日々つれづれ
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2021年1月18日(月)
手間暇今昔

ネット社会で良かったなと思うことは、
初めて演奏する曲が知らない曲だった場合、
検索の仕方やアクセスの方法を知っていれば、
音源や楽譜が瞬時に手のひらで手に入ること。
昔の曲であれば、下手するとファクシミリまで見れる。
自分が学生だった30年前(!)は、
まず楽譜探しが大変。
そして音源も街中のレコード屋さんを訪ねまわって
CDをひたすら探す。
AmazonもYoutubeもGoogleも携帯電話もスマホもない。
参考資料も紙の書籍しかない。
有名な曲なら、CDは何とか見つかっても、
マイナーな曲なら、とうとう見つからないことも。
楽譜も海外に注文するのはハードルが高く、何か月もかかった。
仮に見つかって音源を共有するにも、
CDからカセットテープへのダビング(実時間)が必要だった。
コピーすればするほど音質は悪くなる。
そこからすると現在は十分すぎるほど、
ドラえもんの世界だ。
想像したのとは違ったけれど、やっぱり21世紀だ、
と思ったりする。

2021年1月19日(火)
長生きについて

70歳を超えて生きる人が大量に出ることについて、
哲学がないまま、状況が進んでいる。
長生きにも哲学が必要だが、
学者の影が薄い気がする(なんちゃら会議の出番な気がするが)。
哲学がない故に、母娘を己のミス運転で殺しても、
無罪を主張するような、
晩節を汚すお手本のような奴がで出てくるのだ。

2021年1月23日(土)
第22回定期演奏会 名古屋ビクトリア合唱団

大前提として、演奏の質は一定以上ある。
その上で感じること。

各パートに芯になる声を感じない。
揃ってはいるけれど、
どこに向かうのかが今ひとつよく分からない。
それがなんかモヤモヤする原因になっている。

ビクトリアのポリフォニーでも、
あるレベルまで来ているのに、
各パートのやりとりがぼんやりして聴こえてしまう。
生き物的な、やりとり、掛け合いが薄く感じる。

ヴェートーヴェンの編曲もの、
原曲がある故に音取りをかなり厳密にしないと、
編曲の面白さをスポイルしてしまう。
エリーゼのためにの編曲でテノールの音の甘さに、現実に戻される。

最後の日本語、悪くないし、
上手い演奏だと思う。
各パートごと、それぞれは揃ってるが
パートごとのやりとり、オクターブとか、
五度とか和声で、意識して狙いに行って、
合ったよね?という実感を持って歌ってるように、
僕には聞こえなかった。
演奏は上手いんだが、パート間のやりとりを感じられなくて、
モヤモヤする。

違うかもしれないが、
突然隣のパートが消えても気がつかずに歌ってるように、
思えてしまう。
互いのパートの音が想像出来ていれば
死守しなきゃならない音は自明なわけで。
モヤモヤするな。

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