八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.09


【掲載:2013/08/15(木曜日)】

やいま千思万想(第09回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[音楽は喜びと生きる力]

 -春-
 興奮して寝られない夜。枕元には真新しい教科書に綺麗な色のランドセル。
朝は緊張で誰よりも早く起き、膝上までの白い靴下を恥ずかしく思いながら履き、その日の晴れ着である黒の短パンとブレザーの上着を来て少し自慢げに家を出ます。
小学校の入学式、記念撮影をしたところには見事なサクラが咲いていたことを今も鮮明に覚えています。
昭和30年頃の風景はその入学式を始めとして私自身の奥底に広がる幸福感一杯のシーンです。

 -夏-
 川で川魚を追い、こんがりと日焼けした身体。
川面に走るヘビを見て思わず水を飲みながら泳いだ日々。土手には美しい夕顔に、夕立ち後の水たまりをバシャバシャ音を立てて行進する。
お腹を空かして家路へと向かう自分の姿が何か映画のワンシーンのように映っています。<

 -秋-
 私の幼心をも惹きつける深い紫のキキョウ。
その傍に微笑みながら私を見ている母。遠くでは耳を撫でるように「埴生の宿」のメロディー。
母とよく行った花や、実や、キノコ採りの楽しい裏山での散歩の一時。

 -冬-
 降り積もった雪をおにぎりを作るように丸めて友に放り投げる。
顔も服もビショビショになりながら追いかけっこした日々。
これが私が生まれ育った本土、大阪の四季でした。今思い出してもそれらの日々は幸福な映画フィルムのような一コマです。

 明日の不安など吹っ飛ばすかのような発見や感動の日々があった時代だったと思います。
八重山には日焼けを楽しむ時間はありませんね。
あるのは危険なやけど!雪が降り積もりその中で遊ぶ記憶や掘りごたつでミカンを頬張る静かな団欒はないかもしれないけれど、季節ごとに幸福感に満ちた「季(とき)」の流れは自然と共にあったはず。
気候や動植物、そこで営まれる生活。それらの人々を育む環境が異なってはいても、その記憶や体験は穏やかで幸福なものであればあるほど良い。そう私は思います。
最近の気候、どうも私が過ごした時代と違ってきているようです。
異常と感じる気象が続いています。
以前にはないほどのとてつもなく大きく強い台風、竜巻、ゲリラ豪雨。
それらが世界各国で突然起こっています。
以前とは大きく規模が違っています。人々の生活を脅かし、破壊しようと猛威を振るう自然の力。
記録破りの現象が増え続けています。
自然の怒りでしょうか?自然の悶え苦しむ姿でしょうか?
私はコンサート毎に祈りを捧げているように思います。
また、今年も私たちが痛々しい記憶を呼び戻さなければならない夏がやって来ました。

 世界で始めて原爆の被害を受けた広島、長崎。
そして私たちの国が戦争の終わりを告げた日。
それらの記憶に苛まれている人たちがまだまだ沢山いらっしゃる。
幸福で楽しい日々を思い出せる毎日でありたいですね。
平和を祈る、ではなく、平和の中に生きる感謝の日々を綴りたいですね。
音楽を奏でる、それは喜びと生きる力の称賛の表現でありたいです。





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