八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.08


【掲載:2013/08/01(木曜日)】

やいま千思万想(第08回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[「それでも地球は動く」]

 「それでも地球は動く」と言ったのはガリレオ・ガリレイ。
地動説を唱えた彼はそのために裁判にかけられ、有罪判決を受けます。
それ以後、一切の役職から退かされ、名誉も剥奪(はくだつ)。
その名誉が回復したのは、何と380年後の2008年。
ローマカトリック教会はガリレオの業績を称え、地動説をやっと公式に認めます。
一人の人間がその事実を何故かねじ曲げなければならなくなった歴史的な事件でした。
時代の価値観に翻弄され、人間が持つ権力行使の波間に飲み込まれた、忘れてはならない結末です。

 社会は幾つもの価値観の上に立っています。
100人寄れば100人それぞれの思い、考えが違います。
それをどのようにしてまとめ、進めていくか。人間は智慧を持ってそれに対処してきました。選挙もその一つでしょう。
 今回の選挙、静かでした。私が住む大阪も静かでしたね。
前々回の政権交代が起こった選挙の時は熱気をもって揺れ動いていたように思います。
そして前回、現政党が返り咲いた時から静かな動きに変わったように思うのですがいかがでしょう。
その静かな選挙、今回は更に深まったように思います。
投票率は落ちたでしょう。若者は投票場に行かなくなりました。
インターネットの活用もありましたがまだまだ普及は遠いですね。
その投票結果、国民の2割から3割の意思表示でこの国が動こうとしているとする分析もあります。

 私は音楽の現場を思います。
指揮者である私がオーケストラや合唱団の前に立って演奏を進めていくとき、どのような手法を用いて感動的な演奏を引き出せばよいのか。
一般的には「独裁的」、「絶対君主的」に演奏者たちへと臨んで音楽を引き出しているイメージかもしれませんが、事実はその様な指揮では真の感動的な演奏は生まれません。
演奏家一人一人の最高度の技量を発揮できる音楽的感動を共にすることなしには魅力溢れる演奏には成り得ないからです。
 従わせる、従うだけの関係では真なる感動、至高の音楽は生まれません。
指揮者とはある意味、対峙、対立する音楽的解釈を乗り越えて共に感動を沸き起こす音楽現場を作り上げる者でなければならないわけです。
転じて思います。皆が活き活きと暮らせる社会、豊かな社会、平和な社会、希望や夢を持つことのできる自由な社会。
それは可能な限り多くの人の意志が反映された社会であるべきだと。

 今回の選挙、「ねじれが解消できた」というコメントが響いています。
私は若い頃学びました。両院制(二院制)は、多数が少数の意見を離れて暴走することを防ぐ役目を負っているということを。
憲法は、国民生活を律する法律を作る人たちを律するものであるということを。
「ねじれ」があってこそ、「対立」があってこそ、真の理解、安定、感動へと向かうことができるのではないか、そう私は思っています。
そして現場に立っています。あの「それでも地球は動く」と言わなくてよい社会であるために。





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