日々つれづれ
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2021年2月12日(金)
免罪符

女性側が男性を叩くことに免罪符がある現状は、
健全ではない。まあ表現を選ばないなら吐き気がする。

殴り返してこない相手に対する、容赦のない言葉は、
その言葉を投げかける側の人間の馬脚を晒す。
女性の白服の国会議員に至ってはさながら紅衛兵だ。
彼女らは、支那が女性に対して行っている蛮行には一切触れないし、
北朝鮮が行った拉致についても触れないし、
母親と幼い女の子の命を車の暴走で奪ったことについても触れない。
彼女らの義はいったいどこにあるんだろう?

2021年2月15日(月)
性差について

フェミニストに感じる違和感。
まあ、男性(やり返してこないが前提)に対する、
そこそこ酷い言動が、
彼女たちが非難する男たちがやってきたことをそのまま真似して、
やっているように見受けられる。

そこには女性としてのしなやかさは皆無で、
おっさん化した醜さしか感じないし、男でもその醜さは目に余る。
そして高らかに笑うのだ。
上野千●子氏がテレビに動画として出た時も、
おっさんにしか見えなかった。
田嶋●子氏に至っては完全におっさんで
たまに女のフリするのが滑稽にすら見える。

それは日本に限ったことではなく、
海外の例はもっと顕著に感じる。
彼女たちはいったい何を目指しているのか、
個人的には全く理解できない。
彼女たちの考える平等とは何なのか、
いまだに見えない。

フェミニストに感じる違和感で大きいのは、
彼女たち、彼らたちは、
本当に困っている女性を助けているのだろうか?ということ。
私が知らないだけなら良いのだが、
メディア、書籍、ネットで声の大きいフェミニスト
と言われる人たちが
そこに手を差し伸べているイメージは伝わってこない。

個人的には、
メディアに出ているオカマの人たちを見ると
ホッとする。
マツコさんとか、ナジャさんとかドラァグクイーンと呼ばれる人たちだ。
彼等(彼女ら)を見ていると、失われつつある性差、
女性のしなやかさと、男性の荒々しさを垣間見ることができる。
マツコさんは両方見せてくれる。
その差が面白かったことを思い出させてくれる。
これは時代とともに変わってきていて、
かつて男女の性差がハッキリしていた昭和では、
テレビにはほとんど出てこなかったし、
出てきた時の独特の緊張感が漂っていたことは
子供心になんとなく覚えている。
そう考えると、性差が曖昧になって来たからこそ、
彼等(彼女ら)のメディアへの露出が増えたのかもしれない
(個人的には良いなあと思う)。
個人的にはフラットに一色に染まってしまうよりは、
いろんな色のある世界が良いな。

2021年2月21日(日)
学校が続く

最近感じる、違和感。
学校がずっと終わらない、
SNSを通して、
学校が染み出している感じかする。
それに伴い、その時の位置関係も
染み出している。
そして、卒業後の社会にも
その雰囲気が作用している気がする。
耳触りのいい正しさが、
清濁を綺麗に分ける理想論が、
クラスの学級委員的な何かが
染み出してきている気がする。
SNSの功罪として、
別のフィールドでやり直すということが
結構難しくなっている気がする。
若い世代はそうでもないのかな。
結局、人の社会は、
集まることで、安心を得る
というスタイルからは
逃れられないのかもしれないな。

2021年2月26日(金)
検索の窓は・・・

検索の窓は平等に開かれているが、
適切なキーワードを選べるかどうかで
天と地ほど差が出るんだよな。
そして、仮にキーワードが適切だったとしても、
選ぶことができなければ、そこでまた差が出る。
人に尋ねる時も同じ。適切な問いかけと、
聴く力量がなければ、何をしても結果は得られない。

それに年齢は関係ないが、
ある程度年齢が行って、適切な問いかけと、
聴く力量がないと結局何も得られないうえに、
答えからどんどん遠ざかる。
「教えてくれへんのかい」
ていう態度じゃなぁ。

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