八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.15


【掲載:2013/11/14(木曜日)】

やいま千思万想(第15回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[互いの顔が見える距離での対応]

 人間、お互い顔が見える距離での対応が望ましいですね。
大都会は顔を見合わせないで事を為すことが増えてきています。
インターネットはその顕著な例ですが、日頃の日常会話ですら目を見ないで交わすこともしばしば。
孤独な人が増えていっているように思えます。
ポジティブに生きている人も勢いよく威圧するような大きな声で話してはいても、相手の目を真剣に見ながら相手の事を思いやって話す人は稀です。

 少し前でしたか、大企業や、巨大組織である官僚に対して、或いはその天下りに対して批判を強めて糾弾する場面がテレビやインターネット配信で世を賑わせていました。
いわゆる「既得権益(きとくけんえき)」の問題化。
特権を生かして権力を行使し利益を得ることですね。悪の権化のごとく憎まれた言葉でした。
しかし、よく考えてみれば、人は全て既得権益の中で生きていると言っていいでしょう。
権力の大小はあるもののそれぞれに利権の中に生きようとするわけです。
 私にも有ります。私の演奏、作品は著作権で保護されています。
団体や演奏家が私の作品を演奏するとき、一定の決まりによって著作権料が支払われ、作品そのものの価値を守ろうとする法の元に権利を維持して利益を得ることを保証しているわけですね。
本心、多大の利益を得ようなどと考えて作品は創りません。
心の衝動によって生まれた作品は全ての方々に無償で提供する、というのが本音です。
 これ私の信条でしょう。
ただ、現実を見ればその作品を利己的に利用しようとする人もまたいることは確かなのですね。
私は既得権益を行使していることになります。
ただ気を付けなければならないのは、その行使を拡大、強力化して利己的になり、他の人の権利をも見えなくなるほどに権利意識を強めていってしまうことです。
それは私にとっても、作品にとっても、とても不幸なことだと思うのです。
作品を閉じ込めてしまい、何人にも必要なほどに行き渡らないという一面もあるわけです。

 作品は人間共通の財産であるべきなのですね。
その財産をどう管理し、運営していくか?なのですね。
私の例などは小さなものでしょう。
しかし、政治的な動きを持つ既得権益は、行使する方も、また放棄する方もよく見極められてしかるべきです。大きく政治が歪められていく恐れがあるからですね。
「悪」とならないためにもバランスの取れた「既得権益」になるべきです。


 人間、互いの顔が見えなければ大胆に過酷で残酷、冷酷無比、 非人道的な行動に走ったりします。
顔を見れば到底出来ない振る舞いも見えなければ簡単に遣って退(の)けてしまうのですね。
そういった面を人間は持っています。
人間、お互い顔が見える距離での対応が望ましいです。
人間の見える範囲は知れたもの。
見えないものの方がはるかに多く有ります。
顔が見える距離で、顔を突き合わせ、想像力を持って真なる言葉を交わして権利(生き方)を主張し合う。
それが始まりであり、到達点です。





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