八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.05


【掲載:2013/06/13(木曜日)】

やいま千思万想(第05回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[鎮魂曲]

 我々人類はチンバンジーの祖先が分岐して進化の道を歩んでいるとされます。
それもその祖先はアフリカで誕生したというのが定説です。
人類はそれから長い長い時間をかけて現在のように進化してきたわけです。
アフリカからどうして世界に分布して行ったか、気候の変化とそれに伴う食料獲得がその要因ではないかと思われているのですが、肌の色も違い、背丈も、体型も違う現在の「人間」が実は一つのある地域から発展してきたとは、不思議ですし、興味尽きない歴史であることは間違いありません。

 現在の人類はホモ・サピエンスと呼ばれるのですが、その他にも人類の仲間が居たことが知られています。しかし、それらの人々は進化することなく滅んで行きました。
何が違っていたのか?なぜ私たちの祖先だけが生き延びることになったのか。
生きる智慧に長けるような脳の発達があったというのは簡単です。
そこには脳の発達と共に、生き残る「何か」が介在していたはずです。
一つは生きるために必要な「道具」を作ったことでしょう。
 そしてもう一つは仲間との絆を築けたことです。つまり、生きるために協力し合える、助け合える存在を得たからです。
仲間の意識をいかに持つようになったのか?仲間との絆がどう強く結び合うようになったのか?
それは仲間が死を迎えた時、その死を悼む感情を持ち、その魂を信じ、それを彼の地へと送る、あるいは鎮める儀式を行う、それが大きな要因だったのではないかと私には思えるのです。
人類が、類人猿、猿人、原人、旧人、そして新人あるいは現生人類と呼ばれるホモ・サピエンスへと進化を遂げたのは共に生きる大切な仲間の「死」をどう捉え、大切に思い、その後に活かしたか、にかかっていたのです。

 人は「死」から逃れることはできません。
ただ、それがどのように訪れたのかがその後に影響します。老いを全うしてなのか、病気でなのか、事故なのか、天変地異での災害なのか。
つまり、迎えたその死が防ぐことのできるものだったか、防ぐことのできないものだったのか。
あるいは強制的なもの、つまり殺されたのか!その死の重さは大きく違ってきます。
死は恐ろしい。長く生き延びたいと思うのは自然でしょう。
その不安、寂しさ、恐ろしさ、あるいは無念から解放されたいと思うのもまた自然の感情です。

 人はその思いに耐えかねた時、祈り、踊り、歌い、己自身と故人の魂を慰めます。
そこに死を悼む歌「鎮魂歌」が生まれたのです。
「鎮魂歌」は人間だからこそ歌える、歌わなければならない祈りです。
私たちはこの熱い夏の日に「死を悼む歌」を歌わなければと思う歴史を持っています。
 死んだ方々の魂に安んじていただくためにも、そして仲間を想い次なる世代へと繋ぐためにも、人間としての最も大切な思いを行わなければなりません。
今夏、私は心を込め、震わせ、歌い、かつ指揮棒を握ろうと思っています。





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