日々つれづれ
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2011年8月1日(月)
やっと8月

長いなぁ。
目の前を通り過ぎる現在(いま)が、
ゆっくり流れるのは変わらない。

一体この感覚がいつまで続くのか。

そうかと思うと、
過ぎた過去は、あっという間に
はるか遠くへ流れていく。

時間の感じ方も、
みんな同じではないんだろう。

蝉が鳴かないなあと言っていた
7月初めが2〜3ヶ月前の感覚で
6月末の現代音楽の演奏会が、
半年弱前の感覚だ。

職場では、もう8月かという声も聞こえる。

自分のこの歳で、
子供みたいに時間を長く感じる感覚は、
少し特殊と思われる。

最近、自宅マンションの5階まで
エレベーターで昇るときでさえ、
日によって長さの感じ方が違う。

職場で5階にある更衣室に、
階段で上っているときでさえ、
日によって長さの感じ方が違う。

時間てなんやろうと、
最近頓に考えるようになった。

2011年8月8日(月)
2011淀川花火大会


iPhoneで撮影した終わりのほう。

今年は、デジカメの撮影条件の設定に失敗。
変えなくていい、絞りを変えてしまい、
全体的に暗い写真になってしまった。

忙しい時はどうもダメだな。

毎年、見ている花火。
いつ見ても飽きない。
演出が変わるだけでなく、
新作が毎年登場する。

自分の家からはギリギリ全体が見渡せるのだが、
今年はついに、視界からはみ出た。

去年は危なかったが、
今年は、はみ出た。

高さが増したのもあるが、
大玉の花火が真上ではなく両側斜めに打ち上がり、
本当に空いっぱいに広がるのだ。

一年に一回、本当に
ここにしてよかったと思える瞬間だ。

仕事上でも便利だし、
音楽やる上でも、
今の住居は便利。

加えて花火も楽しめる。
しかも直前まで、練習してだ。

本当にイイ買い物したねぇ>10年前の自分。

2011年8月9日(火)
ちょっとクラクラしている



職場の先輩から借りて、
まだ途中。
上中下の中巻の真ん中へん。
著者の祖母誕生から、母親、娘である著者まで、
中国の近現代を描いたノンフィクション。

清朝末期、日本の支配、
で、文革がこれから始まろうかと言うところまで
読み進んだ。

著者はまだ子供時代。

ここまで、読んで、
知らない中国ばかりだった。

と同時に、
息苦しくなって目眩がした。
なんと、壮大なまでに
生きにくいんだろうと。

ある意味、リアルな北斗の拳の世界だ。
ケンシロウの出てこない。

その分、
一般民衆の救いのなさは
一般民衆の力強さは
漫画を超えている。

中国が本質的に変わっていないのなら、
大きい国土を持つのは
今でも難しいんだろうな。

まだ、下巻が残っている。
読み進めるのに、
エネルギーが入りそうだ。

2011年8月16日(火)
ワイルド・スワン

  

ようやく読み終わった。(先週末)

中国人女性による、
自分の祖母誕生から母親、自分へと連なる
ノンフィクション。

清朝末期、日本の支配、辛亥革命、文化大革命、
そして、20年ほど前の現在に至る
中国の歴史の一端が分かる本。

出版当時、大ベストセラーになったようだ。
僕は職場の先輩から勧められるまで
全く知らなかった。

文章は読みやすいのだが、
書かれている内容が凄まじく、
読むスピードは思いのほか遅くなった。

特に文化大革命で行われた部分は、
読んでいて吐き気がした。

あれで、少なくとも中国の発展は
30年遅れたと思う。
経済面での打撃ばかりではなく、
中国の人たちの心に与えた打撃は、
計り知れない。

何人かいる、中国人の知り合いは、
普通に付き合える人ばかりだ。
(年下ばかりだが)

職場にも、任期付研究員で中国人がいる。
彼は家族で日本に住んでいて、
子供も日本にいる。

そんな彼の親も文化大革命の
影響を受けていると聞いた。

本に読んだ、その出来事は
今につながっているのだ。

東日本大震災の影響で、
近現代史を紐解き始めたが、
読んでも読んでも終わらず
なかなか大変だ。

しかし「歴史に学ぶ」とはよく言ったもので、
わずかばかりの本を読んだだけで、
歴史の潮目のようなものは
漠然と見えてきた。

そうすると、
他人の知見のあるなしもわかってくる。
そういう目で、議員さんを見ると・・・。

世界史の潮目も見えてきた。

今、世界で起こっている出来事は、
過去からの潮流で起こっているわけで、
そうすると、現在のニュースを見る時、
今まで以上に背景が見えてきて
無関心では居られなくなり
どっと疲れることも増える。

ある時点で中心だと思っていた考えが、
知見の領域が広がることで、
中心でないことがわかり、修正する。

更に広がると、そこも中心でないことがわかり、
更に修正を加えていく。

視点がどんどん変化し、
同じ出来事が、全く違う事象に見えてくる。

毎日疲れるけれど、
知る前が良かったとは思えない。
知って良かったと思う。

2011年8月18日(木)
名古屋での演奏会ご案内

盆休み返上で練習しております。

千原英喜の東海道四谷怪談は、ラプソディー・イン・チカマツの
対になる作品で、作曲者自身も、四谷怪談を陰、
チカマツを陽と言っています。
自分自身は、両方やっているので、曲の類似性というか、
対称性のようなものは感じます。
今年の5月になにわコラリアーズにより初演されたばかりの曲目です。

もしご予定がなければ、この日曜日、
ぜひ、熱田文化小劇場に足をお運びください。

私にご一報くだされば、チケット代は勉強させてもらいます。

以下詳細。

男声合唱団《風童〜Sylph〜》第2回演奏会
日時 8月21日(日)午後2時30分開場 午後3時開演
会場 名古屋市熱田文化小劇場
(JR東海道本線「熱田」徒歩1分、地下鉄名城線「神宮西」2番出口東へ徒歩5分、名鉄名古屋本線「神宮前」西口北へ徒歩8分)
曲目
●荻久保和明/男声合唱曲「季節へのまなざし」
●千原英喜/合唱のためのディスカバー・ニッポン〈第一集〉「東海道四谷怪談」
●上田真樹/男声合唱のための抒情歌メドレー《綾なす故郷》
●〜ロマンの香り「男声合唱曲を集めて」〜
 J.G.ラインベルガー/Ave Maria(ミサ曲 変ロ長調 Op. 172 より)
 F. メンデルスゾーン/2つの宗教合唱曲 Op. 115
  Beati Mortui(死者は幸いである)
  Periti autem(目覚めた人々は天空の星のように輝き)

●料金 一般¥3,300(当日¥3,500) 学生¥1,800(当日¥2,000) 高校生以下¥800(当日¥1,000)


男声合唱団《風童〜Sylph〜》

新たな「男声の響き」を追求し、
往年の名作から革新的・実験的な新作までに幅広く取り組み、日本の音楽文化の継承、向上、発展に積極的に寄与することを目指して2009年7月創立。
指揮者・当間修一が主宰する「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」
「大阪コレギウム・ムジクム合唱団」「東京コレギウム・ムジクム合唱団」、
音楽監督を務める「名古屋ビクトリア合唱団」「京都クラウディオ・モ ンテヴェルディ合唱団」の男声メンバーにより構成される。
当間修一による合唱メトードを基盤とするメンバーが織り成す
「男声合唱」の世界は、第1回演奏会において、
その剛柔合わせもつ魅力的な演奏で好評を博した。

2011年8月22日(月)
しばし、普通の生活へ

昨日、男声合唱の演奏会が終了した。

個人的な感覚では、
今までの本番の中で
1、2を争うキツさだった。

千原先生の東海道四谷怪談の譜面を見て、
あぁ、これは暗譜だなと思ったが、
それが想像以上に難航した。

歌以外の表現でも、
赤ん坊の鳴き声、
恨みのこもった呻き声、
歌舞伎のセリフ、
這って歌うという指示、
などなどあげればキリがない。

そういう曲以外は
ロマン派と日本の唱歌メドレー、
男声版の季節へのまなざしである。

四谷怪談では、これまで以上に
喉への負担が大きかったため、
練習では、毎回、声がカスカスになっていた。

セリフの語り表現と他の曲への影響との
バランスが難しかったなぁ。
実際アンコールでは、声が回復しなかったし。

テノール1としても、
反省点は多々ある。
しかし、それでも、
色んなことが見えて来た点を考えても、
得るものの大きい演奏会だった。

2011年8月29日(月)
映画放談「コクリコ坂から」

宮崎吾朗 第2回監督作品。

1作目のゲド戦記はまだ、見ていない。

なので、宮崎吾朗監督の作品は初見になる。

NHKスペシャルの完成までのドキュメントを見て
見に行く気になった。
監督と、あまり歳が変わらないのも
それで知った。

舞台は東京オリンピック前年の
昭和38年の横浜。

主人公の通う高校の様子や、
下宿屋を営む家の中を
町並みを
これでもかというくらい
丁寧に描いている。

その空気感が、
まるで、その時、その当時を
映し出しているかのような
錯覚すら覚えた。

インターネットもメールもなかったおかげで
考える時間は充分にあったよな、
と思った。

会わない時間、会えない時間が、
その後を豊かにする
そういうことがあり得た時代。

今の若者にとっては
これこそファンタジーだろう。

僕がそういう思いを抱いたほどに、
この作品は、
登場人物が息をしていたし、
画面から飛び出し生き生きとしていた。

宮崎吾朗監督の次回作にも期待が募る。

2011年8月29日(月)
少し片付けたら

14,5年前の写真が出てきた。
主に演奏旅行の写真だったりする。

自分が撮った写真なので、
ほとんど自分は写ってないが、
リハーサル風景は同行者に頼んで
撮ってもらっていた様で、
何枚かは写っていた。

そこには、20代後半で、
髪が真っ黒な自分がいた。
他のみんなも若い。

女声陣は、あまり変わらないが、
男声陣は、確実に歳をとっているのが分かって
なかなか面白い。

アルバムの余白には、
名前が記載されていて、
これで希望者に注文を取っていたのだ。

まだ、デジカメが普及してない頃だった。
今ならメールで送るか
Web上に上げて自由に見てもらうのが
当たり前だけど、
かつては、そうじゃなかった。

そんな写真、家にはゴロゴロあるはずだ。
ネガも残っているので、
そのうち時間が出来たら、(何時だ?)
みんなに見れる様にするのも、
良いかもしれない。

最近のデジカメ良くなったけど、
フィルムの方が発色が良いのもあるな。

プリントの出来が
写真屋さんの腕によるところも
大きかったのがこの頃。

その時はその時で
特に不便は感じなかったけどな。

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Akiary v.0.51