日々つれづれ
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2019年1月8日(火)
世界史を教養で読み解くこと


国家と教養

教養を軸に世界史を読み解く内容になっている。
個人的には、ここ数年いろんな書籍を読んで
疑問に思っていた
パズルのピースが埋まっていく快感があった。

個人的に疑問だった、
ドイツという国のこと
キリスト教のカソリックとプロテスタントのこと
ビスマルクからヒトラー、メルケルに至る流れのこと
について、一つの回答があった。
書籍の中で紹介されていた文献も
Amazonで注文出来たので
その疑問に対してはもう少し調べてみようと思う。

そのほかにも随所に、著者が参考にした文献が
載っていて、気になるものは
取り置き、注文などした(こうして散財が続く)。
出来れば巻末に参考文献があると助かったけれど(さらに散財)。

今の世界を読み解くヒントにもなると
僕は思います。

2019年1月29日(火)
古文書を軽んじ始めたのはいつからか?


「歴史地震の話〜語り継がれた南海地震」


古文書に語り継がれた南海地震について
主に高知での被害の記録が取り上げられている。

取り上げるのは高知にあった資料ばかりでなく、
海岸線に残った段丘や、
遠く中国に記された記録からの裏取り、
日本各地に残された地震の記録との関連性など
幅広く、南海地震について検証している。

これを読むだけで、
日本に残る古文書を解析すれば、
地震予知って要る?と思えるほどに
詳細な情報が得られることが分かる。

ただ残念なのは、なぜ、
もっと早くに、古文書の解析が進まなかったのか
ということだ。

一体いつから古文書を軽んじるようになったんだろうか?

ぱっと浮かぶのは、柴田南雄作曲「追分節考」の中の
俗楽旋律考(上原六四郎)とプロテストのシーンだ。
あの頃だったんだろうな、と勝手に想像してみる。

しかし、古文書に書かれていることが周知されていれば、
日本の街づくりや都市計画は
もっと違ったものになっていたと思うのだ。

ここに書かれている南海地震、東海地震のことは
出来れば目を背けたい事実だ。

しかし、読み終えてみると、不思議と納得感の方が勝る。
そうか、日本とはそういう土地なんだと。

南海地震が起こった時の心構えは
自ずから身につくように思う。

古文書に対する試みが広く知られるようになることを
切に願う。

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