、数多くあった。

それは自分の母親からスタートし、
それとは、ほとんど接触がなくなった今、
ごく一部の人に、
決め付けられるに至っている。
(ほぼ全員が年上だな、特定の職種の人もいるが)

あの時は悪かったねぇと、
謝罪を受けたのは今まで1名だけだ。

その他の方々は機嫌よく、
今でも
決めつけてくださっている。

弁明したところで、
決めつけて、絶対を連呼し、
他の人もそう思うに決まっていると言うことが多いので、
最近は、考えないようにしているが、
慣れてきたとはいえ、
それでも、不愉快は不愉快だ。

自分自身は、長らくそういう目に
遭い続けているので、
他人に対しては、
極力しないように気を付けている。

それでも、時折、やってしまわないか、
と考えることもある。

あと、それに続いて
よく言われるのが、
あんな風になれるのに、とか
あんな風になれ、などだ。
ぜんぜん言うこと聞かへん奴と思われているのか、
諭したり、注意するとき、
言われることが多い。

僕自身は、それを侮蔑と受け取るので、
言っている当人の期待する効果は、
殆ど無いんだけど。

年下や、部下に対して
「先生」というのと同じメンタリティーだ
と理解している。

職場に入りたての時に、
なんかの会議中に、
「〜先生」と言われたことがあり、
一度だけ、
バカにしないでください、
と怒ったことがあった。

後にも先にも、
その場で抗議したのはそれきりだ。

後は、疲れるのでスルーしている。
だからといって不愉快さが減るわけではないが。

そんな風に接してこない人のほうが
多いのが救いかもしれない。

2011年7月22日(金)
あの時代と地続きになる感覚


GHQ焚書図書開封3

読了。

このシリーズタイトルがやや扇情的なのが、
少し残念かも知れない。

この巻での内容は、
兵士の姿を描いた著作の紹介だ。

ほぼ行き帰りの電車内で読むのだが、
本を読んでいて、
こみ上げて涙しそうになったのは、
生まれて初めてだった。

「空の少年兵戰記 灯(ともしび)」
昭和18年10月出版
の中で、少年飛行兵が母や家族に向けた
思いを書いた部分。

理由は、自分でもよく分からない。
しかし、そこに書かれた思いは
脚色でなく、
強制でもなく、
本物と感じた。

単純に、この国を守りたい、
そういう思いで、
訓練に励む、少年兵の
家族への思いがそこにあった。

そういった、僕らの先達が、
確かにあの時代にいた。

今まで、門切り型で見せられ続けてきた、
まるで別人のような狂気ではなく
あの戦争の、あの時代の人たちと
少しずつ地続きになっていく
そんな感覚が自分の中で、
広がっていくのが分かる。

もう少しこの作業を続けよう。

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