八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.14


【掲載:2013/10/30(土曜日)】

やいま千思万想(第14回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[祭りは熱い「人の息吹」の場]

 夏、オリオンビアフェストに行ったのはいつだったでしょう。
随分と前のような気がします。その時の楽しかったこと、今でも思い出しては懐かしんでいます。石垣に来るにはイヴェントを確かめてもらって計画を立てていたものです。
私、「祭り」が大好きです。
あの、人の雑踏がウキウキ、ワクワク。露店の賑わいもドキドキ感を倍増してちょこまかとお祭り広場を駆け巡ります。
人が集まる賑わいの楽しさ、珍しいものを見つけた喜び、そして人との遭遇、それらが本当に大好き人間なんです。

 私の演奏会は、「祭り」のイメージで開いています。
クラシック畑の演奏会なのですが、人が集まる熱い場、そしてお祭りの賑わいを持ちたいのです。
それは社交の場であり、ドキドキ・ワクワク・ウキウキの場です。
クラシックといえば、おとなしく、上品で咳一つできない堅い雰囲気、緊張の連続と思われているかもしれないのですが(確かにそういった雰囲気のコンサートもあります)、もっともっと自由に、肩肘張らず聴き、身体で感じる、そのような場で、それに相応しい演奏をしたいと思っているのですね。

 八重山の祭は沢山あります。石垣の夏に行われるオリオンビアフェストもその一つ。
人間は「祭り」に燃えて命の息吹を全開させ、呼び起こしてきました。
夏の祭はその意味においてもまた格別です。
石垣島、八重山諸島をみれば活気ある「祭り」が毎月幾つか行われていますね。本当に健康で逞しく思います。
本土では祭りは形を変え、ある狭い地域の商業化のイヴェントとして開催されるものになっているような気がします。
それはそれで楽しいことでもあるのですが、受身であることが多く、自らが積極的に参加、祭り人としてのアクティブさに欠けるような気がして今ひとつ乗れない私がいます。

 「祭り」の始まりは宗教的祭祀、祭儀、祭礼なのでしょう。
その「祈り」「感謝」「慰霊」が影を潜め、世俗的な催事として人が集まる「祭り」と化しました。
都市に住む人たちは普段、人との交流はそれ程広いものでも濃いものでもありません。
「隣の人は何する人ぞ」でしょう。
お互い、人同士の出会いと参加を楽しむよりも自分自身の目的、興味を充たすだけの集まりになっているように思われます。
「人寄せ」「娯楽性」の追求、それが「まつり」となりました。
共同体の確認という機能が減退していると思います。
「まつり」を行う者と鑑賞だけに引き寄せられた者との二分化が進んで、共同体としての絆を強めるという意味が薄くなっている、それが都市型「まつり」です。

 近日「石垣祭り」があるのですね。
11月2日、3日の開催。華やかに賑わしく行われることでしょう。
八重山らしい人と人との交流の場、熱い「人の息吹」の場となりますように。





戻る戻る ホームホーム 次へ次へ